種を蒔け、夜にも手を休めるな。あれかこれか…実を結ぶのは分からないのだから コヘレト11・6 | love-junのブログ

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聖書、陸上、防災、教育、女性問題などについて書いています。

昨日は雪が積もり、出かけようと思ったけれども又、マンションに引き返してきた。

「雪道で滑って骨折したらいけんから」と言いながら帰った。のんびりした一日だった。

決まってすることはして出かけようとしたので、後は何をしようかと…

大体そんな時は本を読む場合が多い。買い物に出かける○○君に「晩御飯鯛の鍋をするから」と伝える。

日本キリスト教団では『信徒の友』という雑誌には、祈る教会と読む聖書の箇所が掲載されている。

相知にいるときには良く、祈る教会に葉書を書いていた。しかし今は全くしていない。

2月は神奈川教区の教会が祈る教会になっていた。懐かしい教会名が並んでいる。

人口が減っているからか、信徒の数も随分減っている。

読み終えて、種まきをしていない自分を覚えた。牧師とは死ぬまで牧師であると言われる。

隠退しても、牧師であることは変わりがない。考え方によっては大変なことだ。

それを承知で、神学校に通い、牧師になるのだから。「引退牧師です」というと、途端に電話やメールが多くなる。

聞いて欲しい人がメールや電話をしてくる。電話してくる時も「○○さん、○○先生と呼ばなくてはいけないですか?」

「○○さんと呼んでください」と言って話が始まる。いろんな分からないことを聞いてくる人もあるので勉強が必要だ。

相知にいる時はあまり相談事はなかったが、福岡に来てからは相談する人は結構いる。

神奈川にいる時は長いファックスゃ長電話に閉口したこともあった。いろいろな人から。

今は日曜日の礼拝を守る程度の事なので、パンを水に投げているかというと投げていない。

2・11集会に出かけたときも、知り合いが数人いた。平和・戦争反対の仲間も大勢参加していた。

私が小竹に住んでいたときの知り合いの牧師婦人が参加なさっていた。ビラを配っていた私に「先生お元気ですか?」

子どもたちがまだ幼いときには、クリスマスプレゼントを届けていた教会の牧師婦人だった。

今考えると、信徒の時が野宿労働者の炊き出し、牧師家庭の事を祈る生活だった。種まきをしなければ。