「愛している人の言葉だから強く影響されてしまったんだ!」
今朝、目覚めてひらめきました。
朝の目覚めのヒラメキはあたっていることが多いのです。
前の晩に眠りにつく前まで考えつかなかったことがよく来ます。
おととい息子の家に遊びに行きました。
息子は29歳。東京で一人暮らしをしています。
「お母さんが呼吸器を付けて苦しそうにしている姿を見たくない」と、
私がコロナに感染することをとても心配してくれて
息子の愛を感じ、とてもうれしかった。
ワクチン接種をした方がいいと思うとも言われました。
ここでするお話は、ワクチンをした方がいいとかしない方がいいとかのお話ではなく、
「人は」というところの
「心理」についての
「観察」「洞察」の話なので、
そのつもりで読んでくださいね。
私は、薬がとても効きやすい体質だという経験を今までに何度もしているので、することで具合が悪くなりそうなのでしないできました。
インフルエンザの予防接種でも、死にそうになるとか呼吸困難ではないけれど、具合が悪くなったことがあります。
出産の時に帝王切開で全身麻酔をして、手術後に目が覚めてから両足がそのまま金属の棒になってしまった様に重たくなり、足を数センチベッドの上で横にスライドさせることもままならないくらいでした。
妄想も続いて、点滴を引き抜いてしまいそうな自分も感じました。
「麻酔が切れて必ず痛み止めを求めてくるのに、こんな人いないわ」と婦長さんに言われたのを覚えています。
人一倍麻酔が効き続けていたらしい。
胃カメラを飲んだときも、
病院で出会ったある患者さんに
「うとうとしているうちに終わりますよ」と言われたけれど、
麻酔薬が少し入ったのを見ただけでその後全く意識がなくなり終わるまで何もわからなかったこともありました。
歯科の治療で麻酔が効きやすいから減らして欲しいと言ったことがあります。
ある歯科は「麻酔しないと痛いですよ」と全く相手にしてくれなかったのですが、
別の歯科医では
「では、麻酔を半分以下にします。治療中に痛かったら足すので、手をあげて伝えてください。」と
私の希望をかなえてくれました。
結果的に半分以下でも全然痛みはなく、
それでも告げられた時間より長く麻酔が効いていました。
歯科に何度も通っていた時期、
髪の毛がたくさん抜けて、
歯科の麻酔以外思い当たることがなく、
そのことについて検索してみたら、
麻酔で同じ様な経験をした人の記事を見たこともあります。
普段の食事は、無農薬や減農薬、オーガニックな野菜類、米類を中心に食べて、肉も自然なものを宅配するところで選んだものを食べているし、薬は基本的に飲まない生活をしています。
自然食品店で売っている様なものでも、「製品」になっているもの、例えばケールの青汁の粉とか、そんなものでもなんだか調子が悪くなるので、野菜や肉や米などの素材をそのままを自分で調理して食べています。
そんな私なので、
「ワクチンを半分にしてください」と打つときに言っても、してくれないでしょ」と
今まで接種することを検討しませんでした。
そんな私に、
息子が1ヶ月ほど前に
「お母さんはコロナにかからないと思っているんでしょ」と言うので
「かからないと思ってはいないよ。リスクはあると思っているから、手洗いもマスクもしているし、人が集まるところには行かない様にしている。人との距離もとる様にしている。」
と、答えました。
私は、以前は人を集めてイベントやセミナーをしたり、対面で個人セッションをするなどの仕事をしていましたが、
そういった仕事に一区切りをつけたところで
今は、父と息子の仕事の事務的なことを家で一人でしている様な生活なので、ほとんど人に会う必要がありません。
「私がかかるんなら、日本中の人がかかってしまうわ」とよく思ってきました。
息子は私と違う現実的なタイプなので、スピリチュアルな人の考え方を冷静に見ているところがあります。
そんな息子の言葉に自分を振り返り
「そうね、本当は、私はかからない、かかるはずはない」と思っているな」と気づきました。
全くかかるイメージを持っていない自分に気づいたのです。
でも、何事も100パーセントの確率というのは、この世界にはないのですよね。
なので息子に
「ありがとう。私かからないって思っていたよ。
スピリチュアルな人って、運命的に考えるところがあるんだよね」
と、伝えました。
スピな人は起こることを
「奇跡だ」
「これは偶然ではない」
「そうなることになっていた」
「これも祝福」
など、運命的に決まっていたことの様に受け取ったり
起こった物事や悪い人に対しても肯定的な意味をつけるなどの「解釈」をする傾向があると思います。
私もそうだからわかるのです。
確かにそういうことは言えると思います。
でも一方で
「事故ってあるんだなあ。
運命的に決まっていたことでもないし、本人の意向ではないところで思いがけず不本意に起こることってあるんだ」
と感じる経験をいくつかしてきました。
以前、とてもクリアに私が過去世で若くして亡くなってしまったときのことを思い出して号泣したことがあります。
事故でした。
「まだ死にたくなかった!」
とても悔しい思いと悲しい気持ちが溢れました。
友人の亡くなった息子さんの通訳をしたことがあります。
とても優秀で友人たちにも愛されていた大学生だったのですが、バイクを運転しているときに事故で亡くなったのです。
彼も死にたくて死んだとはとうてい思えませんでした。
シャスタに滞在している時、レムリアの文明が崩壊し、深い水に沈んでいく時のことをリアルに思い出したこともあります。
「一体何が起こったんだ!!」
驚愕の表情で一緒に沈んでいく仲間と見つめ合っていました。
レムリアの文明は、大きな時代の流れの中で終わりを告げる時が来たとも言えますが、
個人としては、死にたかったわけではないと言えます。
そんなことで
「事故ってこの世界にあるのだ」と私は思う様になりました。
この世界で体験することを生まれる前に計画として大まかに決めてきていると思いますが、細かなところまで全てのシナリオが決まっていたら、ただ台本をなぞるだけの人生、世界になってしまいますよね。
人には「自由意志」が備わっています。
この世界に悪が存在するのは、善だけでは善を自由意志で「選択する」という行為ができないからだと私は考えています。
悪も善も存在する。
その中で「善」を選ぶことにとても意味があるのです。
アダムとイブは、禁断の木の実を食べる選択と食べない選択があったのです。
だけれど食べることを自分の意思で決めて食べた
そこが大事だということですね。
自分が選択した結果を自分が体験することになる。
それが「自由意志」のすばらしさであり、全ては自分で自分に贈ったギフトと言えるのではないでしょうか。
辛い経験から学び、乗り越えていくのは大切なレッスンですね。
話が少しそれてしまいましたが、
自分の思っていなかった様なこと、予期せぬことも起こるというお話です。
そう考えると、私も感染する「可能性」ってあるなぁと思いました。
避けようと努力しても事故的な確率で。
私のガイドはどう思っているのだろうと思っていたら、ワクチン接種のことを考えていたとき
「利用できるものは利用すればいい」
と、一言言われました。
また、
息子といろいろと話して、カウンセリング的にワクチン接種について、自分がどう考えているのか、何を怖れているのかを話す機会ってとても大事だなぁとも感じました。
息子と話してわかったことは、
私の場合、コロナに感染するリスクよりも、
目の前のワクチン接種による具合悪くなるだろうというリスクの方が私にとってリアルに感じている
という気づきでした。
そういう人、多いんじゃないかなぁ
ワクチンは選択できるのでなおさら
「そのリスクをとりたくない」と考える人もいるのだと思います。
また、
私は自分の体をとても弱いと思っているけど、結構元気なんだよなということにも気づきました。
だから副反応ももしかしたら大したことないかもしれないと思ったのです。
そして、
医師に「半分の量にしてもらえませんか」と頼んでも、無理だと思いこんでいたことにも気づきました。
それもやってみないとわかりませんね。
信頼できる情報を集めることは大事なので、医師に直接相談してみることにしました。
つい数日前、8月上旬、街頭インタビューで
ワクチン接種をする人、しない人の両方にどう考えてそうしたかと問うた時に
「親がしない方がいいと言った」
「親からしてと言われた」という回答が何人かいて、
へ〜10代の大学生に対して親の言うことって影響あるんだねとちょっと意外でした。
もう自分で判断する時期だと思ったからです。
でも、愛する息子に感染を心配されて、
じゃあ、息子を安心させてあげるためにも接種するかな
なんて考えている自分に気づき
同じだね、と思いました。
そして、今朝の気づき
「人は愛する人の言葉に強く影響を受ける」
私は、そのことに気づきつつ
自分で考えて決めます。
息子は私が経験してきたことを丸ごと知っているわけでも、体験したわけでもないし、私の日々の行動や気持ちや状況を全て知っているわけではないのですから。
そして、選んだものの責任は、人のせいにはできず、自己責任だと私は思っています。
繰り返しますが
これは「人の心」の話
私の心の動きの話のシェアなので
そのつもりで受け取ってくださいね。
自己責任でお願いします。
では、また〜