病気:治すのではなく「変える」「変わる」

 

この記事の続きです。

 

身体はもともとあなたに協力してくれている存在だいうこと、

 

病気になったのは

身体が欠陥品だったわけでも、

 

身体が自ら悪くなるような行動をしたわけはなく

 

あなたの思考や行動が

 

我慢をしたり無理をしたりして

身体にとって負担となる選び方をしているために

 

身体の完全性のサイクルが乱れてしまっているだけなのだと

前回は書いていきました。

 

 

そのように書くと

 

では、

 

病気になったのは私のせいなのね!?

 

という思考が働きがちかと思います。

 

気持はわからなくもないですが

 

それがそもそも自分責めになってしまうのでやめましょう。

 

そして

誰の「せい」でもありません。

 

例えば

 

本当は疲れていたけれど

頑張って家事をしてしまって

いつもクタクタだったのも

 

自分の時間を犠牲にして

人に尽くすことばかりしてきたのも

 

本当は泣きたかったり怒りたかったりしたのに

我慢をしてその場を収めようとしたのも

 

身体や臓器にとったら

大ダメージなのですが

 

あなたの優しさや人柄に他なりません。

 

けれど、

 

身体とあなたの思考や行動が

「不調和」だったというのが「事実」。

 

だから

 

淡々と事実として

 

病気は私が創っているのだな

 

自覚することが主体性となります。

 

 

この主体性がとても大事なことになります。

 

 

今まで当たり前に生きてきたのに

 

急に「死」をつきつけられたように感じると

 

人は

 

病気や病名、

医者の反応に翻弄されます。

 

 

けれども

 

本当は

病気とあなたは対等ではありません

 

医者はあくまでも

今の事実を伝えてくれるアドバイザー。

 

是非

 

自分の頭の上に

病気をかかげないでください。

 

病気に扱われる人生にしないでください。

 

病気とは

今まさに苦しみを与えている悪い者な気がしてしまいますが

 

その苦しみや痛みは

あなたが長年

 

くるしいよ

やめたいよ

つらいよ

つかれたよ

 

 

溜め込んだものが一気に押し寄せているだけです。

 

 

ですから

 

病気を頭上に掲げて

 

大きなものと捉えることをやめましょう。

 

 

考え方としてはこうです。

 

 

〇病気のあなた

 

ではなく

 

〇あなたの中の一部が病気。

 

 

〇病気の人生なのではなく

 

 

〇あなたの人生の一コマに病気のエピソードがあるだけ。

 

 

あなたありきの病気です。

 

つまり

 

あなたがどうしたいか選べるんですね。

 

 

自分に聞いてください。

 

これは私が悪性リンパ腫を変えた時も

家族のガン宣告を変えた時も行ったことです。

 

 

ところで、

 

 

病気で死にたいか?

 

 

 

私の時も家族の時も

 

答えは

 

NOでした。

 

 

人間はどうせ死ぬんだし

 

それならもっと違う方法がいいな。

 

 

 

病気が治すのでなく「変える」「変わる」ものなのだから

 

病気が治るのではなく「病気をやめる私」なんですよ。

 

 

肉体を所有しているのは

 

医者でも家族でもなくあなた。

 

肉体と共に生きていくのは

 

医者でも家族でもなくあなた。

 

病気でいるかどうか決めるのは

 

医者でも家族でも病巣でもなく

 

 

あなた。

 

 

 

これは机上の空論ではありません。

 

 

ただの事実です。

 

 

さて、

 

 

あなたは病気をやめますか?

 

続けますか?

 

どうしますか?

 

全部自分で決めましょう。