確認行為・内受容感覚・観察モードに関する考察
― OCDの元スイッチを探る観察記録 ―
問い
強迫性障害(OCD)の確認行為はどこから始まるのか。
脳科学では、
前帯状皮質(ACC)
眼窩前頭皮質(OFC)
扁桃体
尾状核
視床
などの関与が報告されている。
しかし本当に知りたいのは、
「確認行為が起きている脳」
ではなく、
「確認行為が起きる前に何が起きているのか」
である。
1. 歯に触れた時の観察
実際に起きた流れ。
Plain text
歯に触れる
↓
みぞおちが重くなる
↓
みぞおちがそわそわする
↓
落ち着かない感じが出る
↓
(通常なら確認行為へ)
しかし今回は、
確認行為をせずに観察を続けた。
すると、
Plain text
歯に触れる
↓
みぞおちが重くなる
↓
みぞおちがそわそわする
↓
観察する
↓
確認行為に至らない
という現象が起きた。
2. 最初にあったのは「ただの感覚」だった
重要なのは、
みぞおちが重くなった時、
最初から
不安
恐怖
危険
があったわけではないこと。
その時あったのは、
「ただの圧力」
だった。
その後、
圧力が
「ざわざわ」
へ変化した。
つまり最初に存在していたのは、
感情ではなく身体感覚であった。
3. ジェームズ=ランゲ説との関連
古典的感情理論に、
「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」
という考え方がある。
現代神経科学では完全な形では採用されていないが、
身体状態が感情形成に深く関わることは広く認められている。
つまり、
Plain text
不安
↓
身体反応
だけではなく、
Plain text
身体反応
↓
不安
という流れも存在する。
4. 内受容感覚(Interoception)
内受容感覚とは、
「身体の内側で起きていることを感じる感覚」
である。
例
心拍
呼吸
胃の状態
胸の締まり
吐き気
空腹
みぞおちの圧力
みぞおちのざわざわ
など。
今回観察された
みぞおちの重さ
みぞおちのざわざわ
落ち着かなさ
は、
典型的な内受容感覚である。
5. 感覚と確認行為は同じではない
同じ感覚があっても、
結果が異なることが観察された。
パターンA(没入)
Plain text
歯茎が張り付く
↓
何かおかしい
↓
歯が悪くなっているかもしれない
↓
確認したい
↓
確認行為
パターンB(観察)
Plain text
歯茎が張り付く
↓
みぞおちがざわざわ
↓
ざわざわしている
↓
どんな質感だろう
↓
観察
↓
確認行為にならない
ここで重要なのは、
感覚は同じなのに、
結果が違うことである。
6. 没入モードと観察モード
没入モード
ここでいう没入とは、
一般的なフロー状態ではない。
不安に飲み込まれている状態
である。
Plain text
感覚
↓
解釈
↓
問題化
↓
確認衝動
↓
確認行為
この状態では、
感覚と解釈が一体化している。
本人にとっては、
「みぞおちがざわざわしている」
ではなく、
「歯に問題がある」
という現実として体験される。
観察モード
Plain text
感覚
↓
観察
↓
変化を見る
↓
さらに観察
この状態では、
感覚と解釈の間に距離がある。
感覚は存在している。
しかし、
感覚を即座に問題とはみなさない。
7. 今日の重要な発見
観察中、
歯茎の張り付き感
みぞおちのざわざわ
は消えていなかった。
にもかかわらず、
確認行為は起きなかった。
つまり、
確認行為を起こしている原因は、
感覚そのものではない可能性がある。
8.
痛みとの関連
この構造は痛みにも当てはまる可能性がある。
通常は、
Plain text
痛み
↓
嫌だ
↓
悪化するかもしれない
↓
監視
↓
苦しみ
となる。
しかし、
Plain text
痛み
↓
脈動を見る
↓
呼吸との関係を見る
↓
広がりや収縮を見る
という観察モードに入ると、
痛みへの関わり方が変化する可能性がある。
9. 現時点での仮説
確認行為の最上流には、
不安ではなく身体感覚がある可能性がある。
Plain text
歯に触れる
↓
みぞおちの圧力
↓
みぞおちのざわざわ
↓
落ち着かなさ
↓
脳が意味を与える
↓
確認したい
↓
確認行為
一方、
観察モードでは、
Plain text
歯に触れる
↓
みぞおちの圧力
↓
みぞおちのざわざわ
↓
観察
↓
変化
となり、
確認行為へ移行しない。
暫定結論
今回の観察から見えてきたのは、
確認行為を起こしているのは感覚そのものではなく、感覚への没入である可能性が高い
ということである。
そして観察モードとは、
感覚を問題化する前の状態へ戻る神経状態である可能性がある。
今後の課題は、
確認行為が起きる直前に現れる
圧力
ざわざわ
落ち着かなさ
呼吸の変化
脈動
などの内受容感覚を継続的に観察し、
確認衝動との関係を検証していくことである。