スピリチュアルティーチャーの石田孝子です♪
おはようございます!
わたしの瞑想の先生は、ドイツ人でセドナに住んでいます。
たまに日本語訳に『????』こんな状態になることがあります^^;
それは、ある翻訳から始まりました。
行間から読み取れない『すまない・・・』という言葉につまづいたときです。
どうしてここで「すまない」→「申し訳ない」と謝らなくててはいけないのだろう・・・?
先生に質問してみると、そこは謝るところではなく、痛みに【共感】するところなのだというのです。
誰が翻訳したのか確認すると、私よりずっと年配の『おじさん』(笑)が、日本語に訳してくれたことが分かりました。
そこで私は「なるほど!」と、思ったのです。
『おじさん』からしてみたら、痛みへの共感は「すまない」でいいのです(笑)
でもそのまま翻訳された言葉では、私には伝わらなかった。
私にとって痛みに【共感】するなら「すまない」ではなく、もっと気さくな感じの「ごめんね」とかかなぁ。
「すまない」「申し訳ない」も「ごめんね」も意味は同じですが、たかこにとっては重み、軽さが全然違ったのですね。
でも、おじさんにとってはたかこの「ごめんね」が「すまない」だったというだけのこと、ということですね。
そこにどんな本質があるのか分かれば「ごめんね」のシーンで「すまない」と言う男性を簡単にイメージできます。
サスガ!!にゃんこ先生🐈✨
これは、たった1つの言葉でこうも解釈にズレが出てきてしまい、原文の本質を伝えることが難しいという貴重な学びになりました。
これとまったく同じことを、私たちは人生の中でしているわけです。
自分だけの解釈というものを、誰もが持っています。
その解釈が人生の全て。
だから、誰かの正義が、自分にとって「違う」と感じるなら異議を唱えたくなるし、自分が良かれと思ったことが、誰かにとっての迷惑だったりすることもある・・・ということですね。
まさに!おっしゃる通りです!!にゃんこ先生🐈✨
お互いに、自分の意見を押し付け合えば、摩擦が起こり反発することになります。
でも、そこに理解があれば争いが起こらないどころか、相手への深い理解と共に慈愛の念や感謝さえ感じるかもしれません。
これは、人間関係において大きな違いを生み出すということです。
自分の解釈。
相手の解釈。
誰かの解釈。
誰もがその中で生きていて、共有するものがなければそれは争いとなり、これが国同士だったら戦争にも発展することになりますね。
そこに共有するものが【何もない】はずはないのに
気づかないばかりに大事になるというのは、とても残念なことですね。
痛みに共感することは大切です。
同様に日々の中で、何気ない相手への共感もとっても大切。
ハートは、マインドが気づけない視点を容易く見せてくれます💖
プロの指導家と一緒に瞑想を深めましょう。
瞑想は、一人でもできますが、大概一人でやっていると辞めたくなるものです(笑)
だからみんなと一緒に、楽しい時間にしましょう✨
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お読みくださり、ありがとうございます♪
今日も素晴らしい1日を💖
それではまた👋
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