後藤健二さんが殺害された映像が本物だったとしたら、
その日は後藤さんの召天日でもあります。
後藤さんは、キリスト教を信仰していて、
田園調布の教会で洗礼を受けたクリスチャンだったそうです。
そうだったなら、神さまはなぜ後藤さんをお守りにならなかったのですか?
信仰者が後藤さんの救いを求めて祈っていたのに、
神さまは後藤さんを見捨ててしまったのですか?
という疑問を抱く方も多いと思います。
けれども、イエス・キリストは、次のようにお語りになりました。
「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。
そんなものより、たましいもからだも、
ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」
(聖書・マタイ10:28)
悪魔は、人の体を滅ぼすことはできます。
しかし、人の魂までは滅ぼすことはできません。
人の魂は、神さまの御手の中にあり続けます。
「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、
キリストの死と同じようになっているのなら、
必ずキリストの復活とも同じようになるからです」
(聖書・ローマ6:5)
イエス・キリストが、私たちの救いのために十字架の上で死なれ、
そして、神さまによって復活させられたように、
キリストに従って殺された信仰者もまた、
神さまによって復活させられ、天の御国へと導かれるというのが、
聖書の約束です。
「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、
その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。
そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、
太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、
いのちの水の泉に導いてくださるからです。
また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
(聖書・黙示録7:14~17)
神さまによって天の御国へと召された後藤健二さんに、
永遠の平安と慰めがありますように。
→ 後藤健二さんの追悼