「自分てこんな人です」


自分の全てを理解して
自信満々に自分自身を
他者に紹介出来る人って
一体どのぐらいいるんだろう。

少なくとも私は
未だに自分のことを
全て理解出来ていない。

それは悲しいとかじゃなく
むしろ逆で

次々と出てくる
まだ知らなかった自分や
日々変わっていく
新しい自分に会うのが
毎日楽しくて仕方ない。

自分の事を好きになれると
他人の事も好きになれる

と少し前までは思っていたが
それもちょっと違うなと。

自分の事をどんどん好きになり
新しい自分を発見しているからこそ
他人の事をみなまで知ることの
難しさに氣づけるし
垣間見えたその人の一部だけで
その人を否定したり
肯定したりすることの
無意味さにも氣づいた。

自分のことすら
一生かけて理解しきれないのに
他人のことを理解するなど
到底無理なことで無駄なことだと。

別に他人はどうでもいいとか
言ってるんじゃありませんよ(笑)
まぁ
この投稿すらどうとるかは
詠み人しだいですが……。

そう思えると
他人から言われた言葉や
投げかけられた言葉に
いちいち傷付かずに済む。

この人は
私のほんの一部を見て
そう思っただけだし
ホントの自分は自分しか知らない。

でも
その事に慣れないと
私は傷付いたって思うよね?

でも
練習するとね
傷付いたって思うその理由が
ちゃんとわかるの。

これにはかなりの訓練が必要。
きっと私はずっと
そんな訓練をし続けている。

だから
多少の事では傷付かない。

だからと言って
悲しまない訳ではない。

でも
悲しいと思ったらチャンスだとは思う。

何で悲しいと思ったか
自分の中への自分探しの旅に行けるからね。

そして悲しいを全力で感じきったら
ちゃんと消化も出来る
後悔もしなくなる。

後悔って
消化出来ていなかった
その時の氣持ちのカケラだと思うから。

以前参加したお話会で
命=時間で
エコひいきは生理現象だという
面白い話を聞いた。

大切な命を使うんだから
どうせなら自分が大切な人に使いたい。
それは至極当然の生理現象。

自分の事をもっと好きになりたいから
私は大好きな私のために
これからも命を使うし
大切だと思う人の為に
命である時間を使いたい。

……あ!時間ないって言われたから
私の事は大切じゃないの?って
そういう風に思ったなら
ほら!自分の内側への旅の
チャンス到来ですよ!

私という人間の全ては
他人には理解は出来ない
でも理解したフリはして欲しくない。

大切に想う人なら尚更ね。

だから大切に想う人とは
ちゃんと話したいんだ。

目を見て
声を聞いて
体温を感じて

理解出来なくていいから
ただ知って欲しいんだ。

そんな風に考えて
そんな風に想うんだって
ただ知っていて欲しいだけ
それだけなんだよ。

相手が生きているうちに
話したい人と話そう。

明日生きている保証は
どこにもないよ。

☆2021年10月にInstagramに
投稿した記事の再編集版です。