カウンセリングサービスやなぎあこです。
『恋愛テクニック』金曜日「大人の恋愛術」執筆を、吉村ひろえ沼田みえ子とともに担当しております。

 

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浮気をして、母や子どもたちを捨てたのは事実。ギャンブルや借金癖が治らず、親戚中に迷惑をかけたのも事実。
全ての罪を償うかのように、最晩年は生活保護を受けて施設で亡くなったのも事実。戦中に生まれ、戦後を生きたのも事実。父の一生を想うと、様々感じるものはありますが、ただ言えるのは。


それでも、お父さんのことは嫌いになれなかったな、ということ。
 

父の人生がなぜひどく辛かったかを理解してゆくたび、父の置き土産を受け取れるように思うのです。

【お父さんとの心理的な距離の遠さ】

お父さんとあまり関わりがないとか、お父さんをよく知らないとか。
ご事情によっては、会ったことがないとか、離れて暮らしたとかの理由で、お父さんと心理的距離が遠い方のお話をよく伺います。

私自身も、父に遁走(とんそう)の傾向があり、家にほとんどおらず、また思春期の多感な時期に生き別れ、大人になってから再会を果たした経験があるので、父がよくわからず遠い事実は、体感的に非常によく理解できます。

お父さんとの心理的な距離の遠さ。

恋愛を含めて関係がうまくいかないとか、仕事をやる気になれないとか、あるいは現実を前に進めてゆく力が出てこないとかの「生きづらさ」と、とても深く関わりがあります。

心の中でお父さん像は非常にぼんやりしています。
ちょっとお父さんをイメージしてみてくださいと言われても、全く思い浮かんでこなくて困ったことが私にもあります。

現実的にも男性との距離が遠くなりやすいです。

お付き合いしても、なかなか関係が深まらない。遠距離である。関係が継続せず、すぐ別れてしまう。このあたりは割とわかりやすいかも知れません。

また、お父さん像がぼんやりしていれば当然、お父さんの気持ちもよくわからないため、全般的に男性の気持ちもよくわからないものとなります。

すると、こんな感じのことが起きます。
無意識にパートナーに自分の考えを押し付けてばかりで嫌われてしまうとか、あなたを優先するためにパートナーが我慢していることに気づけなくなるとか、愛情にあぐらをかいてしまうとか。

人間扱いしていないとか。

これ、笑い事でも決して大袈裟な表現でもなく、とてもよくあります。家庭なら、お母さんとこどもたちが癒着して結託してしまい、常に頭数に入れられていないお父さんって結構存在します。夫婦関係がうまく行っていないためにお母さんが言ったお父さんの悪口を、子どもがそのまま信じてお父さんを非情な悪者だと思っていたり、お父さん対お母さんの喧嘩でも、子どもは全てお母さん側についていたり、お母さんがお父さんを無視するから子どもたちも真似て、お父さんを無視していたりなんてこともよくあります。

私自身も、逃げてばかりでなかなか家に帰ってこない父が、家族旅行の前日に帰ってきたときに、お帰りなさいではなく「あらいらっしゃい」とまるで珍しい客を迎えるような口をきいたことがあります。ちょっと嫌味でも言ってやる口ぶりですよね。きっと言い方は母にそっくりだったことだろうと思います。父の気まぐれで帰ってきただけだと当時は思っていましたが、家に帰りづらく彷徨っていた父が、それでも旅行の約束を守ろうとしたはずです。でも父の気持ちには気づけませんでした。8歳の娘の嫌味は父の心にさぞや冷たく刺さったことと思います。

お父さんも人間なので冷たくあしらわれていれば悲しいですが、お母さん側についていれば、お父さんとは心理的距離が遠くなり、お父さんが裏で心を痛めている事実に気づかないんですね。気づいても意地悪されるのは当然だと思うでしょう。結果、お付き合いする男性が裏で心を痛めている事実にも気づきにくく、気づいても許せずに意地の悪い態度を取ってしまうのです。

お母さんの怒りの世界からお父さんを見ている状態ですが、お母さんと心が「癒着」していると心理学ではとらえます。

【権威の気持ちも気づきにくい】

さて、お父さんとの心理的距離の遠さを通じて、男性の気持ちを理解しにくいというお話をしていますが、同時に、依存側にいるときに自立側の気持ちを理解しにくいとから起きる、権威との問題のお話だとも思ってください。

お父さんとの心理的な距離が、実は恋愛だけでなく、権威に愛されることとも深く関わっています。権威に愛されにくいと人生がハードモードになりやすく、生きづらさとしても表れてきやすいです。

対人関係では権威のポジションが自立側です。
例えば、上司や先輩、組織のトップ、キャリアの長い人、ベテラン、社会的地位の高い人、有名人などなど、最近だとフォロワー数の多い人なんかも入るでしょうか、ともかく、その人にどういう感情を抱くかは別として「すごい人」「えらい人」と見られやすいポジションが権威で、自立側です。親への隠れた感情が映し出されやすいのも、権威で、自立側です。

依存と自立の立場は、関係性によってさまざま変わります。
上司との関係を考えれば、依存側の気持ちを、後輩との関係を考えれば、自立側の気持ちを自動的に感じます。

また、普段、あまり人を頼ったり、心を開いたりすることなく自立的に生きているなら、会社では「できる人」に見られやすく自立側(実際に自立的に生きている人は仕事が出来ることが多いです)ですが、そういう人は大抵、プライベートでは強く抑圧している依存心が出てきやすいので、恋愛関係ではどっぷりと依存側になる場合が多いでしょう。

お父さんは、私たちの心の中においては、自立側、権威の象徴です。神を父と呼ぶ宗教もありますよね。だからでしょうか、うっかり、お父さんに神様という最高権威を見てしまうことも多いです。

人間である以上、不完全で当然ですが、完全無欠な神様のようになんでもできると無意識に思い込んでいることもあるのです。お父さんのダメなところや弱いところ、あるいは「私がして欲しいように」愛してくれなかった事実(仮に当時のお父さんには出来なくて当然のことだとしても)を見ると、ひどくがっかりすることがあるのは、自覚なくお父さんを神様と認識しているからです。

お前は神様のくせになぜ出来ないのだ、なぜお前は「私がして欲しいように」愛さないのかと、怒っているわけですね。「私がして欲しいように」愛されないと、お父さんに愛されなかったと誤解しやすいですが、無意識でお父さんに神様を見てしまいやすいために、非常に面白いもので、結果的にいわゆる「運」に恵まれにくくなります。

まあ、普通に考えて、怒っている人って好かれにくいですから、周りも何かしてあげようとは思いにくいですからね。「運」も逃げるというわけです。

お父さん自身が問題を抱えていればいるほど、子どもがして欲しいようには愛せません。人間は愛したい生き物ですから、愛せないのはとても苦しいので、お父さんは責められているように感じ、あらゆる形で攻撃(反撃)をすることもあります。感情的に当たったり、暴力を振るったり、あるいは私の父のように遁走したり。

男性は、肉体的には女性より強いからでしょうが、女性より自分の攻撃性をシビアに見ていて、人を殺してしまうほどの怒りと捉えていることはとても多いです。怒りが出てくると殺してしまうと感じる場合は、状況を回避する方に努力を重ねるので、結果的に逃げることは選択されやすいでしょうね。

カウンセリングでは、こんなおっしゃり方を本当によく伺います。

うちのお父さんは、お母さんや私たちがけなしたりバカにしても、ヘラヘラ笑って「そうだなあ」としか言わないんですよ。そのうちふらっとコンビニなんかに行ってなかなか戻らず、まあ、お土産買ってきてくれますけど、私の好みのお菓子はないし、うちのお父さんってすごく鈍感なんです。

果たして、本当でしょうか。

お父さんがよく分からないと、権威のポジションの人が何を感じているのか、よくわかりません。当然ながら、実は裏で心を痛めている事実があっても気づきません。ぼんやりした解像度は、よく見えないからこそ何一つ真芯に当てられず、結果さまざまな悲劇を生むのです。

【権威に愛されにくいと生きづらい】

権威のポジションの人にお世辞を言ったり、良い自分をアピールしたりすることってありますよね。先生に気に入られようとする子を覚えている人や、ご自分が先生に取り入ろうとしたことがある人もいるかも知れません。やりすぎると欲求のみが前面に出るので、大人といえど押し付けられている感覚を覚えるために嫌われてしまいますが、それでも、権威と関係が近いと目をかけてもらえるとか、特別扱いされるとか、いいことがあるとかの感覚を、私たちはどこかで知っているわけです。

幸せになったり、成功したりするには、ふたつ条件があります。どちらに偏ってしまうと、頭打ちになり、上がって行けません。

ひとつは、自己努力。誰かに代わってもらうことは出来ない部分です。
例えば、私は、病気の後遺症で残存した構音障害のリハビリも兼ねて、2週に一度、能の謡曲のお稽古をしていますが、予習復習欠かせません。自主練習の努力をしなければ、身につくはずがないのは当然ですよね。

もうひとつは、誰かからの応援を感じられること。特に、権威のポジションの人から。
お稽古の例で言えば、私の先生は、社中(お弟子さんたち)のことをとてもよく見ている人で、一挙手一投足に目配りされているのがわかります。私が他のことに気を取られてよそ見していると、先生の視線に気づきハッとして集中しなおすことがよくあります。練習が足りなければ容赦無く指摘が飛びますし、叱られずじっと聴かれていればそれはそれで緊張しますが、大切に育ててくださろうとしているのがとてもよくわかります。

自己努力をしないのは論外ですが、応援を感じられければ孤独すぎて努力が継続しません。
ふたつ合わさってはじめて、幸せや成功は実現します。

お稽古の文脈を引き継げば、自己努力と、先生の応援とで少しずつ前に進み、残存した構音障害と声量の低さはかなり回復してきました。長いことお休みしていた講演のお仕事に復帰する可能性も見えてきました。また、努力を認めていただいたのか、先生からは本当に素晴らしいお舞台での発表会のお話をいただけ、一緒にお稽古しているお姉さんふたりと舞い上がってしまいました。お話をいただいた日の私たちは、あの憧れの舞台でとよろこびに溢れました。私たちは社中の末席も末席ですが、だからこそ先生に恥をかかせるわけにいかず、より一層お稽古が必要で、気持ちが引き締まります。

もし、誠実に権威に関わることができたら、権威も応えてくれて、権威だから与えられるものを、惜しみなく分かち合ってくれるのです。

さて、お父さんに愛された感覚が強い人ほど「見出される力」が高いです。権威から後押しされやすいのですね。

特に仕事において、強運を発揮します。
抜擢されるとか、自分の力だけではどうにもならない幸運に恵まれるとか、次々に仕事の依頼が来るとか、大型案件を任されるとか、つまり、権威のポジションの人が見出してくれるわけですね。アーティストの成功は、パトロンに出会えるか否かにかかっているなどと言いますが、事実でしょう。

もう少し補足するなら、才能にパトロンが惚れ込んでくれるか否か、成果物に対してパトロンがよろこびを覚えてくれるか否か、つまりパトロンの心を癒せるか否かにかかっているわけです。もちろん、アーティストに限ったことではなく、このアーティストとパトロンの例は、あらゆる仕事で成功するエッセンスが詰まっていると私は感じています。

仕事というのは生きざまと深く関わりますから、本当の自分を生きられることと、権威に愛されることとは切り離すことができない話題です。

パトロンに出会う力、つまりアピールする力も大切ですが、本当の意味で自分を支えてくれるパトロンは、アピールよりも成果物を見ています。どちらかというと頑張っているアピールは嫌われる印象がありますね。子どものえこひいきして欲しい気持ちを見抜いた先生がいたように、気に入られたいだけで努力が継続しない人は見抜かれます。無言の努力は成果物に反映されますから、成果物から逆算して、信頼できる人か否かを見極めるわけですね。

また「見出される」状況において、お父さんとの間に葛藤が強い(お父さんに批判的だったり嫌ったりしている)人は、うまく行き始めても調子に乗って失敗したり、なぜか対人関係の問題が起きてチャンスを潰したりする傾向があるように個人的には感じています。人当たりは良さそうに見えるし、いつでも感謝です! みたいなことを言っているにも関わらず、表面的で薄っぺらいため、周りが何かを任そうという気になれず、見出す対象から外れる印象です。うまくやっても、肝心なところでキーパーソンの感情を逆撫でしてしまったり、逆鱗に触れることをしでかしてしまったりして、自らチャンスを潰してしまいます。

感情に敏感な人だと、いい人なんだけどなんかイラッとするとか、明るくて雰囲気も良さそうなんだけどやっぱりこの人からは物は買えない(指名しない、選ばない)とか、誘おうかと思ったけどやめたとか、大切な人は紹介したくないとか感じることが多いでしょう。相手が抑圧している葛藤を代わりに感じるので、怒りや重たい雰囲気を感じ取るわけですね。いい人なんだけどなんかイラっとする人をよくよく観察してみると、お父さんとの間に葛藤が強いことが振る舞いとして現れてしまっているように思います。どんなに取り繕ってもどこかの段階でボロが出る印象です。まさに肝心なところで「やらかす」のです。

逆に「思春期や若いころは父のことが嫌いだったけど、今は自分も立場を持って、昔の父の気持ちや苦労もわかる」くらいにはお父さんとの葛藤がクリアになっていて、精神も発達した人が「見出される」状況では、調子に乗ることなく、自分の力など大したものではなく、後押ししてもらえてありがたいことですなどと、口ばかりではなく実感として謙虚になれて、さらに発展して行かれる傾向があるように実感します。

【心理的な距離の意味するもの】

もう少し見てゆきましょう。

あの人とは今、距離を置いている、なんていうことありますよね。別に悪いことではありません。停戦協定を結んだのでしょう。

どうも関係がうまくいかなくて、嫌な気分を感じやすいために、距離を置く選択をしています。もし再び近づこうとするならば、おそらくまた嫌な気分を感じます。停戦協定を結んで、ただ距離を取っただけで、紛争問題の解決はしていないわけですから。

私とあの人との距離の間には、嫌な気分が存在していることになります。
つまり、心理的な距離は、嫌な気分の質量を表しているわけです。

お父さんと心理的に距離が取られていれば、お父さんとの間に嫌な気分が存在しています。

表面的には怒りです。
お父さんが嫌いとか、嫌な思い出ばかりだ、とか、高圧的で自分のことを全然認めてくれなかったとか、アルコール依存(ないしは他の依存症)だった、暴力を振るった、暴言ばかりだった、感情的にあたられた、性加害があった、あるいは病気に苦しむお父さんをケアしていた、などの感情的に辛い体験がある人は、ふたりの間に怒りがあることは実感できるでしょう。

しかし怒りは感情の「ふた」に過ぎず、怒りの下にさまざまな感情が層になって隠れています。どんな怒りであっても、感情の層を降りてゆくと、罪悪感に行き着きます。概ね、私は悪い子だという「誤解」です。罪悪感が苦しければ苦しいほど、お父さんとの間に距離が出来ます。嫌な気分を感じたくないために、距離を取るわけですね。

また、誰かへの怒りというのは、一見、他者を攻撃する他責感情のように思えますが、本当は自分自身への攻撃で、自罰感情です。悪い子だと誤解をしていて、悪い子である自分を常に罰している感じです。

罪悪感はあまりにもひどい感情で、まともに感じると心が潰れてしまうため、まず、心から切り離します。次に、外の世界に映し出すんですね。多くの場合「私から見て権威のポジション」の人に、切り離した罪悪感が映し出され、批判したり攻撃したり、罰したりするのです。これを「投影」と言います。

お父さん、もしくはお父さんを心が勝手に思い起こす権威への怒りは、心の中で切り離してしまった、自分は悪い子だと感じている罪悪感によって起きている自己攻撃が、権威に転嫁されているに過ぎません。

お父さんとの距離が遠ければ遠いほど、怒りが大きく、同時に、私はお父さんにとって悪い子だった、という誤解も大きいのです。

父は私のことは嫌いだと思います、とおっしゃる方はとても多いです。
しかし、実際にこどもを嫌っていることはありません。むしろ、自分は嫌われているだろうと思っているお父さんがほとんどですし、うまく愛してやれないことや、望みを叶えてやれない自分を責めています。

お父さんが嫌っているように思えるのは、自分がお父さんを嫌っているためです。きっと父は私を嫌うだろう、私が父を嫌っているように、と思うわけですね。

【お父さんを理解できてお父さんを許せたから】

罪悪感は本質的な感情ではありません。したがって、罪悪感が癒やされると真実が見えて許しが起き、愛と親密感が正しく入ってきて、罪悪感によるふたりの間の距離がなくなります。

つながりがある状態です。相手が適切に理解できて、隠れていた痛みやかなしみに共感ができたり、分かち合われたりした状態と言ってもいいでしょう。
心が全くつながれないと、どんな些細なことでも問題になりますが、心がつながっていると、問題は問題たりえません。

個人的には、お父さんとの間に心のつながりが回復すると、男性でも女性でも、まずパートナーシップがうまく行きやすくなるように感じます。女性なら、男性から深く愛されるとか、この人は自分の元から去ることはないとか、裏切ることはないとかの関係への信頼感が育まれるように思います。誠実な人を選べるようになる印象です。男性なら、妻や彼女を大切にする、守るという感覚に自覚的になりますし、関係に誠実になれます。まさに、真実のパートナーシップを生きられるようになるのです。

ずいぶん前ですが、カウンセリングサービスの母体のカウンセラー養成スクールで学んでいたとき、とってもとっても(そう、とってもを2回繰り返すほどの)浮気性の男性と友達になったことがあります。一見チャラく見えましたが、端々にコンサバな雰囲気があって、質の高い良い男だなと思っていました。

スクールにはしばらく通われて、ある日、結婚することになりましたと教えてくれて非常に驚きましたが、それまでの不実な関係を全て手放し、本命の彼女一本にコミットメントしてプロポーズをしたそうです。とても良い旦那さんに大変身です。もともと、年収の高いアッパークラスの人ではありましたが、男性の成功は全てパートナーの女性に捧げられるなどと言うくらいで、いちばん好きな人と結婚したことで生きがいも感じられ、ご結婚後はスクールでお見かけすることはありませんでしたが、結婚報告をいただいたとき、彼が成功してゆく姿がはっきりと感じられました。

今思えば、コンサバなればこそ、お父さんとは葛藤も強かったのでしょう(いろんな意味で影響力の高い「偉大なお父さん」だったかなと思います)。だからこそ、ああはなりたくないもしくはああはなれないと感じる葛藤に起因する、うまくいかない関係性や生きづらさに悩み、スクールにお越しになったのでしょう。

しかし、きっとどこかの時点で、父の苦労や弱さを理解した瞬間があり、親父も辛かったのだろうと、父を許せたのだと思います。彼のお父さんは、彼をとても愛したのだろうとも確信しました。自分のことはほぼ語らない彼だったので、状況証拠からの予想に過ぎませんが、結婚報告をしてくださるくらいの信頼感だったこともあり、私が感じたことはあながち間違っていないだろうなとも思います。

【父のポケットは空っぽで、与えられるものが何もなかっただけ】

お父さんは、心の中で、権威の象徴です。
お父さんと心理的な距離が遠いと、権威との関係も遠くなります。


だからこそ、権威が裏で心を痛めている事実に気づかないのですが、父の愛情に目を逸らさない勇気を持ったり、私たち子どもが求めるようには愛せなかった父の限界や弱さを知ったり、父が引き受け、自己犠牲と引き換えに、ひとり苦しみのうちに封印した家系の癒やされていない闇が理解できるようになって来たりすると、父の実存、ありのままの姿が見えてくるようになります。例えばあの虐待は、父が飲み込んだ闇に耐え切ることができず、苦しみを私にぶつけたのではなかろうか、とか。

すると、自分に許すことが出来るのです。

あの偉そうで冷酷そうな背中が実は、思っていたよりもずっと小さく、既に憎むものではないことを。
自分がかつての父の歳を既に超えたことを。

あれだけ嫌ってきたのにも関わらず、父は私を嫌わなかったことを。
むしろ、こんな親父でごめんなと、きっと父は思っているであろうことを。

かつて私は、父のよろこびであったことを。
父が存命であろうが亡くなっていようが、どこにいるかも分からなかろうが。

私は今も、父のよろこびであることを。

今でも思い出します。
再会後、父が私に送って寄越した手紙の中に、私が生まれた頃の記述があることを。
「この手のひらの中に、小さな貴女が居て、小さな貴女の頭を洗うよろこびよ。」

私の父は、家系に横たわる罪悪感、そして恐らく、復員した祖父の戦争トラウマ、戦争という狂気の世界で人を殺すしかなかった苦しみからなる罪悪感を引き受けた人ですが、ゆえに、遁走癖から、人の信頼を失い続け、困ったときにあんなに面倒を見てやったのに裏切られたと親戚中の嫌われ者になり、居場所なく生きた人でした。

だからこそ、私は弊社のカウンセリングに辿り着き、スクールに入校しましたが、お父さんとの心理的な距離が遠いと恋愛がうまく行きませんと言われて、絶望します。

スクール入学当時、父は失踪していました。
遠いどころじゃない、生きているか死んでいるかも分からない。

つまり私は、ここで書いている「お父さんに愛された感覚の強い人」の真逆を生きていたわけです。

しかし、心を癒すというのは本当に面白いものです。
十数年かかりましたが、今は「お父さんに愛された感覚の強い人」の世界を生きているからです。

父が家系から引き受けた心の痛みは、本当に酷かったと思います。


私自身が父からさらに引き継いだであろう、過去の精神症状から逆算すると、言葉に出来ないほどの激痛です。また、父がずっと許すことができなかった祖父が戦場で体験したことは、心が壊れる苦しみだったと思います。

そういう彼らの実存が理解できるようになってくると、手のひらに贈り物が置かれはじめるのです。かつて父が私にしてやりたくてもしてやれなかったこと、到底叶わぬ夢だったこと、私の才能を見出し、私の努力を理解し、私を応援してやりたかった想いを、父の代わりに引き受けて下さる人が現れるのです。

父はもうこの世界で肉体を持った存在ではありませんが、父の想いを体現してくれる人が贈られてきます。
きっと、父から私への贖い(あがない)なんでしょうね。

 

父の声が聴こえてくるようです。

ごめんなあ、許してくれなあ。

人生の様々な苦難は、その人への贈り物の隠し場所でもあります。罪悪感の下に必ず愛があるのと同じように、あらゆる問題の下には、あなたへの贈り物が隠れています。

生きているとも分からなかった父と再会を果たし、父とのつながりが回復し、それまでのダメダメだった恋愛から、真実のパートナーシップに辿り着きました。

 

夫婦としては十年以上となり、本当に幸せなことですが、夫と愛し合っているからこそ乗り越えられる苦難にも、数年前から直面しています。首から下が全く動かなくなる病気になり、数年かけて、おかげさまでようやく自力で数百メートルを歩けるくらいに回復しましたが、残存する後遺症をさらに回復させながら生きる学びを得ようしています。

 

大変なのは事実ですが、逃げずに課題に直面することによって、贈り物を一つ一つ受け取り、大きく生まれ変わろうとしていると実感しています。

心の痛みを、より高次のレベルで理解する。
手のひらに置かれた贈り物に気づき、感謝する。

「お父さんに愛されている」と思えることで、こんなにも風景が変わるんだな、と。ああ、人が成功してゆくってこんな感じだったのかと実感しています。

 

あと少しで、見晴らしの良い小高い丘に出るはず。

爽やかな風が吹き、優しく頬を撫でる。

きっと思うことでしょう。

 

生きててよかったな、と。

あなたのお父さんが難しい人で、問題の多い人で、あなたを傷つけてきた人なら、あなたが相当苦しまれたのは紛れもない事実です。心の傷(トラウマ)に直面し、誤解をとき、様々な愛を感じられるようになり、あの酷いお父さんの苦しみを理解すると「お父さんに愛された感覚の強い人」の世界を生きるようになります。

時間はかかります。本気で向き合う覚悟も要ります。凍っていたトラウマが再燃しますから、一時的に不愉快な気分を味わいます。でも、適切な援助があれば、傷は癒され、苦しみも必ず終わります。事実は変わりません。しかし「父が私にした酷いこと」だと、あなたが出来事に持たせた意味が、聖なる傷痕へと昇華します。

伴走するカウンセラーは、どうぞ厳選してください。なかなか見当たらなくても、探し続けてください。本気で援助を求めたとき、助けの手がやってこないということはあり得ません。あなたが本気であればあるほど、あなたを心から想い、真剣に援助してくれる人が現れます。

辛く苦しかった心の傷の下には、大きなあなたへの贈り物が隠れているものまた事実です。
お父さんがあなたに、ずっと贈りたいのに贈れなくて苦しんだものです。贈り物に気がつけたとき、祝福が降り注ぐでしょう。

本当は、あなたとお父さん、ふたりの間にあったのは。
怒りではなく、祈りだったのですから。

距離が遠ければ遠いほど、ずっと祈られていたのですから。

《参考資料》

後藤遼太『朝日新聞DIGITAL』「【解説】戦争トラウマとは? 戦後日本で埋もれた社会問題」https://www.asahi.com/articles/ASRCX6FDDRCGUTIL02G.html(参照日:2024年3月28日)

《参考文献》

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会(2023)『PTSDの日本兵の家族の思いと願い』(PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会編集)あけび書房

北村毅(2022)「戦争の批判的家族誌を書くー家族のヴァルネラビリティをめぐるオートエスノグラフィ」『文化人類学』87巻2号 285〜305頁

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