これがわたしの原風景



絶望の味

虚無と隣り合わせ





わたしは確かに荒野の住人でした。








随分と昔の話です。



中学の時、
1年生での最初の定期テスト、つまり1学期の中間テストで



今でも覚えてる、確か国語98点、英語96点、数学93点だったんですよ。



塾の先生にも褒めてもらえて、自分的にもなかなか高得点だと、嬉しかったんです。



でも家に帰って母に見せると、「100点じゃない」と言われて


なんというか、ものすごい虚無感?のようなものに襲われたのを覚えています。

「98点か、確かに2点足りないなぁ……100点じゃないな……」という。





最近仕事で中学生と話していると、たまにびっくりするくらいよくできる子がいるんです。


定期テストで2教科100点取って、他の教科も99〜97点とか。



そういう子に「頑張ったね」とか「これは嬉しいね」と言うと素直に嬉しそうにするんです。





そういうとき、私はいつも「あぁ、この子の周りには98点のテストを見て、吐き捨てるように100点じゃないと言い放つ人はいないのかもしれない」と思うんですよね。


いや、もしかしたらそうではないかもしれませんが。




どちらにせよ、私は未だに中学生の頃のそんな出来事を抱えたまま生きています。


どうかできるだけ多くの子たちが、大人になってもなお脳裏にこびり付いたまま消えない絶望を抱えてしまったりしませんように。









田舎の何が嫌って、

別に不便さとか人の少なさとか、そういった田舎であること自体に対しての嫌悪感はそこまで大きな問題じゃないんですよね。(私にとっては。)せいぜい3割くらい。




残り7割の大きな問題は、「その田舎で育って、生活してきた過程で、どれだけ嫌な思いをしたか」にあると思うんですよね。


自分の地元が田舎であることを思い出すたび、その嫌な思い出を自分の一部として認めなくてはいけない。




しかもコミュニティが狭いから、忘れたい記憶の断片が未だにそのままの形で残っていたりする。

だから地元を振り返るたびに嫌な記憶を蒸し返される。でもどうしたって生まれ故郷であることは変えられないから、それが自分なんだと受け入れなくちゃいけない。



そうやってどんどん雁字搦めになっていく。




嫌な思い出が全て悪いとは言いきれないかもしれないけど、
いい思い出に目を向けられなくなるほど嫌な思い出が目立つのなら、それは目を背けてもいいものだと私は思います。



雁字搦めになって辛くなるくらいなら、別の場所へ出て行くしかないのです。

自分のことを大切にしない存在は無視していいのです。
私を嫌な気持ちにさせる存在からは逃げるべきなのです。


その代わり、自分を大切にしてくれる人を大切にするし、
私の心を休めてくれる相手を大事にします。


もうこの歳なんだし、善悪の判別くらいはつきます。
嫌いな人を遠ざけたって罪に問われるでもなし、
好きな人を大切にすることで誰かを死に追い遣る訳でもない。



私の大事なものは私が守らなきゃ。
そして私が要らないと思うものは捨てるなり仕舞っておくなり、目につかないようにしておくのです。出しておいて枷になるくらいなら。