私のブログへのご訪問
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自愛が無かった頃の
私の生き辛さが
浮かんできたので
そのことを話しますね。
私は当時(20年以上前学生の頃)
深く傷ついていた自分が
ずっと嫌いでした。
出来ていないダメな自分の顔を
朝、鏡で見ることは
何よりも苦痛でした。
普通に生きられていないような
枠からはみ出てしまって
もう戻れないような自分。
明るく振舞っても
心からもう笑えないというか。
どこか、
今までの自分と
今、目の前にいる自分が
つながっていないような
そんな感覚すら覚えるというか。
消えてなくなればいいと
何度も思っていました。
(実際に自分に
呪文のように言ってました)![]()
自分が大嫌いでした。
両親は何でもできるように見えた
いつも明るい、
いつも頑張っている私に
戻って欲しいようでした。
こんな娘は嘘だ…。と
思いたかったんだと思います。
だけど、もう
私が元気になる答えは
両親の中にもないな…
と感じ始めたときに
私は私の人生をたどたどしくも
歩き始めたんだと思います。

それは、私が想像するのとは全く違う
大人の私だったんですけどね。
中身が全然大人じゃない私への
嫌悪感を
どう自分で扱ったらいいか
分からない位、
私の目の前に広がっている世界は
真っ暗、闇
そのものでした。
朝なんて来なければいい。
いつも、何度も思いました。
肯認学で自愛を深めた今
振り返ると、
そのころの自分が切ないような
健気なような気がしますね。
偉いよね。
さなぎから出てきたばかりの
薄い羽根をした蝶のように、
まだわからないことだらけで
若かったのに、
(心の内側が育ってなかったからね。)
そんな自分であんな暗闇をよく一人で
歩いたよね。
健気に、よく頑張って生きたよね。

当時は着地点もわからず
ただもがくしかなかった私。
本気で、
誰も褒めてくれないような
大人に成長してしまっていたけど、
(ちゃんと就職できなかったとか、
対人関係ボロボロで、引きこもりだったりとか。
依存体質で彼氏におぼれたりとか…)
/
いいよね。
そんな私で何が悪い。
\
(自然に湧いてきた
今の私の心の中からの叫びです)
/
それでも
ちゃんと自分の足で
歩いてここまで来たぞ。
\
(こちらも自然に湧いてきた心の叫び。
自分を認めているよね。)
当時は
うつだったり、摂食障害だったりで
情緒的に不安定だったから
当時仲良くしていた
お友達の結婚式に呼ばれても
よう行かなかったです。
断ったりして…。
本当にそれくらい
毎日の気持ちの上がり下がりも
激しくて
自尊心ボロボロだから
到底耐えられなかった。
当時、そういう辛い自分のことは
友達に話していなかったから、
いつも明るい私が断ったことで
失望したかな‥‥と思うと辛かったけど
自分と友達との落差が当時の私には
耐えられなかった…と今では思う。
そりゃそうだよ…。
誰だってその状況ならそうなるよ‥。
と、今はやさしく言ってあげられる
自分がいます。
もし行ってたら
もっと激しい
自分責めで苦しんだかもね…。
当時は自分を責めまくっていましたから。
(><)
それでも、
フツーに参加できない
自分って死ぬほど悲しかったですよ。
「なんでこんな私になっちゃったんだろ。」
これが、頭の中をいつも
くるくる回っていたからね。
どうしてそうなったのか
理由ばかり考えて…
こういうの、
「やっぱり探し…」
っていうんだけど。
最終的には
原因なんてわかったって
どうしようもない…ってことを
40代で肯認学で初めて知って、
本気で安心
できるようになりました。
原因探しは、もうし飽きてたから。
したって、変えられないし
すればするほど、自分は幸せになれないというか
もう、レールから外れた…
と思わざるを得ない自分を突き付けられる
しかなかったんだから。
こんな状態が続いたら
あなたも
しんどい。(+ +)よね。
だから、
私は肯認学のセラピストになったんです
肯認学は過去には
そりゃ、過去と少しは
向き合わないといけないときも
あるけど、
ダメだった過去も自分を守ってくれるため
と感謝して、
決して嫌ったりしないで
手放していくから、
とても楽です。
たとえ原因に詳しくなっても、
今を楽しめる自分
に変化できなかったら
元も子もないというか。
今、
辛かった過去をあった事として
ただ眺めている自分がいるだけで
今の私を
苦しめたりしないところが、
肯認学に出会えてよかったなと
思うところなんですよね。
今日はこの辺で。
では(^^*)

