こんにちは。onekof(オネコフ)です
今日は宮本アサギさんセルフイノベーション講座の第2回目のレポートを書きます
自分を掘り下げる為、自分のルーツも探ります。
お次は父親の話です。
【あなたにとってお父様はどんな存在でしたか?】
『毎日お酒を飲む。有限不実行。話を盛る。淋しがりの強がり。大雑把。体を動かすのが好き。お金にセコい割に貧乏。歴史の解説をする。“一般社会とは”を教える。怖い。エロ本とビデオをいっぱい持ってる。』
【お父様に対して(我慢していたこと、言えなかった事、悲しかったこと、満たされなかったこと)はありますか?】
『自由に伴う責任を「変人」で片付ける勝手さが嫌い。』
イヤ~自分で書いといて何ですが、大分嫌ってますねーw
アサギさん『一番嫌いなとこはどこ?』
私『ん~有限不実行なとこですかねー』
思春期というか反抗期というか、年頃の女の子がお父さんを嫌うのはよくある話だと思うのですが、私の場合は大体小学校高学年位でした。
ちょっとは良いとこ書こうと思うのですが、嫌いなトコしか出てこなかったんですよね~~
本当に嫌いでした。17歳までは育ててくれた事に感謝は出来るけど、人として尊敬するに値しないと思ってました。キビシー
両親が私にもたらした影響にも書きましたが、両親は私が17歳の時に別居しました。
それから15年、私が父親に会った回数は多分10回位だと思います。
セルフイノベーション講座の初回が終わり、『第2回目のワークは“嫌いなとこ”と“子供の頃”と“両親”かぁ…』と思っていた2日後、父は亡くなりました。
突然のことで驚きましたが、あまりにタイムリー過ぎて悲しみとか全然湧いてきませんでした。
嫌いだったし、しばらく会ってないしで、感覚としては遠い親戚がなくなったのに近かったです。
アサギさんに『亡くなってどう思った?』と聞かれたときも、『あ~ぁ。って思いました』と答え、我ながら不謹慎だなと思いました
生前というか一緒に暮らしていた時から病院が嫌いで、『医者にお酒とタバコやめろって言われる位なら死んだほうがマシ』と言うような父だったのでwポリシーを貫いたつもりの最期なんでしょう。
私が最後に会ったのは去年の8月、父方の祖父の初盆で福岡に帰ったときです。
それ以来会ってません。
おじいちゃんが連れて行ったんだと思います。
この後、母親の話になるのですが、私がこんなに父親を毛嫌いしてたのって、
母親が関係している
という指摘がアサギさんから入ります!!
今月の初めに、父親の遺骨を福岡に還して区切りがつき、母と妹も落ち着いてきたのをみて、やっと母親のフィルターを通さない父親との思い出が出てきました(結構チビの時ですが)。
妹が産まれるにあたって、母親が大変なので、父親がよくキャンプとかに連れて行ってくれたり、遊んだりしてくれました。
あんなに悪く書いたのにw私お父さん子だったって思い出したんですよねー今思うとイクメン??w
まぁ~きっと亡くなったから素直になれるんだと思うのですが…
自営業をしていたので、母親が作ってくれたお弁当を持って、2人で配達に行ったなぁ~とか。(家族仲良かった頃)
私がスポーツ大会で活躍したのを何年も何年も近所の人に自慢したりw
もう『あいのすけ~』って呼ばれることないんだなとか。
そういえばお父さんの子供の頃の話って聞いた事なかったなー。聞いとけばよかった。多分聞いたけど聞き流してたw
いつか私が結婚したら、息子とお酒を飲みたいから、日本人じゃなくてもいいから(←えw)お酒が飲める人と結婚してって言ってたな…。。。
良かった。懐かしんで涙ぐめる位までになった。
お葬式の時以外で、父親を思い出して泣くなんてこと出来なかったし、しなかった。
とーさんが大好きだった頃思い出せて良かった。
まだ続きあるよー