自分の親がそういう毒親なんだなと
気付いたのがここ最近ですが
受け入れるまでに時間がかかった。

自分の親を悪く思うことに抵抗が
あったのと、なんとなく家族
憎んだり、怨むのは自らを不幸に
することだと考えていたからです。

随分と自分のされたことへの気持ちと
抱えてきた悲しみや苦しみと
共存してきて、片付けたつもりでも
フラッシュバックみたいに
戻ってきては、前に進めず…

時間と労力にしたら、とんでもない
長さです。それがどういう意味を
もつのかきっとこの先も不安は
続くのだろうと思っている。


母と決別してから、12年ほどたつ。
毒親なんですから、いい関係性なんて
築けるわけがないのに
数年大人になってからも頑張って
諦めました。基本的に母は
自己中心的です。誰しも自分が大事
だから優先したくなる時もあるでしょう。

そのバランスがずっと自分自身に傾いて
いたら力のない子供はどうなります?

家事もできない
料理もできない
お金もない

義務教育を受けなければ
社会にも出られない

母はいつも〇〇だからやれない
〇〇だから、〇〇だから

言い訳ばっかりでした。毒親は
常に自分を正当化します。

子供が傷ついても向き合わないし
謝りもしない。

あんたが悪いんだと。


その徹底さには、驚くほどです。
自分とは違う人間と生きていくうえで
ごめんねがない世界なんてありえない。

自分とは違う価値観があるなかで
傷つけずに一生生きていくなんて
無理なはず。でもそこに謝罪
自分を改める時間がないのです。

未熟者なんだという謙虚さが全くなく

よく母に傲慢だと言われて
育ちましたけど
傲慢な人間に育てられたら傲慢に
なるしかないです。守るために。

でも傲慢になることじたいが
正しいことではありません。

思いやりをもって、他人と暮らして
いきたかったしそういう家族を
今は目指しています。

それにこだわりすぎるあまり
母の子供だから私も似るのでは、
だから母と同じようになりたくない
常日頃から気を張っていなければならず
疲れています。

毒親という親をもつだけで
子供はとんでもない人生を長く
過ごさなければならない。

親が反省し、関係を構築できるのであれば
また違うのでしょうけど
何も変わらないとなると
全て子供だけで与えられた負を
片付けていかなければならないから。

愛や思いやりを与えられないだけで
人は変わります。当事者にしか
わからない苦しみがそこに存在します。


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私には甥っ子がいるのですが、
そういう家族ですので連鎖が起こります。
甥っ子も虐待をうけていました。

私は甥っ子のことが心配で、子供の頃から
定期的に交流を持ってましたが
ある時を境に会えなくなってきたのです。

色々聞きたいことがあり、家に行った際
も話しかけよう
として近くに必ず姉がいて
なんだかこちらを気にしていました。

それもずっとん??と気になっていた。

その違和感は、甥っ子が家を出て
一人暮らしはじめてから色々話を
聞けるようになりわかったことです。

話す時も監視されていたのは、
そのときひどい扱いを日常的に
されていたようで、きっと知られたく
なかったんでしょうね。

たとえあのとき、甥っ子に踏み込んだことを
聞いたとしても話してもらえなかった
だろうと思うから
それが家族内で行われている虐待
の恐ろしさだと思うんですよね。

親を悪く言えない

☑️言ったら食事などを与えられない
可能性がある

☑️親が正しいと教わってきている

☑️言ってもどうにもならないような
気がしている

大抵、虐待してても本人はそんなこと
微塵もしてるなんて思ってないし
◯◯だからと正当化するに決まってる。

だから常にそのとして表に
でてこないのです。

その悪を悪だと認識し、反面教師にして
強くたくましく生きていけたら
いいのだけど悪だとわからない
悪だとしらないまま生きて行ったら

同じ人間ができあがってしまう。

そうやって連鎖が続くんだなぁと
思いましたね。どんな形であれ
続くので私もこだわり過ぎない程度で
おさえつつ、連鎖を断ち切れたらと
願いながら家族を形成しています。


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甥っ子と話していて、衝撃だったのは
おばあちゃん(私からしたら母)
が私のこと(母からしたら娘)を

クズだと甥っ子に話していたことです。

許せないのはクズだと言ったことではなく
クズだと甥っ子に言ったことです。

そんな最低な言葉を使い、嫌ってもいない
叔母を罵られて誰がいい気するのか。

最低な言葉を言ってはならない言葉を
使い、我が子を罵り陥れるとは。

私は自分の信念に基づき、甥っ子を
私なりに幸せになってほしくて
子供の頃から距離があった時期も
あったけど接してきましたし
自分なりに頑張ってきました。

その経緯もあるからこそ
そういった行為を行う母が改めて
許せないと思いました。

私はそんな甥っ子が、路頭に
迷わないようにしっかりした人間になり
家を構え、逃げ場所をつくりたい
なんて考えて今に至るのですが

甥っ子が
自分の兄弟がそんな親から逃げる
場所をつくりたいと話していて

私と同じことを考えているんだね笑い泣き

と話していて

私が彼に与えてきたわずかな
思いやりや優しさが
良い連鎖をうんでいるんだなと
知れて安堵した。

ここまでくるのに20年以上かかったけれど
甥っ子にバトンが渡せた気がして
嬉しかった。

優しさや思いやりなんて綺麗事ですよ。
でもものすごく現実的な重要
ことなんです。ここに主軸をおいて
全てのことに配慮していかなければ
家族は安心できる場所なんだと
認識して人は育たないのではと思う。


少なくとも私は、そういう家庭を
なんとかして築きたいです。
願ってできる容易いことでは
ありませんが、心を尽くして
真っ直ぐにやり遂げたい
人生ひとつの大仕事です。

大切にしている考えや思いだけは
毒親やそのまわりに群がる
人間に奪われたくありません。