私は幼少時期を秋田で過ごしました。秋田は私の生まれ故郷であり、大好きな土地です。
それは物心つく前のこと、父母と私が住んでいた秋田市のアパートが火事になりました。火元は私達家族の部屋。その時、部屋には幼い私がただ一人。冬の寒い日、母は幼い私をストーブのついた部屋において、近所へ買い物に出かけてしまいます。干していた洗濯物がストーブに被さり、燃え、たちまちその炎は広がります。母が帰ってきたらアパートは炎に包まれていて、職場から急いで帰ってきた父も、消火活動が行われるアパートをただ見ているしかなかったようです。
和恵は死んだ
そう、絶望的な気持ちになったということでした。
そんなとき、真っ黒のススだらけになった私は救出されたのです。火事の事は、まったく覚えていないのですが、小学校4年生くらいまでは恐い夢を見てうなされることがよくありました。真っ黒い、タールみたいな波には一つ一つ恐ろしい顔が付いていて、それらは低いうなり声を上げて、私を飲み込んでしまうのです。苦しくて、恐くて、息ができなくて、目が覚めると汗がびっしょりでした。それはもしかしたら火事の記憶なのかもしれません。
火事のことを母に聞いてみた。何で私を置いて買い物に出かけてしまったのかと聞いてみた。母は「そのときお父さんとは喧嘩ばかりしていてね、ちょっとむしゃくしゃしていて、一人になりたかった」と言っていた。良くない気持ちが良くない事態を呼んでしまったのだろう。とはいえ私は母を恨んでもいないし、責めるつもりもない。
その後、父の仕事の都合で父の実家(新潟)に戻ったわけですが、嫁・姑戦争、夫婦喧嘩で母がいつも泣いていたこと。そんなことばかりが家庭で起こっており、殺伐とする環境の中で、いつも思っていたことは、考え方は人それぞれであり、いいとか悪いとか、間違っているとか正しいなんてことは元々存在しないのだということ。でも、やっぱり人は判断したがる。自分のモノサシでしか計っていないことなのに、それを押し通そうとする。そんな場面に何度も直面して、悲しい気持ちになっていた。しかし、争っている本人同士も悲しかったに違いない。そして、言い負かしても虚しいということも分かっていただろう。
諸々考えをめぐらせていますが、あのとき死なずに、いまこうして生きていることに感謝ですね。