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カウンセリングサービスやなぎあこです。
『恋愛テクニック』金曜日「大人の恋愛術」執筆を、吉村ひろえ沼田みえ子とともに担当しております。

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※ケースの開示にご了解をいただきました。

 心より感謝をいたします。

【待ち焦がれ待ち望んだはじまり】

15年くらい飼っていた猫がなんの前触れもなく亡くなったと、クライアントさんから伺ったのが、ちょうど桜が満開の頃でした。あまりにもショックで、次の猫を飼うなんて考えられない、とおっしゃっておられましたし、当然の感情ですから、口も挟まず伺っていました。

徐々に衰弱して行くのではなく、本当に突然息を引き取ったお話は、何故かすごく印象的で、ひとつ、思ったことがあったのです。亡くなったわけですから、当然、肉体はなくなります。しかし、心理学は心の学問です。肉体には限界がありますが、心は無限です。

だからこそ。

なんだか続きがあるような気がする。
終わったかも知れないが、始まってもいるんじゃないか? 
例えば、関係各位が全員、待ち焦がれ待ち望んだ「愛し合えるよろこび」が。

猫ちゃんが亡くなったときのカウンセリングにおいては、文脈的に猫ちゃんが「神聖さ」を担っているなと感じていました。言うなれば、肉体を手放したからこそできるレベルの上昇、この世とあの世との境目に入って、神様へなかとりもちをしてくれているような印象でした。

「神聖さ」なくてはなし得ない罪悪感を手放すセッションでしたが、本当に綺麗に罪悪感が浄化され、光が差し込んでくる感覚がありました。ふくちゃんという亡くなった猫ちゃんが、罪悪感の浄化を確かに神様に取り次いでくれた様子だったのです。

次の猫ちゃんの話なんて、今はできるわけがないけれど。
でも、現れる気がする。
次の猫ちゃんが。

しかも。
かつて夢破れ、粉々になった心がもう一度再生するような、生きることがよろこびになる「意味」を携えて、現れる気がする。

桜が散り、徐々に暑くなり、梅雨の走りの湿気にうんざりする頃、伺ったお話はこう始まりました。

「猫が来ました。」
「うーん、やっぱりそうなりましたか。」

普段、滅多に通らない道だったのに。
道端の、草むらの陰から。
ニャア、ニャア、ニャア、と聞こえてしまったんです。

ぼろぼろで、傷だらけになった子猫がいたんです。

【同心円の別物語】

猫ちゃんやわんちゃん、小鳥さんなど、お飼いになっているペットのお話が、カウンセリングに登場することはよくあります。彼ら、人間の言葉は持ちませんが、本当に饒舌に飼い主の心を表してくれることがあります。とても繊細な部分で、あまり語られていない気持ちを教えてくれることが多いでしょうか。

突然亡くなったふくちゃんは、旦那さんが拾った子だったことを伺いました。クライアントさんのお母さんも、猫が捨てられていると放っておけなかったと聞いていましたし、みんな、猫を拾う人たちなわけで、クライアントさんも当然見捨てられず、連れて帰ることになりました。

しかしなんだか私には、猫ちゃんの方が、狙いすまして現れるかのように感じたのです。ここの家の子になる「意味」を持つ子たちが、現れる。

ふくちゃんが、また来てくれたんですかねえ、と言いかけてふと。違うな、それはちょっと短絡的にすぎる、との想いがよぎりました。何か、隠れている物語がある気がする。そんなわけで、伺ってみたのです。

私は猫ちゃんを飼ったことがないので、あまりよく知らないのですが、虹の橋を渡った向こうには「にゃんこ生まれ変わりセンター」があると、インターネットで見たことがあります。

我ながら、ひどいネットリテラシーだなと思いますが、とりあえず話を進めましょう。

ふくちゃんが虹の橋を渡って、ゆっくりとくつろいだあと「にゃんこ生まれ変わりセンター」を訪ねたとします。神様が聞くわけです。「君の希望は何かな? ご主人様はすごく寂しがっているみたいだから、あのお家にもう一度君が行ってもいいし、別の子を行かせてあげてもいいし。」ふくちゃんは、なんて言いそうですか?

……別の子を、と。

そうですか。じゃあ、拾った子は、ふくちゃんではないのですね。でも、強烈に「あなたに」拾われる必要があったのだと思うんですよ。捨て猫になって現れれば、あなたは見捨てないですよね。実際に、拾わざるを得ない、と思ったわけですから、確実に出会える手段を取っているとも言える。ふくちゃんは、ご夫婦には本当にお世話になって、心から愛され、満たされたから、今度は、別の子を行かせてあげたいと思ったのでしょう。だとしたら、拾った子は、どういう理由で、ふくちゃんが送ってきたと思いますか?

……寄る辺のない子、なんだと思います。

寄る辺のない。

まず、名前をつけようと、あの子を拾った5月2日の誕生花を調べたんです。すずらんでした。だから、すずちゃんにしようかと思ったんですけど、男の子の名前じゃないなあ、と思って、和名を調べて、きみちゃんという名前にしました。すずらんは別名を「君影草」って言うんです。

きみかげそう……。

小さくて可愛らしい花房に、誰かの面影を見る。
日本人らしい奥ゆかしい感性だなと思ったの当時に。
ハッとして、クライアントさんも私も同じことばを発しました。

「君の面影」。

当然、亡くなったふくちゃんの面影を見る子、だと言えます。しかし、一つの物語の裏にもう一つ、同心円の別物語があると思えたのです。

寄る辺のない子。頼れるところも、身を寄するところもない。クライアントさんは、隠れた寂しさに本当に繊細に共鳴することができる人です。行くところも帰るところもないきみちゃんの寂しさを、感受されていたのでしょう。

先代のふくちゃんから「にゃんこ生まれ変わり権」を渡されている、きみちゃん。クライアントさんに拾われ、出会う必要があった、きみちゃん。

「猫が来ました。」と教えてくださったとき、猫ちゃんの方からやってきた能動性を感じました。猫を拾いました、ではない、来ましたという表現。もちろん猫ちゃんにとって、拾われることは重要ではありますが、いちばん出会いやすい方法だっただけで、拾われることは手段に過ぎず、どうしても出会いたいという「意志」を猫ちゃんに感じたのです。

無意識のうちに、クライアントさんがつけた名前の意味は「君の面影」。


はるか遠くから想い焦がれた、面影。

【権威との葛藤を癒すレッスンに取り組み続ける】

ご自身のパターンを変えていこうと、とても真剣に頑張られている方でした。つながりの切れてしまっているところに、ご自分から愛を与えに行き、罪悪感を浄化して断絶を修復して愛を受け取るという、勇気と実行動が必要な課題に、真摯に向き合っておられました。

浄化された罪悪感は、愛と置き換わり、現実も変化してゆきました。

直面するには本当に勇気のいる、絶対に許すことが出来ない、許してはいけないすらと思えた被害者のパターンにも逃げず向き合われています。加害者を理解し、加害者の痛みにすら、自分の痛みを通じて共感し、つながりを作って許すことで罪悪感を浄化し、結果的に被害者のマインドを手放して、上位意識の無害者の視点を受け取るという、かなり成熟した課題に直面しておいででした。誰かのせいにしてしまいたい出来事もいっぱいありましたが、一つ一つ丁寧に向き合い、許しを選ぶお姿は本当に美しく、勇気があるなと思って援助させていただいていました。

クライアントさんの努力があったからこそ、ご家系を通じて本当に長く苦しんだ問題が終わろうとしてることも感じていたのです。

取り組んでおられるのは、権威との葛藤を癒すことです。
自分から見て権威のポジション、例えば、親や上司、先輩、パートナーなどなど、自分より「上」と思える人はみんな権威になりますが、人生の生きやすさや、幸せになりやすさ、成功しやすさは、権威とどれだけ愛し合えているかが深く関わっています。

権威と葛藤していると、権威のポジションにはなりにくかったり、うまく受け入れられなくて、無意識のうちに幸せも成功も壊したり、信頼を失うようなことをしてしまいます。

私たちは、いつまでも子供(依存)のポジションにいたいもので、まるで自分への呪詛のように「どうせ幸せにはなれない」とか「幸せがいいとは思えない」とか、あるいは「私が幸せでないのはあの人のせいだ」などと、かんしゃく(絶対に幸せになんかなってやるもんか)の表現としてどんどん引きこもってゆきます。

自分は何をして、誰を愛して生きていきたい人なのかの自覚があり、自分を表現できればできるほど、人に愛され、重宝され、人気が出て、いわゆる「売れっ子」の状態になり、パートナーシップも含めていろんなご縁もつきやすくなります。

しかし「社会からのまなざし」もある意味権威といえますから、嫌いだとか、許せないだとか感じている権威がいたり、あるいは心理的な距離が遠すぎて断絶している権威が多ければ多いほど、「社会からのまなざし」も怖いものになりやすく、目立つと攻撃されるように感じて、どうしても隠れたくなります。

権威との葛藤が強いと、人生から引きこもってしまうのです。

クライアントさんの場合、権威との葛藤を癒してゆくことで、まず、ご家業への気づきがありました。お商売においては、自分たちは何を与えることができるのかもっと開示して行けばいいんだ、とわかったのだそうです。当然、広告や集客する意識も変わります。どんな商売であれ「何をやっているのかわかるお店」であることは、とても大事だと思いますが、疎かにしている場合も非常に多いです。

自分を表現できれば、より商機も広がります。隠れたまま、幸せになったり成功したりすることはありません。

だからこそ、権威との葛藤を癒してゆくレッスンは、幸せになる上で、非常に大切なことなんですね。最終的には、私たちが一番の権威と心理的に捉えている神様との関係になりますが、「神様と相思相愛」と思える頃には、天命を生きている場合が多いでしょう。

いちばん身近な権威は、親です。
クライアントさんは、これまでお父さんに感じていた葛藤を超えて、自分からつながることをチャレンジされていました。少し前に「言いにくいことを言うレッスンをやってきました」とおっしゃるので伺ってみると、お父さんに、パパの娘でよかったと、伝えたとのことでした。もうだいぶご高齢のお父さんですが、本当に喜んでいる様子が伝わってきました。葛藤が癒され、お父さんの愛をありのままに受け取れていることを感じていました。

【寄る辺のない魂を迎えにゆく】

チャレンジを続けていくと「癒しどころ」とでもいうべき現実や記憶が出てくるものです。特に、無意識レベルに格納されている罪悪感は、病気という表現形を取ることが多いです。トラウマと呼ばれる、とても強い心の痛みが隠れていることもわかります。同時に「先祖代々伝わる問題」と言われる、家系から引き継いでいる罪悪感を見ることも出来ます。

いちばん身近な権威は親ですが、おじいちゃんおばあちゃん、さらに遡ってその上…と、ご先祖様の葛藤を取り扱うことがあります。私たちの心は無意識レベルでは全てつながっていると心理学では考えますし、ご先祖様が癒すことができなかった葛藤は、解決にやる気があり、問題の下に隠れた贈り物を受け取る必要がある下の世代が、無意識のうちに引き継ぎます。自分に起きている問題を遡ってみると、どうもご先祖さまも同じパターンで苦しんでいたようだ、と理解できることは本当にたくさんあります。

ご先祖様のことを丁寧に調べて行けば「癒しどころ」はとてもわかりやすく、解像度が高くなり、リアリティを持って癒すことが可能ですが、全く知らなくても、ヒントを捉えることは出来ます。

もちろん可能なら、さまざまな情報はお調べになった方が癒しは深く遠くにまで及びますし解決も早いですが、どうしてもノーヒントが続く場合や、深層心理のレベルで「邪魔」が入って先に進まないこともあります。多くの場合、とても深い葛藤が隠れています。

しかしどんな場合にでも出来ることは必ずあるので、ご本人のやる気さえあれば、本当に地味なことからコツコツと積み上げてプロセスに動きを出し、牙城を崩してゆくことは可能です。

私たちの心の一番奥に、ハイヤーセルフと呼ばれるとても賢い心があり、いつでも葛藤や問題を癒そうとしています。今、自分に起きている出来事は、過去に起きた出来事の再体験である、と捉えられる場合があり、もし似たような問題を何度も、ご先祖さまのレベルから繰り返しているなら、どうしても乗り越えられていない「先祖代々伝わる問題」の存在があり、まさに「癒しどころ」なわけですね。

長くかかった罪悪感の浄化が終わってゆくと、本当に奇跡的な贈り物を受け取ることができます。新しい命の形を取ることも多いです。

病気も、心理的には過去に起きた出来事の再体験と見ることが可能です。当代だけではなく、何代か前のご先祖さまが抱え持っていた罪悪感を引き継いで、病気として表現していると見立てられれば、取り組みには時間を要しますが、標的をひとつひとつ丁寧に癒していけばいいだけの話で、問題は必ず終わらせることができます。

クライアントさんからも、身体に謎の痛みが出ているのだ、というお話を伺っていました。

病気については、カウンセラーとしてはかなり慎重になりたいところです。医療の忌避は私たちの願うところではありません。医療(特に医師)には、隠れた権威との葛藤が投影されやすいために、必要な治療を忌避してしまう場合があることを念頭においておかれるといいと思います。

権威に対して怒りを感じていればいるほど、ご自身の隠れた攻撃性が投影されるため、無意識に医療から攻撃されるように感じて、忌避しやすくなったり、受診機会を失ったり、ジャンクな医療言説に飛びつきたくなる誘惑に駆られたりします。結果的に自己攻撃性の一形態として、医療の忌避という形で、権威との葛藤が表現されるわけですね。

人間は、複雑系の生き物であるために、どんなジャンルでもそうですが、完璧で万全な治療は世界には存在しません。どんな治療にも必ず、適応にならない場合があります。

しかしそれでも、医療は集合知の上に成り立つ「最大公約数」を治療に用いる科学の恩恵ですから、身体を治療し、回復させてゆく手段として、医療が担える分野はしっかり頼ってください。その上で、心理学的に捉えたときにできるアプローチがあります。心理学にのみ、治療の重心を寄せてはいけません。心理学的なアプローチをした結果、治療の方法が医療を通じてやってくることはとてもたくさんあるのです。

さて、クライアントさんは、この辺りのマインドが非常に整理整頓されている人ですので、私がお願いするまでもなく、かかりつけのお医者さんや、紹介されたいくつかの診療科で見てもらい、内臓疾患や感染症、脳神経系疾患も除外されているとのことでしたので、心理学的に今できることにあたりをつけて、癒してゆこうと考えました。

少し抽象的で、さらに人文学寄りの捉え方になります(心理学ですから当然ではありますが)。

身体に出ていたのは神経症状の様子が色濃かったですが、事実を「癒すためのナラティブ(物語)」に落とし込むと、神経、つまり「神への経(みち=道)」に、障害がありそうだと考えられそうでした。神様に抵抗がある方は「自力以外の大いなる力」とか「心の奥にある普段は意識できない非常に高度な意識」と捉えるといいと思います。神様の有無というより、自我の傲慢さの外にある、大いなる心、という感じです。

神様と遠く離れ、帰路には障害がたくさんあって、ひとりぼっちで、ふるさとに帰れずにいる魂の存在。

いくつかお話を聞いていくと、ふと、これではないかという人が思い当たりました。カウンセリングでは何度か名前が出てきた人でしたが、クライアントさんとは血縁者ではなかったために、ずっと保留され続けてもいたのです。しかし、何度も名前が出るのは「癒しどころ」の証拠でもあります。

クライアントさんのおばあちゃんは「はじめの結婚」の旦那さんを、戦争で亡くされています。色々とあって、クライアントさんのおじいちゃんと再婚されましたが、「はじめの結婚」の旦那さんの、ごくわずかな、愛らしい思い出を、孫に語ることもあったようでした。

何度か伺ったお話でしたが、短い逸話が妙に気になったのです。非常にプライベートで、人の心の柔らかい部分のお話なので内容は伏せますが、まるで「君の面影」を恋うかのような、同時に、損なわれたことのどうしようもなさが、伝わってくるお話でもありました。

おばあちゃんの「はじめの結婚」の旦那さんは、佐世保出身の軍医で、戦死をされています。それ以上のことはわかりません。

でも、佐世保は終戦の少し前に、大空襲で焼け野原になりましたし※1、もし従軍した軍医なら、敵襲にあって亡くなったことも考えられます。

ここまで考えたときに、ふと思ったことがありました。
時代という分厚い壁を突き破って、迎えにゆきましょう。

ひとりぼっちの魂を。

【おじいちゃん、辛かったね】

「戦争と読書 水木しげる出征前日記」という本があります。※2


『ゲゲゲの鬼太郎』でお馴染みの水木しげるさん(以下、敬称略)ですが、激化した太平洋戦争の兵隊として、赤紙(臨時召集令状)にて徴兵され、激戦地のニューギニア戦線でラバウルに出征されました。過酷な戦争体験を重ね、戦闘で負傷して左腕を亡くし、敗戦後復員しています。※3。


出征前、徴兵検査直後と思われるころに、ひと月ほど書かれた日記そのものと、日記が書かれた時代や文化的背景を含め、晩年の水木しげるに弟子入りした荒俣宏さん(以下、敬称略)が、解説した本です。

水木しげるは、戦争に行ったら帰ってこれないと思っていたようですが、出征する人は当然、口にはしなくても、皆同じことを思ったことでしょう。戦地で待っているのは、最終的に自分の死です。

荒俣宏は、水木しげるの書いたものとしては珍しく内省的であるということ、揺れ動いてはっきりしない、腹の座らないもがきは、おそらく当時の青年の普遍的な姿だったであろうはず※4、との旨を解説しています。

流行していた哲学関係の本を読み漁り※5、日記に思索を書きつけていますが、一度考え、強く持ったような意思も、翌日にはひっくり返ったり、ああでもないこうでもないと、はっきりしない物思いです。当然でしょう。自分が戦争で死ぬことの意味なんて、了解したくても、出来ないと思うんですよ。

死にたくはないからです。

ふと思ったことを、クライアントさんに聞いてみました。

もちろん、会ったこともないし、血縁でもないし、知っていることの方が少ないと思うのですが、「おじいちゃん」のことをーーーもし「おじいちゃん」と呼んでいいのなら、ですが、どんな人だったか、想像してみてくれませんか。

……頭の開けた人だったと思います。

きっと、そうでしょうね。お医者さんですからね、頭もいいでしょう。だとしたらですよ。
「おじいちゃん」は、自分が戦争で死ぬことを、どう自己了解したと思いますか?

クライアントさんはしばらく苦悶して、時間をかけて、とても誠実に答えてくれました。まるで「おじいちゃん」が苦悶のうちに、孫に伝えてくれたように感じられました。

お国のために死ぬわけではない。イデオロギーのために死ぬわけではない。
おそらく戦争に負けることもわかっていた。

思考停止もなかったなら。
それでも戦争で傷ついた人をなんとか生かし、生きられる人は生きられるようにして、自分が死ぬまでは軍医の仕事をし続けることで、生き切る、と思ったのではないのでしょうか。

皆さんに気づいていただきたいのは、「おじいちゃん」は、自分が戦争で死ぬことの自己了解について問われながらも、死ぬことの意味は、語らなかったことです。むしろ、死ぬまで生きることの意味が言葉になった。

正直、私が意地悪な質問をしているのです。なぜなら「答えの出ないこと」を問うているからです。
「ないことを証明」させる悪魔の問いを立てているのと同じです。

ここから考えられるのは、戦争で死ぬことに意味はないという、ひとつの事実です。
意味を思考すれば、戦争で死ぬことを美化したくなるかもしれない。美化したものを、意味と短絡したくなるかも知れない。

でも、意味って、存在理由ですよね。

「わたし」が世界に存在する意味。
存在には意味があるのです。どんな人でも。生きる意味のない人はいません。どんな人でも。
真実だから、打ち消すことはできません。

「おじいちゃん」は思考停止はしない人でした。
人は、なんのために生きるのかを、放り出さず考えられる人ならば、戦争で死ぬことを美化したくなる気持ちそのものが、真実から目を逸らす心の動きだとわかっておられたと思うんですよね。

「おじいちゃん」の語りは、重く苦しいものでした。
一つの想いが、どっと溢れてきました。

死にたくなんか、なかったですよ。
人が殺し合うことに、なんの意味もない。
なのに、自分は、死んでゆく。

あちらこちらから「助けてくれ」と叫ぶ、助けられない人を診る地獄。
いずれ自分も死ぬ地獄。

ああもうこれは。

心はばらばらの粉々で。
本当に無念のうちに、亡くなって行かれたのではなかろうか。

死にたくなんか、ないのです。
どれほど、生きたかっただろうか。
どれほど、おばあちゃんと愛し合い、幸せに暮らしたかっただろうか。

深い絶望と孤独が理解され、クライアントさんとカウンセラーが、同時にわんわん泣く瞬間ですが、ずっと泣くことすらできなかった「おじいちゃん」がようやく、泣くことができた安心感でもありましょう。泣いて、悲しみが表現されると、出来事は本当の意味で終わり、完了します。

かつて願った未来が、始まります。

私、孫の中では、おばあちゃんにそっくりだって言われるんです。一番似てる。
……ああ、なるほど。

「おじいちゃん」が気づくと。

遠い遠いところから、孫がーーーおばあちゃんによく似た孫が、ひとりやってきて。「おじいちゃん」と呼んでくれる。
辛く苦しい人生を理解し、泣いてくれている。

長くはない生涯だった人なら生まれ落ちた親以外に、家族を持てるのは奇跡でしょう。血縁はなくても、かつて愛した人のーーーおばあちゃんの面影は「おじいちゃん」が生きた意味になるはずです。

寄る辺ない人の手を握る人。
「おじいちゃん」と呼べば、寄る辺が出来る。おじいちゃんに、なれる。

ひとりぼっちの世界が、じわっと溶け始めます。
どんなに、温かなことでしょうか。

おじいちゃん、辛かったね。

トラウマは、起きた瞬間に冷凍保存されるといいます。解凍されず、数世代にわたって引き継がれることもある。目の前の人が辛かったねと泣いてくれたとき、私は辛かったのか、と気づけて、ぼろぼろと涙が溢れるということを経験した人もいるでしょう。誰かが、トラウマが起きた痛み苦しみを理解し泣いてくれると、温かく解凍されて、溶けてなくなってゆくのです。

全く手掛かりがない人でも、ここまで解像度が上がると、苦しみが理解ができます。
心から「おじいちゃん、辛かったね」と言える。

つながりが、回復します。
神様への帰り道が、回復します。
罪悪感が浄化され、愛に置き換わります。
現実も、変わります。

「戦争で自分が死ぬこと」の意味なんか、どんなにもがいても了解することはできません。
死にたくないという真っ当な拒絶が残ります。

でも「生きること」の意味は、すぐに生まれます。愛する人のため、と。

対人関係は、究極的に二択だと言われます。
殺し合うか、愛し合うか。

殺し合うことになんか、意味がないと心から思い知ったからこそ、「おじいちゃん」は、おばあちゃんと、どうしても愛し合いたかったことでしょう。

【愛ならば、必ず叶う】

「猫が来ました。」
「うーん、やっぱりそうなりましたか。」

普段、滅多に通らない道だったのに。
道端の、草むらの陰から。

ニャア、ニャア、ニャア、と聞こえてしまったんです。
ぼろぼろで傷だらけになった子猫がいたんです。

きっと、神様の提案はこうだったのですよ。


君は、人間の苦しみは全てやったから、今度は猫に産まれるのはどうだい。

生きる意味を、もう一度。
愛し合うよろこびを、もう一度。

一瞬、まばゆい光に包まれたかと思うと、ぼんやりと座っていた。気が付くと僕は「にゃんこ生まれ変わりセンター」と書かれた看板を見ていた。どこに行ったらいいか迷ったけど、首から妻の写真をぶら下げていたら、程なく声をかけてくる猫がいた。

……その写真、誰?

(ずいぶん福々しい猫だな。幸せな生涯だったのだろう。)
妻だよ。ずっと会いたかったのに叶わず、僕は戦争で死んでしまったんだ。

そうなんだ……。うーん、それにしてもそっくり。
あー、えーっと、神様に「君の希望は何かな? ご主人様はすごく寂しがっているみたいだから、あのお家にもう一度君が行ってもいいし、別の子を行かせてあげてもいいし。」って言われたんだけど、君ね、どうでもいいけどちょっと寄る辺なさすぎ。おまけにすごいガリガリだ。しょうがないなあ、これね、このカード「にゃんこ生まれ変わり権」ね、あげるから。絶対あの家に行って! ご飯も美味しくて最高だよ!

えっ?! 君は?

うん「にゃんこ生まれ変わり権」を誰かに譲ると「にんげん生まれ変わり権」をもらえるんだ!
だから気にしないで。

あっ、そうなの、ありが……

急に空からどすん、と落ちたのは、草むらの中。
ただでさえ、死んだときのまま、ぼろぼろで傷だらけなのに、身体を打ちつけた衝撃で、痛くて痛くて、泣くしかなかった。

ニャア、ニャア、ニャア。

近くに自転車を押す音と、人間の足音が聞こえた。草むらに入り、近づいてくるのがわかる。敵襲の記憶がよぎり、思わず身を固くし息を潜めていると、足音は遠ざかった。とりあえずほっとしたが、しばらくしたら、足音が、急いだ様子でまた近づいてきて、あっという間に身体を持ち上げられてしまった。心配そうに、今にも泣きそうな顔をして、僕を拾いあげたのは。

妻じゃないか。

ああ僕は。
ついに帰ってきたんだね。


愛おしい君よ。

はるか遠くから想い焦がれた、面影よ。

《参考資料》

佐世保市『佐世保空襲』「ホーム > 安全・安心 > 援護 > 佐世保空襲」https://www.city.sasebo.lg.jp/siminseikatu/simian/sasebokuusyu.html(参照日:2024年8月1日)

新潮社『Book Bang』「水木しげる「人を土くれにする時代だ」 出征直前の手記で語った戦争への思い(デイリー新潮 2015年7月7日 掲載)」https://www.bookbang.jp/article/506395(参照日:2024年8月1日)

《参考文献》

水木しげる・荒俣宏(2015)『戦争と読書 水木しげる出征前手記 』角川書店
水木しげる(1994)『コミック昭和史 第3巻 日中全面戦争〜太平洋戦争開始』講談社

《筆者注》

※1 1945年6月28日、29日に佐世保市街地は、米軍による大規模な空襲を受けました。

※2 初出は雑誌『新潮』2015年8月号、水木しげる「出征前日記」。

※3 『戦争と読書 水木しげる出征前手記 』巻末年表によると「1943年4月」に、臨時召集令状が水木しげるのもとに届いたようです。

※4 “私はそれまで水木しげる二等兵を「日本兵としてまれにみる自由主義者」と考えてきました。一種の「個性的思想家」であったとも理解していたのですが、今回の手記を読み、認識を改めました。武良茂(むらしげる)という青年は決して突出した個性の人ではなく、当時の全ての二〇歳となんら変わらない深い苦悩の中にいたことを、知らされたからです。その硬質な文章からして、後年発揮される「水木しげる」調の伸びやかな語り口とは異質なものです。武良茂は、日本の青年として、その苦しみや不安を文字通り共有していたのでした。”『戦争と読書 水木しげる出征前手記 』p7「はじめに」より引用、かっこ内「武良茂」のルビは筆者によるもの、水木しげるの本名。

※5 同書によると、当時は「出版」がブームで、今でいうエンタメの楽しみを読書に感じていた人はとても多かったようです。哲学や宗教学など洋書も多く翻訳され、形而上的で難解な本も、当時の人々には読んでゆく力があったとも言えますし、「知」への飢えを読書で満たそうとする、時代的な力動をも感じとれます。