~猫戸 緑(にゃこ ゆかり)プロフィール~
(この写真は62歳当時)
現在 65歳
埼玉に在住
4匹の猫と一緒に暮らす
第一部 最低な私と一筋の希望
一つも夢のない子供時代
山口県で生まれる
両親ともに再婚どおしで
腹違いの兄弟がいる複雑な家庭環境
その複雑な家庭環境ゆえに
経験したこといっぱい
全く夢もなく
生きているのか死んでいるのか
わからないような子供時代
親に甘えたことがなく
母を守ることを心の支えとし
精一杯で生きていた
母は異常なくらい世間体や
人の目を気にする人だった
「目立ってはいけない!」
「目立つと傲慢な人に見られるわよ!」
「おとなしく控えめな方が好かれるのよ!」
母から毎日のように言われていた
だから私は
自分の意見を言わず
おとなしく
ただただ
父の顔色を伺い
母の言いなりになった
子供の頃の私は
”私”を作り上げる要素である
“意思も感情も夢も”
なに1つとして
持っていなかった
“人並”の人
親のコネで入った
特に好きでもなく興味もない会社に入った
私じゃないとできない仕事なんて
1つもなくて
“誰でもできる普通の仕事”
家と会社の往復
大人になってからも
1つもやりたいことがなかった
“植物のように生きている”
その言葉がピッタリ
大人になってからは
人並みに恋愛をした
そして人並に
26歳の時、6歳上の人と結婚した
どこにでもいる
“普通の女”
個性のカケラもない
本当に”普通”だった
出産
そして、子供への虐待
結婚して3年後に妊娠
妊娠中に発覚した心臓弁膜症の為
東京大学の産婦人科と
循環器内科とでチームを組んでの出産
出産は命の危険があり
困難を極めたが
なんとか第一子目を出産
「心臓に負担がかかるので二人目はあきらめてください!」
「命の保証ができません。」
と言われたのに
兄弟をつくってあげたくて
その3年後に二人目を妊娠して
救急車で運ばれて出産した
2人の子供を育てるのに
必死だった頃
主人は
仕事人間で毎晩夜中の12時くらいに
帰ってくる
主人の実家も私も実家も家から遠かったため
頼る人が一人もいなかった
子供2人と24時間一緒の生活を
ずっと何年も
やり続けていたある時
虐待を始めた
虐待は暴力だけでなく
言葉の暴力
外に放置したり
置き去り
玄関に寝させる
トイレに閉じ込める
異常な勉強のさせかた
遊ばせない
あげくのはては
子供をおいつめて
自殺強要したりと
おぞましい限りを尽くした
当時、私は
“人としても”
“母としても”
最悪・最低のことをしていた
今まで”普通”だった私が
普通でなくなった。
止められなかった感情。
小さい頃からの抑圧が
気づくと
命をかけて生んだ
愛する我が子に刃(やいば)を向けていた。
眼の前が真っ暗になった
~脳梗塞~
虐待を繰り返していくと
当然のように子供達は大きくなると
家に寄り付かず
不良仲間と交流するようになっていく
二人の子どもたちは
警察にお世話になることが増え
毎日・毎日私はその処理に追われていた
精神的に次第に追い詰められていった
しかも夫は
子供の問題から逃げるため
単身赴任用のアパートを借り
全て子供のことは私一人に押し付けた
“もう限界だった”
そんな時
脳梗塞で倒れた
“左半身麻痺と言語障害の後遺症”
家は地獄
体は不自由
子供達は問題ばかり起こす
苦しすぎて
自殺未遂
全ての糸が切れた
そして私は逃げ出した
宮古島への逃亡
~ゲストハウスオープン~
全ての糸が切れてしまった私は
48歳の時
不自由な体のまま
夫、子供達を残し
4匹の猫だけを連れて
沖縄の「宮古島」へ逃げた
そこでしばらく心を癒したら
帰ろうと思っていたのが
4匹の猫がいたため
6LDKという広い家しか借りることができなかった
この家が私の運命を変えた
半年後、なぜか全く考えてもいなかった
ゲストハウスをオープンすることになる
私が開業したゲストハウスは
猫と泊まれることで話題になり大人気になった
約3年間での宿泊数3000人もの人が来てくれた
ほとんどの人がリピーターになってくれ
私の家に宿として集まってくれた
本当に本当に嬉しかった
なんの取り柄もなく
自分の意思もなくて
最悪なことをしてきた
私を
“慕ってくれる人がいる”
それが嬉しくて幸せで
夜な夜なリビングに集まりお客さんと色々な話をした
みんな
こんな私に
毎晩毎晩悩みを打ち明けてくれたんだ
そして
私に悩みを打ち明けてくれた人は
みんな元気になっていく
最初は不思議でしょうがなかった
“ただ聞いているだけ”
なのに
そんな毎日を過ごしていると
ある夜に気づいたんだ
“私には人の話を聞く才能がある”
ってことを
心の世界へ目覚める
~宮古島を卒業する~
この気づきは
“生き方を変えるスタート地点”
になった
そこから
心の世界が知りたくて
夢中でいろいろな本を読んだ
私が子供の頃から持つことができなかった
“目標・夢”
を見つけた瞬間
“自分の力で前に進んでいる”
まだまた小さな想いだけど
確実にこの時から
人を癒やすことへの
情熱の炎は芽吹いていった
ゲストハウスを4年経営した後
宮古島を離れる時に
全国からお客さん達が自腹で大勢駆けつけてくれ
2週間かけて引越し作業を手伝ってくれた
その時の感動的な話を
当時の雑誌「沖縄ジャーナル」が取材してくれ、
8ページもの特集を組んで掲載された
その時、仲間の大切さ・絆の大切さを痛感し
人を信じる気持ち
人を助けたい気持ちが
猛烈に湧き上がる
この経験が今の仕事に繋がっている
そして
連れてきた猫4匹を連れて沖縄を離れることになった
埼玉で猫カフェをオープン
宮古島を離れて
誰一人知らない埼玉に
猫4匹とともに引っ越したのは54歳の時
猫カフェを開業することにした
一軒家を借りて地域に密着した
小さな小さな猫カフェ
“私の新しい仕事”
だと思った
けど
リアルな私がやりたかったことは
違っていた
宮古島で
人と触れ合うことに楽しさを感じた
人の話を聞いて勇気ずけることに喜びを感じた
人を癒やすことにやりがいを感じた
”リアルな私”は
人を癒やす仕事をしたかったんだ
もう私は嘘はつかない
もう私は自分を抑え込まない
宮古島を離れる時
“私を生きる”
って決めたんだ
覚悟した時
私はすでに60歳を目前としていた
第一部 完
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