わたしの5年間が終わりました𓂃‪𓈒𓏸


なんて言ったら大げさなんだけど、本当にひとつの人生の区切りです。


結婚した当初、結婚も出産も家庭環境から後ろ向きではあったもののいつか子供をもてたらなぁなんて思っていました。


結婚して何年経っても、赤ちゃんが欲しいと思えずそれはそれで悩み苦しかった。

原因が家庭環境だとなんとなくわかっていたけど、なんとなく違う気もして…


悩んでたら前に進めない!と検診もかねて産婦人科へ。個人病院の先生がストレートに『結婚して何年目?』


つくらないの?

できないの?

どっち?


ストレートすぎたけど、なんか心配そうに聞く表情からは、悪意を全く感じなくて正直にそろそろかなぁとは思っていますが…と苦く返答。

すると真剣な面持ちで


何言ってるの。そんな呑気なこと言ってはいかん。少しでも欲しいと考えてるなら早くしないと。

そんなこと言っとる場合じゃない。


大抵のアドバイスや人からの話に、耳を傾けることはあっても心に突き刺さることは滅多にないのに


なぜかその先生の話だけは心に刺さって突き動かされたんです。それから妊活したものの、流産してしまい、それからまた頑張ったけど今度は臨月で死産。


先生の病院都合の転院とも重なったあの時、転院先の病院で誹謗中傷されショック状態に陥り、その2日後に亡くなった赤ちゃん。


それが原因でなくても、色々嫌なことが重なってからの出来事だったから本当に辛かった。


先生が悪いわけじゃないのに、わざわざ出産先の病院まできて『いきなり転院させたことは申し訳なかった、無痛分娩ができないかとお願いしてきたからね』と頭をさげて普通なら死産でも普通分娩なのに、先生が無痛にしてほしいとお願いしてくれたのです。


今思えば、死産で普通分娩は本当に辛い。

痛みを軽減できただけでも私はよかったと思う。


それから先生と再び会った時、助産師さんも『悩んでる暇はない、なるべく早くまた赤ちゃんを』


いつまでも悲しみにくれてはいかん。動けなくなるから。


当時はものすごくそれが辛かったんだけど、あえてそうやって前を向くように言ってくれた言葉は、ほんとに感謝しています。

それが先生と支えてくれた助産師さんだったから、私は前向きに受け取ることができた。


そこからまた赤ちゃんを授かり、3歳になる娘がうまれた。


その娘が、赤ちゃんかわいいね😍と赤ちゃんみるたびに言うようになり、妹がいたらなぁと


赤ちゃんをまた出産できた。


そんな5年間がやっと終わり、私はなんとか二児の母になった。この世にあの子がいたら三人のお母さんだった。


悲しみにくれるたび、

亡くなったあの子への愛おしい気持ちも

溢れてきて、冬は毎年辛いけど


やっと妊娠出産という大仕事の節目が終わってホッとしています。


母として、子供達を立派に育てること。

ひとりの人間として、夢を叶え

成長していくこと。


それがこの先のやるべきことです。


まだ私には、やるべきことが多すぎて

やりたいことが見つからないけど


子供たちとひとつひとつ

見つけていけたらなと思っています。


最近、自分が欲しくて買うものは

子供の物か、子供たちにいずれ譲れる

ものばかり。


アクセサリーも宝石も、

いつか譲りたいと思って買っています。


着物も買おうか迷っています爆笑


私は家族にそんなことしてもらえなかったから

私はこどもたちに

大切なものをたくさん残してあげたい。



自分がされたかったことを

子供たちにすることで

救われる気持ちになるのだろう。