昨日は春分の日

こういう季節の節目は気になる。

 

最近、本当に忙しくて、

生活時間、いろいろ試している感じ。

 

アシュタンガヨガは続けて、

半年は経っている。

 

やればやるほど面白い。

では、私の目指す目標はどこ?

 

私と似た小柄な先生の苦労話に

ヒントが隠されていました

 

 

①手足コンパクトな先生

SNSでちょっとはまっているのが、

小柄な女性の先生

 

地方在住のアシュタンガヨの先生

手足がコンパクトで、小柄で、

子供の頃から病気があ流。

 

そのために背骨のカーブがなくて、

婦人科系の病気にもかかって。

 

他にも問題があって、

アシュタンガにあまり向いていない

というよりも、普通の人よりも、

所謂、スッペクの低い体。

 

他のジャンルだったら、

まして純粋培養系のジャンルなら

こういうタイプの方は

先生になれないと思うの。

 

その意味でとても稀有な存在

 

で、その方すごいのが、

背中の生理的な湾曲に憧れて、

ヨガや解剖学やらなんやら勉強して、

生理的湾曲をつくろうと、10年くらい

頑張っていた時期もあったらしい。

 

で、

生理的湾曲を外見的には取り戻したけど、

体の調子が色々と悪くなったみたい。

 

そこで、気がついたのが、

この背骨の状態は子供の頃からで、

その状態で体が発達してきたから、

背骨の形だけ取り戻しても仕方ない。

 

健康的で優良な人の体から

外れている自分の体がイヤだった。

でも、その体を受け入れて、

今の自分の体でできることを考えることが、

自分のやるべきことだと確信したらしい。

 

で、前職をへて、

アシュタンガの指導者となったけど、

そうはいったって、その業界にいれば、
アシュタンガ的にみて、

パーフェクトボディではないことに

苦しむことはあったみたい。

 

でもね、

指導者になって気がついたんだって。

 

問題だらけの体でよかった。

この体でよかった!!

って、本当に感謝できる。

 

なぜなら、

扱いにくい体で、練習の年数の割に、

アーサナ(ポーズ)は進まない。

 

登山でいえば、最短ルートで

頂上に辿り着くことができない。

 

人とは違う道ルートを

開発しないといけない。

 

だからこそ山のあちらこちら、

いろんな場所や形を探って、

山のあちらこちらを知ることができた。

 

それは

この体に生まれたからこそ。

 

その経験から、

いろんな人、病気やトラブルのある人に

あった指導ができるようになった。

 

アシュタンガをやったことで、

この体に生まれて本当によかったと

感謝できるようになった。

 

この話を聞いた時、

とても感動したのね。

 

私の目指すアシュタンガの到達点、

ゴールはこれではないか!!って。

 

練習にもっと余裕が出てきたら、

いつか、この先生に習ってみたいな。

 

②浪費の話

 

アシュタンガに出会って本当によかった。

もっともっと早く会いたかった。

と思う時がある。

 

でも、面白いことに、幸運にも、

アシュタンガを長年、練習してきた人でも、

同じようなことを思うことがあるみたい。

 

地方在住のある方は、ひと頃、

沢山のアーサナへの憧れから、

地方都市で開かれるワークショップへ

交通費と宿泊費を使って通った。

 

でも、

アーサナ(ポーズ)を多く組めることは、

そんなに大事なことではなかったと気がつき、

何年も浪費をしたと感じている。

と胸にうちをつづったブログを見かけた。

 

東京は選択肢が多いから、

マイソールに毎日通うこともできる。

 

でも、地方はそれが

物理的に不可能な場合が殆ど。

 

なので、普段は宅練で

土日に前泊で地方都市のスタジオに通う。

 

あるいは、

不定期なワークショップに通う。

 

そして、そこで、

新しいアーサナ(ポーズ)をもらって、

宅練を続ける。というスタイルをとる。

 

だから、この人のしていることは、

そんなに不自然なことでない。

 

ただ、

新しいアーサナに重きをおきすぎて、

本質的なところを見逃していた。

という後悔があるのかもね。

 

そのブログが引っかかったのは、

私の踊り系趣味の過去。

 

交通費や宿泊費は殆ど使わなかったけど、

有給は使ったし、お金も時間の工面も

それなりに大変だった。

 

定期的に何年も通っているのに、

私だけスルーされ続けて、

あれは私の人生にとって

浪費だったのかもと思う時がある。

 

頑張ったのではなく、ただの悪あがきで

なんだか哀れな自分だったなと思う。

何年も続けたことに後悔が残る。

 

時間もお金も工面して、

一生懸命に頑張っているのに、

自分だけスルーされるのは

精神的に堪えていたな。

と今更ながらに思ったりした。

 

惨めな気分を押し殺して、

存在感を消すように息をつめて、

参加しているのは今思えば、

心にも体にも辛かった

 

先生業をやっているものとして、

一人だけスルーするの状況が続くのは、

極力避けるようにはしている。

 

まあ、業種が違ったり、

人によって考え方は色々だと思う。

 

ただ、

定期開催の予約制のクラスで、

特定の人に声かけして、

特定の人はスルーし続けるって、

その感性はちょっと分からない。

私は結構、気を病んだな。と思う。

 

そう感じるのは、アシュタンガ始めたから

ちょっと元気になってきたから。(笑)

 

まあ、私への優先順位って

限りなく低かったということ。

それが先生方の行動に出ていた。

 

なぜかはよく分からないけど、

多分、指導の幅にハマる人を優先して、

指導の幅にハマらない私は

スルーだったんだろうな。

 

自分には決してなかった

先生方と特定の人達のパーソナルなやり取りを

眺めていると、なんか他の人のレッスン代を

自分が支払っている気分になる。

 

まあ、それは妄想なのだけど。

 

そこにいるだけで

価値提供を受けているし、

私の支払っているお金は

全体から見たら微々たるもの。

 

そんなに風に思うなら、

もっとはやく外に目を向ければよかった!!

 

もっとはやく少しでも若いうちに

コントーション教室を覗けばよかった(笑)

 

苦しくても気持ち悪くなっても、

アシュタンガを始めればよかった。

 

心も体も健やかになれたのに(笑)

 

そのころはきっと

憧れや期待やの気持ちも強かった。

 

そして、

他の選択肢を知らなかった。

 

まあ、実体験から・・・・

 

踊り系趣味だと、

子供

子供からの経験者

先生のお気に入り

 

このカテゴリーにハマらないと、

先生を変えてみても、

多少はかまってくれるかもしれないけど、

ちゃんと教えてはもらえない。

 

というか、残念ながら

体の癖が強すぎると教えられない。

 

クセの少ない子供を前提としているから、

癖をとる方法というのが確立していない。

そういうシステムであり文化なんだ。

と今ならよく分かる。

 

私はどれにも当てはまらなくて、

何年もスルーされ続けた。

 

というのはなるほど!!納得がいく✨
もっと早く気がつけばよかった。

 

いろいろと頑張ったけど、

結局は、身体的な劣等感を

えぐられるだけで終わったかな。

 

あの時間とお金は浪費だった。

 

もっといい使い方があったかも。

と思わずにはいられない。

 

でも、アシュタンガに早々に

出会った人だってそう感じたんだから、

きっと人生には無理に何かに執着して、

上手くいかない時期ってあるのかもね。

 

そして、

その執着を上手く手放せた時に、

人生、変わっていい流れに乗れるのかも。

 

だから、コントーション教室で

アシュタンガに出会えたは幸運だった。

 

去年の夏至の頃に起こったことは、

いまだに不快な思い出だけれども、

思いっきり方向転換するいい機会だった。

 

アシュタンガ初めて1年にもならないけど、

コントーションとの相乗効果で、

つま先、股関節、肩関節を初めてとして、

体のいろんな部分に変化を感じている。

 

ここ数年間、頑張ったけど、

ほとんど変化を感じられなかったのに、

ここ数ヶ月でよく変化が出ている。

 

本当に驚き✨

暖かい季節が楽しみ

暑い季節だって怖くない。

 

アシュタンガはそもそも

独身男性の修行僧が行うもので、

インドの一地方のコミュニティだった。

 

ある時期に、

(インドの公用語が英語だったから?)

欧米での愛好家が増えて、

今やアジアでも増えている。

 

ローカルなものから

インターナショナルなものになった。

 

ここ数十年で、

インドアーリア系だけでなく

アジア系にも広まっている。

男性だけでなく女性にも

比較的高齢な人にも

 

アシュタンガを追求する人々が増えて、

それがアシュタンガヨガを

多様に進化させている。

 

そして、

手足のコンパクトな先生は

まさにその申し子のような人だ。

 

そこに私は大きな魅力を感じる。

 

私のえぐられた身体的な劣等感も

きっとアシュタンガで

癒されていくと確信している。

 

長年の体の歪みがとれるから。

というのはある。

 

でもそれ以上に、

私のクセのある体に、

先生方もちゃんと向き合ってくれる。

 

それがとても嬉しいのです。

 

私も日々、劣等感でえぐられた

自分の体に向き合うことができるし、

それを克服しようと努めることができる。

 

アシュタンガを

日々実践するモチベーションは、

パーフェクトボディになることではなくて、

自分の体を向き合い受け入れていくことで、

今の体を愛せるようになるかも。

という期待にあるのかも。

 

アシュタンガで目指す到達点というか

魅力はそこにあると思っている。

 

アシュタンガに出会えたことに感謝。

さあ、練習頑張ろう!!

 

毬杏(まり)