カウンセリングサービスやなぎあこです。
『恋愛テクニック』金曜日「大人の恋愛術」執筆を、吉村ひろえ沼田みえ子とともに担当しております。

 

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「いちばん欲しいもの」は目に見えず、感じられるものであるからこそ。欲しかった人からはもらえなくても、必ずどこかから与えられていたと実感します。

心が傷つくような振る舞いを差し出さなければ、もらえないと誤解していた遠い日。人を信頼できるようになったのは、見返りを求めず与えることを学べたからだとも思うのです。

【強い痛みが隠れた欲求は重い】

もうずいぶん前の話ですが、恋愛が全くうまく行かなくなり、カウンセリングを受け始めたのは30代半ばでした。カウンセラーに「ああ、相手は重く感じるでしょうね」と言われたことがあります。申し訳ない気持ちになったのと、胸に痛みを感じたことはとてもよく覚えています。

私より少し年上の、同僚だったある女性を思い出しました。ご結婚はされていました。仮にAさんとします。同じチームになることがたまにありましたが、ある日頼まれごとをされました。メールアドレスを知りたい人がいるとのこと。

私が仕事を教えてもらっている男性でした。こちらはBくんとしましょう。私よりずっと若く、と言うことは彼女よりもずっと年下で、なかなかのイケメンでした。

余談ですが、当時私はイケメン恐怖症(?)なところがあり、彼は恋愛対象になりにくく、だからこそ気軽に話ができたのだと思います。きっとAさんはBくんに恋をしてしまい、仲良く見えそうな私に橋渡しを頼んだのでしょう。

しかしAさんは人妻です。
どうしたものかな、とためらいましたが、まあ判断は当人同士に任せようと思い、Bくんに「Aさんがメアド交換したいそうです」と彼女のメールアドレスを書いた紙を渡しました。

Bくんは、受け取ってくれました。

その後すっかり忘れていましたが、しばらく経ったある日、Aさんから声がかかりました。
「ねえ、Bくんにメアド渡してくれた?」

Bくんは連絡をしなかったのでしょう。Aさんは明らかに不満そうな顔をしていました。

メールが来ない理由を、Aさんはいろいろ考えている様子でしたが「ドメイン指定しないといけないのかな…」と技術的な意味で解釈しようとしていました。私は言葉には出さず(たぶんそういうことじゃない…)と思っていたところ、彼女は言いました。

「ねえ、もう一度Bくんに、私のメアドを登録したか確認してくれない?」

咄嗟に思いました。
この人、ちょっと重いな。

美人だし背も高くて素敵です。でも、滲み出る雰囲気がなんとなく重いと以前から思っていましたが、決定的になりました。

そもそも、彼にメールアドレスを渡すのも、教えてと頼むのも、ご自分でなさればいいのに。
恥ずかしくて、というのもわからなくないですが、中学生くらいならまだしも、いい大人です。意志を自分で伝えるのは当然だと思うのですが、私がホイホイと使われてしまったのもよくなかったのでしょう。

とはいえ、あまり人のことは言えません。

おそらく彼女のような雰囲気を醸し出していたはずなのです。カウンセラーに「ああ、相手は重く感じるでしょうね」と言われた頃の私も。

振り返れば20代は、あまり苦労せずに彼氏が出来ました。
若さというアドバンテージと、当時、私が抱えていた「無意識に誘惑をしてしまう」病理によるものが大きかったと思います。

思春期以降ずっと生きづらさを抱え、中学2年で学校に行けなくなり、初めてカウンセリングというものを受けました。もう40年ほど前の話です。まだ弊社は存在していません。時代的に心理職の「はしり」みたいな人に臨床をしてもらっていたのでしょう。

当時、指摘を受けた記憶はありませんが※1「無意識に誘惑をしてしまう」のは、性化行動と呼ばれる、心の痛み(トラウマ=心的外傷※2)を無意識に再演して、痛む心をなんとか受け入れて乗り越えようとする、心理的な自己治療※3の一環です。

20代に入っても間欠的にカウンセリングは続き、心理職の人に言われたことをまだ覚えています。
「あなた、男の子をすぐに家に上げたらダメなのよ。」

一瞬驚きましたが、すぐに強い怒りを感じました。当時の気持ちを翻訳すると、こんな感じです。

私には、優しくしてくれる人も仲良くしてくれる人もいなくて、生きているだけで苦しい。ようやく親しくなれそうな人がいても、近づかせてはいけないだなんて。欲しいものを取り上げるなんてひどい。私の気持ちなんて全然わからないのに、好き勝手なことを言って本当にむかつく。

指摘が、誰かの「下心」から私を遠ざけてくれていた事実には、残念ながら気付けないでいました。「歓待」や「親切」のつもりでも、妙齢の男女が部屋にふたりきりになるということは、セックスに同意をしていると捉えられかねないということがわからなかったのです。

同時に「無意識に誘惑をしてしまう」行動であったことも。

母は感情の起伏が激しく、おそらく今でいう軽度知的障害※4だったでしょうし、父は常に何かの依存症(特にギャンブル)でしたから、お世辞にも私の育った家庭は、親が親として機能しておらず、護られるとか、無条件で味方でいてくれる安全な感覚が育まれていませんでした。

すると、欲しいものがいつもない、という感覚がとても強くなります。

小学校の卒業アルバムに載せる、体操着の集合写真を撮ると先生から聞いて、母に新調を頼みましたが、勿体無いと取り合ってくれませんでした。父の借金を返すのに必死だった母に、どうしてもそれ以上お願いできず、そのまま撮影の日を迎えました。

襟ぐりが伸びて大きく開いたヨレヨレの体操着を着て、アルバムに載っている私を見た母が、気づいてやれなかった、ごめんねと言ったのは、成人してのちだったと思います。

欲しいものがいつもない。

だから、何かを差し出し交換するか、誰かから奪わないと欲しいものは手に入らないと、どこかの時点で強く思ったのでしょう。


「無意識に誘惑をしてしまう」のは、「下心」を持った人たちの欲求と、セックスを交換すれば「欲しいものに似た何か」が手に入ることを学んでしまったからだと思います。

本当は、セックスを差し出さなくても、大人は護ってくれるし、大切にしてくれる感覚が育まれないといけなかったのですが、私の育った環境では難しかったのです。

だからこそ、セックスを大切にする感覚がぼんやりしていて、大人であることも、性的な存在でもあることにも、自覚を持ちにくかったのですね。

心の一部が、時を止めているとも言える状態です。

【そんな事をしなくても 放り出したりはしない】

性的という言葉に「悪いこと」だとか「(消費対象としての)エロいこと」だとかのニュアンスを感じる人もいると思います。

しかし、性的な存在であるということは、本質的には「肉体を通じてもなお、大人同士対等に、お互いを思いやりを持って愛し合い、慈しみ合うことができる存在」という意味です。当然ながら、精神的な成熟がなされていないと、性的な存在であることを本質的には捉えにくいですし、気持ちよくなる欲求よりずっと心が満たされる、愛し合うよろこびも感じられません。

セックスをただの肉体の(器質的な)行為だと思っていれば、性的欲求の発散行為でしかないと理解するでしょう。セックスは相手あっての行為ですが、相手を、独りよがりなマスターベーションの道具にしてしまったり、欲求を押し付けたりしてしまえば、相手は重たく感じ、義務感を覚えることでしょう。

また、セックスは何らかの「痛み止め」として使われやすいです。ストレスの蓄積や、心に穴が空いたかのような寂しさは、器質的なオーガズムや、人肌で解消されるように感じられることもあるからです。本質的には満たされることはありません。だからこそ、商売としての性風俗業が成り立つのでしょう。

昨今は、性風俗の利用は男性だけではなく「女風」もありますから、女性も性的欲求をはけ口に持ち寄る事実が社会的に明示されているとも言えるでしょう。

もう少し歴史的な意味を持って理解するなら、本当に酷い話で恐縮ですが、戦場に「慰安所(買春行為をする場所)」が設置されたり、悲しいことに兵士が戦地の女性を強姦したりしたのは、狂気の「痛み止め」としての機能をセックスに頼り、むしろ当時の社会が能動的に「痛み止め」の機能を、セックスに転嫁したからでしょう。

昔、私はセックスというものをだいぶ誤解していて、なおかつ男性が女性を求めるのは性欲のためだろうと、大変荒んだ捉え方をしていた時期があります。

男友達に聞いたことがあります。風俗には行かないの? と。今思えば、人を侮辱した失礼な質問でしたが、当時はわかりませんでした。友人は彼女が欲しかったのですが、なかなかできないことを嘆いていました。彼は、答えてくれました。

風俗ねえ…行くんだけどもさ。でも風俗嫌いなんだよ、行った後にものすごく虚しくなるから。

そうなんだ、と彼の心を知ったのと同時に、何だか彼が私よりずっと大人に思えました。俺が欲しいものは風俗では手に入るものじゃないんだよ、と伝わり、何か重要な思い違いをしている感覚が芽生えました。

人を、愛も魂も宿る存在ではなく、物のように扱えば、もちろん、相手からも物のように扱われます。
人との関わり方を、根本的に間違えているのかも知れないと、気づき始めた頃だったように思います。

興味を持っていただけるとありがたいのは、セックスは、精神の行為にも肉体の行為にもなり得るために、だからこそ自分の存在価値を、精神ではなく肉体にのみ見出してしまっていると、セックスを「取引」に使ってしまいやすい、という事実です。

何かを手に入れるために、差し出されやすい。

私が好きな漫画のひとつに『螺旋じかけの海(永田礼路)』があります。


ネタバレを嫌って詳細は避けますが、虐待的な世界からのサバイブが希望を持って描かれています。非常に上質な暗喩表現に高められているからこそ、傷ついた心が癒される素晴らしい作品だなと思います。

少女が性化行動をとるシーンがあります。まさに、お願いを聞いてもらうため当然のように性化行動をとる悪気なさに、主人公はギョッとして、そんな事をしなくても放り出したりはしないと答えています。

心がひび割れた子どもは、大人からの庇護をもらおうとして、性化行動をとる、つまりセックスを差し出すことがあるのです。

欲しいものがある。
でもそれは、物理的なものではなく。

暖かさや温もりだったとしたら。
労りだったとしたら。

安心。
安全。

「愛されている」感覚。
「護られている」感覚。

誠実さ。
心のつながり、絆だったとしたら。

あなたは、何かを差し出さなくても、これらが無条件で与えられると思えるでしょうか。

【「私には当てはまらない」とずっと思っていた】

今、私は50代となり、ずいぶん心も癒されて回復し、たくさん間違えてきたなあ、という感慨とともに思い出すのは、子どもの頃からかなり長いこと「いちばん欲しいもの」が、どうしても手に入らないと感じていたことです。自覚的にというより、ある種の諦めともにありました。言葉にしてみれば「どうせ私には…」と始まる、幸せに遠い気持ちというのでしょうか。

誰かの大切な誰かを奪うような間違いも、「いちばん欲しいものに似た何か」を「痛み止め」に使う間違いも、たくさんしてきました。昔、傷つけた人たちには心からごめんなさいと思っています。

かつての私は、「いちばん欲しいもの」が何なのか、全くわかっていなかったからこその間違いだっただろうと捉えています。目隠しをしたまま、手探りで生きていた日々だったのが正直なところです。

「いちばん欲しいもの」。

例えば、パパ活やママ活をする人たちは、お金や高級品などを手に入れるために、セックスを差し出しますが、彼らが求めているのって、本当にお金や高級品なんでしょうかね。

一時的には満足できるとは思います。「自己肯定感のように思える別の何か」が満たされたかのように感じるかもしれません。しかし、本質的に満たされたなら、何かを手に入れようとすることも、手に入れた何かに執着することもないのです。

そもそも、手に入れるという発想が実は間違えていて、本当は「いちばん欲しいもの」はもらおうとしなくても、常に与えられているものなのです。抽象的ですが「恵み」のようなもので、なおかつ常に降り注いでおり、尽きることがありません。手に入れようとしなくても、当たり前に与えられているのです。あることにただ、気付けばいい。当然ながら、何かを差し出す必要もありません。「恵み」は気前がいいのです。

気付けるかどうかは、また別の話ですが。

常に降り注いでいる「恵み」を感じられないなら、感受性がしおれてしまっているのであり、自分が欲しいと思うもの以外は受け入れない心の狭さがあるのでしょう。手に入らないことが愛であることもあるのに。

「いちばん欲しいもの」が手に入らないのなら、と諦め、心の穴を埋めようとお金や高級品を求めているのかもしれません。手に入ったところでアドレナリンが出るのは一瞬で、決して持続可能ではないのにも関わらず。


あるいは「いちばん欲しいもの」が与えられるのが、心の底から怖くて、お金や高級品に目を向けているのかもしれません。人がいちばん怖れるのは、死ではなく幸せですからね。

いずれにせよ、心の奥に隠れているのは。
かつて「いちばん欲しいもの」が、求めても求めても手に入らなかったという絶望です。

本当は、常に降り注いでいたんですよ。
でも「もらいたかった人」からは、手に入らなかったのです。求めても、求めても。

だってその人のポケットは、空っぽだったから。
もうずっと。

だってその人は、子どもから奪わなければならないと誤解していたくらい、痛くひもじく苦しんでいたのだから。

いつだったか、誰にだったかも忘れましたが「心が粉々だね」と言われたことがありました。ガラスに強い衝撃が加わったかのように、感情が亀裂してしまっているのです。蜘蛛の巣のように細かなひび割れが、心を支配してしまっている。

胸が張り裂けてしまいそうな、到底受け入れることができないような強い痛みだけがある。常に降り注いでいると気付けないくらいに、心が粉々でした。

かつて私が「いちばん欲しいもの」を「もらいたかった人」も、心は粉々でした。

強烈な痛みを隠し持っていたのです。
痛くひもじく苦しんでいました。

深く傷ついている時って、否認するんです。私は平気、私はそこまでじゃない、私にはピンとこない、私には当てはまらない。

痛む心を認め、受け入れ、誰かに話したり、なんらかの形で表現することで心は回復します。もちろん適切なカウンセリングは有効に働きます。

粉々になった心は。

粉々になった瞬間で冷凍保存されています。
 

癒されること、回復することは、解凍されるプロセスを通ります。だから辛い感情をもう一度再体験する必要があるのです。これが、めちゃくちゃ辛い。

でも、出来事や衝撃を認め、受け入れ、感じた苦しみを分かち合えると、終わります。カウンセリングを利用される場合、信頼できるカウンセラーを選んで欲しいのは、過去を終わらせるために再体験せざるを得ない辛さを、信頼できる人から理解される必要があるからです。

個人的には、安全な場所以外では、直接的に表現されない方がいい領域の話だと考えており、また表現されずとも癒しは起きるし回復も叶うことを知っているので具体的には申し上げません。

家庭という密室では客観視できません。特に、こどもは。
「八つ当たり」が可能な限り最大化されたものだったのも事実ですが、同時に、子どもがひとりでは抱え切れないほどの苦しみを背負ったのも事実です。

ずっと後になってからしか、わからない。
ずっと後になっても、わからないことの方が多い。

ただ「いちばん欲しいもの」が、手に入らない。
ずっと。

だから、欲しくて欲しくて、たまらない。
頭がおかしくなるほど。

【「理想のお父さん」を求める依存を終わらせる】

数年前、重い病気の治療で入院していた時に、絶飲食が9日間続いたことがありました。点滴で器質的に水分は足りているはずなのですが、それでもなぜか欲しいのですよ。

水が。

いのちを護るために、なくてはならないものが制限されていると危機を感じていたのでしょうか。飲水は禁じられているので、唇を湿らせてもらったり、うがいをさせてもらったり。しかし、喉が渇いて仕方がありません。

水が、欲しくて欲しくて、たまらない。飲ませてもらえない水は、渇いた喉から手が出てきそうになるほど、欲しい。

ようやく点滴が終わり、飲水を許可されても、今度はどういうわけか、どんなに飲んでも満たされないのです。いつまた飲ませてもらえなくなるかわからないと、危機を感じていたのしょうか。

体液が薄まりますし、水といえども一度に多量を摂取すれば中毒症状になります。ついに飲水制限が出たほどでした。

それでも、欲しくて欲しくて、たまらない。
頭がおかしくなるほど。

カウンセラーに「ああ、相手は重く感じるでしょうね」と言われたとききっと、好きな人の話かなんかしていたのでしょう。

当時の私は、心が粉々で、本当は何が欲しいのか「いちばん欲しいもの」が何なのかわかっていませんでした。

ただひとときの慰みで得たものは「痛み止め」にすぎません。薬効が切れれば、また求めてしまうのです。回復しない限り、決して満たされることはありません。

むしろ、渇く。
虚しい。

欲しい、欲しい、欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい…と欲求の塊になっていました。

好きな人の話をカウンセラーにしながら、当の好きな人の気持ちは全然見えていません。自分がして欲しいことばかり。相手が重いと感じていることにはもちろん気づきません。

親切にしてあげていても、いつも見返りを求めている。誰かに依存したくてしょうがない。私をひとりにしないで、と。

残念なことに欲求というのは、案外、相手に伝わっています。BくんがAさんに何かを感じたように。私に見初められた相手も、重く感じていたはずです。

恋愛が、うまく行くわけありません。

一度結婚し、離婚をしたのち、カウンセリングを受け始めたのは30代半ばでした。若さというアドバンテージも消費したのちは、周りはそれなりに大人として扱います。「やらかし」を大目に見てもらえなくなります。

きっといろんな人から思われていたはずなのです。
この人、ちょっと重いな、と。

同僚だったAさん、当時30代の後半から40代前半と記憶していますが、彼女が独身かつ20代だったらまだチャンスはあったかも知れません。Bくんは20代でしたから、彼女のことを恥ずかしがり屋と可愛く感じたかも知れません。

しかし、名実ともに大人として扱われるようになってくると、流石に厳しいのです。ましてや彼女には、旦那さんがいたわけですから。

Bくんがメールを送らなかったのは、彼女の欲求を強く感じたからでしょう。何かを、奪われるような気にもなったかも知れません。既婚者と、仕事以外で個人的に親しくなるリスクを取る理由も、Bくんにはなかったのでしょう。

弊社のカウンセラーは「自分から愛を与えましょう」と言います。私も申し上げます。しかし、愛と欲求に混同があると、与えているつもりが、相手から何かを奪おうとしてしまいます。

奪うエネルギーが、伝わるんです。自分で思っているよりずっとずっと、伝わっているのです。相手が敏感なタイプならなおのこと、不愉快な気分になっていることが多いです。

奪うために与えるなら、愛ではありません。
相手から何かが欲しくて、与えているのなら「取引」と同じですよね。

愛は、見返りを求めません。
相手から何がが欲しくて与えているのなら、行動動機が愛ではなく欲求なのです。

一見、与えている風の欲求は、確実に相手には伝わっています。なぜなら。

重いからです。

弊社のカウンセリングを受け始めて、これまでとは違う感覚に気づくようになりました。好きな気持ちだと思っていたけど、ただ依存したかっただけなのではないか。

相手を大切にしたいという気持ちがあったかどうかも怪しい、自分の欲求しか見えていない、ひとりよがりなものを、恋愛だと思っていたのではないか。

私の父は、父親としてほとんど機能出来ず、私が14歳の時に生き別れています。成人前後までに、何度か会ったり、連絡が来たりしたこともあるのですが、今思えば、精神をかなり病んでおり、とても依存的で、残念ながらやはり父親として機能を果たせないでいることには変わりがありませんでした。

20代の頃かかっていた精神科クリニックの先生が「あなたのお父さんは不幸を再生産してばかりだ」と苦々しく言ったことをよく覚えています。

だからこそ恋愛が「理想のお父さん」を求める代償行為になる。幻想だけが、どんどん大きく膨らんで暴走し、お父さんに甘えられなかった分、欲求をどんどんぶつけてしまう。

30代半ばでもう一度弊社のカウンセリングを受け、カウンセラー養成スクールにも通い、少しずつ心を癒し、回復させていき、父を捉え直してゆく過程で、今の夫と出会いました。

しかし、ずっと喧嘩が絶えず、言ってみれば父への恨みを夫に代償させていたのでしょう。ある日夫に言われたことがあります。

僕はあなたのお父さんじゃないんだよ。

ああ。

私はまだ父を求めていたかと自分にうんざりしました。
 

しかしこの瞬間が、パートナーに「理想のお父さん」を求める依存を終わらせるスタート地点だったように思います。

【ルーツを洗い直し、ちゃんと気付けるようになる】

50代になって今、お父さんがいなかったり、機能していないかったお家に生まれた人のお話をとてもよく伺いますが、自分が通った道であり、癒やしてきた心と回復のプロセスを思うと、本当にしんどかっただろうなと共感しますし、虐待的な環境をよく生き延びてきてくださったとも思います。

カウンセリングでは、ご両親の話から、祖父母、さらに高祖父母と世代を遡って伺ってゆくこともあります。「機能不全」は家系の問題として受け継がれていることが多いからです。

 

どこかの時点で強烈な、到底受け入れられず耐え難い心の痛みが隠れていて、粉々になった心が、精神症状や障害を生み出していたり、暴力的、虐待的な環境を生産し続けていることは、とてもよくあるのです。

父は生前、親父に愛されなかったとずっと言っている人でしたが、いつまでも僻みっぽかったのは横に置くとしても、祖父は五男で養子に出され、養子縁組先はなぜかシングルマザーの家でした。

 

つまり祖父も「お父さんがいない人」だったのです。息子たちにうまく関われなかったのは事実でしょう。加えて、戦争に行き復員しましたから、祖父の戦争体験に思いを馳せると、粉々になった心の「始まり」を感じることもあります。

「あなたが欲しいと思うものは、あなたが与えに来たもの」という心理学の格言があります。

私たち夫婦はこどもを持つことが叶いませんでしたが、ありがたいことに、カウンセラーとしてもプライベートでも、親のような気持ちで関わる人がたくさんいます。

カウンセリングでは厳しいことも申し上げますが、多くの場合、お父さんがいない、機能していないなどあらゆる事情で、お父さんとの心理的距離が遠い人に対して、「その人のお父さんが本来しなければいけなかったこと」を代わりにさせていただいているようにも思います。

 

誠実さを求められますが、誠実であればあるほど、私の父が私に与えることができなかった誠実さが育まれるように思います。

「あなた、男の子をすぐに家に上げたらダメなのよ。」と、私の心に介入した心理職と、同じことをしているのも因果ですが、あの一言で多く「庇護」されたのは事実です。与えてもらったものはその人にではなく、他の必要な人に与えると、幸せが広がるなんて言いますよね。

必要な人に、適切な形で愛を与えることできっと、私の心に「真実のお父さん」が宿るのでしょう。不思議なもので「真実のお父さん」を感じるとき、父を恨む気持ちは湧いてきません。間違ったことをたくさんして、与えるものが何もなかったのにも関わらず、それでも父のできる限り精一杯で与えてくれた瞬間を思い出すのは、父の真実の姿をどこかで感じているからだと思います。

最晩年、父はお寺さんに通った時期があったようでしたが、父だって本当は「真実のお父さん」を生きたかったはずなのです。もし私の心に宿る「真実のお父さん」が、父の実存を書き換えていけるのならば、父の望みは私の中で叶っているのでしょう。

かつて私を生きづらさに悩ませた、頭がおかしくなるほどの「欲しい」は、とっくに消えていました。

子どもの心を傷つけるような生き方しか出来なかった父の人生を、ただ辛かっただろうなと思います。
父をうまく愛せなかった祖父を、ただ辛かっただろうなと思います。

人は愛したい生き物です。
愛せないのは、苦しいのです。

桜も散りました。
他人様のものであれ、自分の家系のものであれ、苦しみを、確実に終わらしてゆこうと、改めて思います。

「ねえ、もう一度Bくんに、私のメアドをもらったか確認してくれない?」と、不満そうに言ったAさんにも「いちばん欲しいもの」が手に入らない感覚があったのでしょうか。

 

事情は全く知らないけど、周りが重さを感じるとき、いのちを護るために必要な何かを渇望する欲求が隠れていることは、とてもよくあります。

うまく愛せない苦しみが連綿と受け継がれ、彼女もまた、苦しんでいたのだろうと思います。そうでなければ、旦那さん以外によそ見をしたくはなりません。

機能しているお父さんがいちばん心を砕くのが、悪から子どもを護ることです。不思議なもので、子どもを護りたいお父さんの想いが、さまざまに人や環境を変えて再現されることがあります。

Bくんが、彼女にメールを送ることがなくてよかったと思うのです。もしふたりがうまく行っても、誰かを裏切ったり、誰かから奪ったりする罪の感覚に、ふたりは苦しみます。ここから真人間になって、真実を生きるには、相当な覚悟が必要なのです。

Bくんのメールアドレスが手に入らなかったからこそ、「いちばん欲しいもの」が、Aさんに与えられていたと私は思います。

行く手を阻まれたり、思い通りにならないことが実は、不幸の回避ルートに乗り、後になって「庇護された」と感じられることは、往々にしてあるからです。


《参考資料》

厚生労働省『 統計情報・白書 > 各種統計調査 > 厚生労働統計一覧 > 知的障害児(者)基礎調査 > 』「調査の結果」https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/101-1c.html(参照日:2024年4月18日)

NHK『クローズアップ現代 全記録since1993』「なぜ今も多くの人が? 気づかれない大人の障害」https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4480/(参照日:2024年4月18日)

cansawa『児童養護施設職員からあなたへ』「性的虐待の恐ろしさを知ってください 被害者が苦しむ本当の理由は? 愛情を知らない子どもたち」http://cansawa.livedoor.blog/archives/11650541.html(参照日:2024年4月18日)

高比良美穂(監修:冨永良喜)『寺子屋朝日for Teachers』『「トラウマ」と「フラッシュバック」と「地震ごっこ」』https://terakoya.asahi.com/article/15149318(参照日:2024年4月18日)

《参考文献》

森田ゆり(2008)『子どもへの性的虐待』岩波新書
永田礼路(2019)『螺旋じかけの海【新装版】(1)』 Kindle版
松田恵示(2013)『「津波ごっこ/地震ごっこ」とは一体何か?』『子ども社会研究』19号 35〜45頁 
ジュディス・L・ハーマン(1991)『心的外傷と回復<増補版>』(中井久夫訳、小西聖子解説)みすず書房

《筆者注》

※1 1984年ごろ、日本、東京での話です。

※2 『一九八〇年、史上初めて、心理的外傷に特徴的な症候群が「現実の」診断名となった。この年、アメリカ精神医学界は精神障害についての公式マニュアルを発刊し、その中に「外傷後ストレス障害」(PTSD)という新しいカテゴリーを加えた』『心的外傷と回復<増補版>(ジュディス・L・ハーマン)』37頁より。

※3 大災害の後、避難所や仮設住宅などで、子どもたちが「地震ごっこ」や「津波ごっこ」をして遊ぶことで、心的外傷(トラウマ)を克服しようとする心の動きがあると観察されています。周りの大人はたしなめるのではなく、見守る必要があるとする考え方が主流です。マスメディアが報道を繰り返したことにより「地震ごっこ」や「津波ごっこ」は認知が高まりました。到底受け入れられない事実を受け入れようとする、無意識的な治癒の力動である「自己治療」のひとつでしょう。ただし、災害のごっこ遊びにさらに傷つく子どもや、大人でも不愉快だったり苦しく感じる人たちの存在を除外して考えていいのかという視点もあり、ごっこ遊びでのトラウマ克服に関してはまだまだ誰もが手探りであるというのが実情のようです。

※4 軽度知的障害は知能水準(IQ)がおおむね51~70の領域にあるとされています。『「知的機能の障害が発達期(おおむね18歳まで)にあらわれ、日常生活に支障が生じているため、何らかの特別の援助を必要とする状態にあるもの」と定義した。』『知的障害児(者)基礎調査:調査の結果(厚生労働省)』より。

 

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