初七日 | 北風のきまぐれ日記~母のがん記録~

北風のきまぐれ日記~母のがん記録~

北海道在住/気まぐれ日記から題名を変更
母が膀胱がん告知、現在抗がん剤治療中。記録として残していきます。

本日、初七日を迎えました。あっという間です・・・

バタバタしているのは変わりがありませんが、

何とか旦那の助けも借りて頑張っています。

毎日、町内外の方が母の所へお参りに来てくれます。

こんなにも母は慕われていたのかと思うと、ありがたい気持ちでいっぱいです。

 

先週の今頃、長男も揃い、父も一緒に家族5人で病院へ行きました。

長男と会って、少しでも話ができるなら・・・そう思いながら病室へ。

もう痛くて痛くて、かなり辛い状況でした。

それでも、母は痛いと声も出さず独り耐えていました。

正座をし、ベットの淵に頭をつける状態でいます。

これは痛みが強くなってきてから、横になってもどんな体制でも体のやり場がないと言い

正座でいるのが1番いいような気がすると言って、どんな時もお座りの姿勢でした。

長男がすぐ横に座り「ばあちゃん、来たよ。大丈夫?」というと母は手を出し、

長男の手を握り、首を縦にうなずきました

痛み止めもギリギリの量まで使っていたので意識も朦朧としているのか、頭がズルっと

下に落ちますが、また頭を上げてベットの淵に付けます。

何回も何回もこの繰り返しでした。

長男との手も離れてしまったりしましたが、すぐ手を差し出し、長男の手を探します。

ずっとこんな状態でいました・・・

かなり辛そうなので、父にも確認し、看護師さんに「鎮静させてください」とお願いしました。

主治医に連絡し、薬が病棟に来るまで母には「もう少しでラクになるから、辛いけど頑張って」と言いながら励ましていました。

午後3時30分過ぎ、家族が見守る中、鎮静の薬の投与が始まりました。

一気に投与せず、少しずつ、少しずつ機械に繋がれた注射器から自動に押されて

投与されています。

10分、20分、30分・・・少しずつ眠るようになり、今まで正座の姿しか見たことが

なかった母がやっと数週間ぶりにベットに横になり、足を伸ばしました。

 

この日は父と私が病室で付き添いました。息子達はJRで帰宅。旦那も仕事のため、

この日は帰りました。

何回も病室へ様子を見に来てくれる看護師さんたち。時間ごとに床ずれにならないようにと

体の向きも変えてくれます。

無意識なのか、たまに「うーん」と声を出す母。

声を出すと父は「痛いのか」と聞きますが、母には聞こえているのかもしれませんが、

言葉は出ません。

夕方、主治医も来てくれて「ようやく眠ったね。少し楽になっているかな」と言って

母の手を握りながら「頑張りましたね。もう心配ないよ」と声をかけてくれました。

 

8日の朝を迎え、母の状態は落ち着いており、いつごろまで付き添う事になるのか

分からないため、交代で1度家に戻ることに。

ただ車がないので私が先にJRで移動し、知り合いに途中まで迎えに来てもらい、帰宅。

この日は兄の10回目の祥月命日。バタバタしていたので、叔母にお花やあげものを頼み、

先にあげておいてもらいました。

仏壇にお参りし、お寺へ行けないことを告げ「母さん、頑張ってるよ」とだけ告げて

父の車を運転して病院へ。

ほとんど寝ずの2時間半弱は疲れますね・・・

私が病室へ着いたのは午後3時過ぎ。母の首元には防水シートみたいなものが巻かれ、

口元には入れ物があります。

「どうしたの?」と聞くと、私が病室から出て数分後に何か吐いたそうです。

何も食べていないのですが、胃液のようなものが出たらしく、汚れてしまうので首元などに

防水シートを巻いたそうです。

そんな報告を受けた後、父と交代で付き添い。父は自宅へ向かいました。

 

夕方になり、何となく息遣いが荒いかなと思いましたが、血圧も下がっていないし、

酸素濃度もまぁまぁ大丈夫。

看護師さん達も何回も様子を見に来てくれます。

どうしても口から流れてくるものがあり、私はそれを拭きながら様子を見ていましたが、

呼吸音がゼロゼロに変わったので気管につまり、呼吸が出来ないと困るのでナースコールを

押し状況説明。

やはりかなり出ていて、呼吸しずらい状態だったので吸引し取り除きました。

息がしやすくなったのか、また眠りましたが、またゼロゼロし始め、今度はモニターの

アラームが鳴ったので看護師さんが急いで部屋に来て、再度吸引しました。

何となく血圧が下がり始めたような気がしましたが、すぐ100以上になるので様子見。

時間が経ち、口から流れるものを拭いてあげたり、声をかけたりしながら過ごしていました。

ずっとそんな状態でいましたが、またゼロゼロしはじめ、モニターアラームもなり、

看護師さんが来ました。

この時、午後9時近く。モニターの血圧は100ちょっとか98の間を行ったり来たり。

でも100ちょっとの方が多いです。

酸素濃度も下がったり上がったりで、落ち着かない状態ではありますが、急変するか

どうかは私にもわかりません・・・

しかし看護師さんが「ちょっと状態が変わってきているみたいだから、遠いし家族に電話して

きてもらった方がいいかもしれないなぁ」

「まだそうでもないけれど、下顎で呼吸しそうな感じなんだよね。吸引した直後はどうしても

血圧も少し下がったり、酸素濃度も下がったりするからそのせいもあるかもしれないけど」

「でも家からここまで時間がかかるから、来てもらった方がいいかも。連絡してもらおうかな」と言われ、旦那にすぐ連絡をし「今すぐって状態ではないけれど、ちょっと状態が変わって

きているようで、遠いから走ってもらった方がいいかもと言われたから父さんを起こして

きてほしい」と言って電話を切りました。

他の看護師さん達も病室に入り、呼吸しやすいようにクッションの位置を変えたりしていると、急にアラームが鳴りました。

心電図の波形も真っすぐ、血圧測定不可能、酸素濃度も10になったり0になったり・・・

 

吸引後、少し酸素が不足してしまうので、鼻から酸素を吸うようにしていました。

アラームが鳴り始め、口の酸素マスクの交換したり、バタバタ看護師さん達が動き始めました。

看護師さん達は母に「大きく息吸ってー」「休まないでよー、休んだら怒るよー」

「もう少しで旦那さん来るから」などと言ってずっと母を励ましていました。

私は母の頭の方にいて「母さん、大きく息吸ってごらん。酸素マスクついているから」

「すごく美味しい空気たくさん吸えるよ」と言ったりしながら息を吸うように願いました。

すると、母は大きく息を吸ってまた酸素濃度が上がり、またモニターが動き始めます。

それでもまたすぐ息を吸うのを休んでしまいます。看護師さんが優しく「休んだらダメだよ」

「ほらー、また休んでる」「息吸うの休んだらダメ」そして息を吸うと「そうそう上手だよ」

「休まないでしっかり息吸ってねー」と、フッと看護師さんを見るとその眼には涙を浮かべ

流れそうな涙を拭きながら一生懸命、母に話かけてくれてました。

そして数分後、今までつぶっていた眼を開けたので、頭の上の方にいる私は少し前かがみに

なり、母の顔をのぞき込みながら「母さんわかる?頭の上の方にいるよ」

「大丈夫だよ。側にいるから。もう少しで父さんたち来るからね。もう少し頑張って」と言い

横にはずっとお世話になっていた男の看護師さんがやはり目に涙を浮かべ

「横にお父さんじゃなく俺でゴメンね」と、そして反対の横にもずっとお世話になっていた

看護師さんが泣くのをこらえながら「嫌かもしれないけど私もいてごめんね」と言いました。

私は「お世話になっている人たちに囲まれて幸せだね」と言うと母は大きく息を吸って、

そのまま目をつぶりました。

「ほら、息吸うの休んだよ。息吸ってー」というとまた息を吸うような様子を見せました。

また目を開けたので、私がのぞき込み「母さんもう少しで父さん来るから、旦那も来るから」

「今こっちに向かっているから、待っててあげて」と言いましたが

すぐ目を閉じ息を吸うのもやめてしまいました・・・

「母さん、父さんに会わなくていいの?私だけでいいの」と言いながら声を掛けましたが、

モニターが戻ることはなく、そのまま息を引き取りました・・・

旦那に電話をしてここまで10分弱でした。

たった10分弱で母は天国へ旅立ってしまいました。

病室にいた看護師さん達に「ありがとうございました」と頭を下げ、

「母さん、頑張ったね。もう痛くないよ、やっと楽になったよ」涙は出てきませんでした。

息を引き取って間もなく旦那から電話が入りました。

「これから家の前出る、スピーカーにしているから父さんにも声聞こえているから」と

言ったのですが、もう間に合いません・・・

「母さん、たった今、息引き取ったから・・・間に合わなかった・・・」というと車の後ろに

いたであろう父親の声が聞こえ「兄ちゃんと同じ日だ」と叫ぶような声が聞こえました・・・

母が亡くなったのは兄と同じ5月8日。兄は午前0時35分、母は午後9時32分でした・・・

ちょうど亡くなって10年目。きっと兄が、母はもう十分頑張ったから、もうラクになろうよと迎えに来てくれたのかもしれません。

 

その後、死亡確認のため、主治医と担当医の先生たちが来てくれました。

主治医も涙をこらえながら、母の肩に手を置き、静かに話し始めました

「2年間。頑張りましたね。ここ数日間はかなりの辛さだったけど、本当に頑張りましたね

「もう痛みもないし、ガマンすることなくなったよ」そう母に言うと

「娘さんも2年間、よくここまで通ってくれました。娘さんも頑張ってくれました」

「どんなことでもすべて受け入れ、しっかり理解してくれて、僕も本当に助かりました」

「お母さんと病院に来ても、娘さんもお母さんも、いやな顔なにひとつせず、

いつもお二人でニコニコしながら僕にも看護師にも話しかけてくれて・・・」

そういうと、先生も涙で声を詰まらせてしまいました・・・

そして、それまで涙を流さなかった私は一気に涙があふれだしました。

「本当にお世話になりました。最後まで先生に診ていただいて母も喜んでいると思います」

というと、先生も下を向いてしまい、少し泣いていました。

「本当に最後は辛くて大変だったと思います。でもガマン強い、本当にガマン強い人でした」

そう言って「最後の診察をさせてもらいますね」と死亡確認のための診察です。

「呼吸ナシ、脈ナシ、意識反応なし。瞳孔反射ナシ。午後9時32分・・・」

「死亡と判断させていただきました。お力になれず、残念です・・・」と言って頭を下げました

 

「本当にありがとうございました」私の方こそ、いい先生が主治医で本当に良かったです

 

その後、カテーテルなど色々な管を取り除いたり、処置をするため、病室を出ました。