夢見る白足袋族~裏には皇統移動?~ | love-3025のブログ

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     草地が茶色から緑に変わり、土筆やたんぽぽが目に入るようになりました。

     北海道にも桜の季節がやってきましたが、苫小牧はまだ桜の咲く気配はあり

     ません。風が強く、昨日も散歩は短めでした。ラブは4本の足を突っ張って

     帰りたくないアピールを何度もしてました。駄々っ子をあやすようにして

     帰ってきましたよ。   

     

今日は園遊会ですね。お天気は、曇りで雨にはならないようで一安心です。

 

昨日の記事の中に書いた白足袋族。

京都の長い歴史を、経済面や文化面、信仰の面で裏から支えてきたわけで

その力は大きなものだと分かりました。

 

その白足袋族といわれる方々には夢があり。それが双京構想というものです。

 

 

確かに京都は明治時代前までは、長く皇室とともにあったわけで

京都御所もありますね。

 

京都に皇族の方がたの一部が滞在し公務を行うことが目的だそうで

「京都の未来を考える懇話会」として2010年に発足し

2015年には双京構想推進検討会議を設置し、皇族に京都で行う公務についても

国賓の接遇、園遊会、歌会始、など具体案を示していますし、

皇族のお出ましを増やすために迎賓館も考えられています。

 

その他にも下記のようなものがあります。

 

【類似案に2005年頃から、首都機能のバックアップ用に京都御所等を皇室関係の代替施設とする構想があり[8][9]関西広域連合では皇族の京都常住を提案している[10]。また皇室関連以外の事例としては、2023年3月27日に文化庁京都市へ移転している[1】ウイキペディアより

 

 

私は2010年発足というのに引っ掛かりましたよ。

 

この時期は前天皇が退位を考え始めた時期で、秋篠宮に皇統を移すことが具体的に

動き出したころです。悠仁さんは4歳ころ。

 

白足袋族のトップに神社庁がいるというのが構図で発言権も強いのです。

 

なぜなら

京都の寺社が一斉に門を閉め観光客に観覧の機会を与えないというストライキをした歴史があり

(テンプルストライキ1985年)

簡単に観光都市である京都に打撃を与えられるから強気なのです。

 

話を戻して

 

私の推測ですが

 

神社庁が主体になり双京構想が発足した背景に、皇統移動の問題があり

当時の皇太子が天皇に即位したとしても、定年制を敷いて起き早い時期に退位させ

京都に引っ込める・・・・

 

これが目的だったように思えてなりません。

 

しかし、生前退位は特例法となり、思うようにはなりませんでした。

でも諦めてはいないのでしょうね。

白足袋族が彬子様に近づいたのも、こうした背景に基づいたものでしょうし

彬子様が京都に住むのは、お仕事のこともありますが京都で皇族として活動することが

存在感を増すことができ、宮家の存続にとっても力になるからでしょうね。

 

昨今の神社庁は権力争いによる内紛が続いており、必ずしも一枚岩ではありません。

これの原因は、お金の問題がありそうですが、詳しく調べてないので書けません。

 

ただ赤坂もですが、神社庁も寺社も治外法権が過ぎるのではないかとは思います。

税制優遇も大概にしないとね。

 

 

今日はここまで

 

    今日も読んでいただきありがとうございます。パー