私ま教育論と大学の求める人物像 | love-junのブログ

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聖書、陸上、防災、教育、女性問題などについて書いています。

70年間生きて思うことは、いつでも学びの時が与えられるということだ。

いろいろな役や仕事や趣味を通してしなければならないことが見えてくる。

そしてそこで新たな学びの時が生まれてくる。動かなければ学びの場は与えられない。

今は小学生が対象の仕事をしているので、児童心理を思い出しながら仕事をしている。

子どもの事を理解できないでは、現場で通用しないからだ。

ある大学の求める人物増という資料が手に入った。娘にも是非読んでもらいたいと思ってコピーして渡した。

私が学生の頃は中学卒業ですぐ社会に出て働く者が大勢いた。又金の卵と優遇されてそこそこの働きをして現在に至っている。

大学が求める人物像とは

1、「野武士」のような逞しさを持つ人物であり、自分の信念を強く持ち、愚直にも自分の道をまっすぐに突き進む者。

2、これまで触れたことのないような全く新しい文化に出会っても、臆せず自分の中に取り込む、そんなおおらかな器を持つ者。

 私もかなりこの路線に近い考えを持っている。女、男関係なく、健常者障碍者関係なく、外国人とも受け入れられる関係を保つことが出来る者。そのためには世界を歩き回れるような太っ腹でなければならない。

 私が子どもたちに望むことは、野武士的な生き方である。その為には自分で自立する分は自分で頭を使って稼ぎ出さなければならない。所詮パラサイトには出来ない事。そして親も学校を卒業したらサッサと家から追い出さなくてはならない。

二人の娘は学校を卒業するとサッサと出て行った。独立心旺盛であったのか、それとも私のそばで干渉されるのるのイヤだつたのか真意のほどは分からない。夫にも依存せず二人とも働いている。

私自身も夫に依存せず、働けるうちはというより死ぬまで仕事をしたいと思っている。

働き続けるということは時短料理、必要最低限の家事など学び続けなければならないことがいっぱいある。

それに女性は親類縁者とのお付き合いという難問が付きまとうことになる。難問をクリアーするタフさが必要になってくる。