猛暑続きですが、みなさまお変わりないでしょうか。私は週1のテニススクールで倒れそうになりましたあせる

 

さて、5月頃からプライベートで人と会う機会が増えたのですが、そこで以下のことを感じました。

 

私たちは、お互いに相手の話をあんまりちゃんと聞いてないのかも、ってことです。いちいち口には出しませんが、「え、そうだったっけ」「えー、それ前にも言ったよね」ということや、今思い出しても何を話してたかよく覚えていなかったりということが結構あったんですよねぐすん

 

カウンセリングでは相手のことを理解しようと一生懸命話を聴き、かなり細かいエピソードまで覚えています。でも、プライベートではそこまで真剣に話を聴いていないということを、約2年ぶりにお喋りする機会が増えて痛感したのでした。

 

それが悪いとは思いません。プライベートなんだから、リラックスしてお喋りを楽しめばいい。その代わりそんなに深い理解も求めない。それはお互いさま。

 

でも、わかってもらいたいと願う人は多いですよね。そして、わかってもらいたい人は自分をわかってもらいたいだけで、相手をわかりたいとは思っていないことが多い印象があります。

 

他人の目や機嫌が気になる人は多いけれど、他人の気持ちや背景に関心をもつ人は少ないのではないかと思うのですが、いかがでしょう。

 

あなたは誰かにわかってもらいたいですか。その誰かに関心はありますか。

 

私は10代20代の頃は、友人や恋人に何でも話してわかってもらおうという気持ちが強かったのですが、だんだんとそれは無理なんだと実際の人間関係で学ぶようになり、今では「わかってもらえなくてもしかたない。自分でわかっていればよし」と諦めや悟りのような心境です。

 

仕事では相手をわかろうと集中して話を聴いています。すべてをわかるとは思っていませんが、一生懸命わかろうとしています。私は人が何を考えているのか、それはどうしてなのかにすごく興味があるのでカウンセリングをするにはいいのですが、この感覚をプライベートに持ちこむのは不適切だなと、久しぶりのお喋り続きで改めて感じたのでした。

 

プライベートで相手とわかり合おうとするのは求めすぎで(わかってもらえたらラッキー、わかり合えたら超ラッキー)、何かを共有できることを求めるほうが安全で現実的なんでしょう。

 

そして、何かを共有できるからといって、他のことも共有できると期待し過ぎないことも大事。たとえば、いくら趣味が合うからといって、親友や人生のパートナーだと思いこまないとか。

 

私は、自分のことが自分でかなりわかるようになったので、誰かにわかってもらいたい欲求やわかり合いたい欲求は激減し、ひとり上手を驀進中ですウインク
 
どうしても誰かにわかってもらいたいと思う人には、カウンセリングがお勧めです。私でなくてもカウンセラーであれば、クライアントを精一杯理解しようとしてくれるはず。お金を払うのだから、安心して遠慮なく自分の話ができます。ぜひ一度体験してみてください。