ほんの数年前までは、自分は恵まれているんだと思っていた。
(思おうとしていた?)





でも世界が開けていくにつれて
いろんな人と出会って


少し他人と自分を比較もしてみて、

「恵まれている」とはどういうことなのかも考えてみて、


少なくとも今は、自分で「自分は恵まれている」とは言えなくなった。




というのは、
得たものは大きくても、代わりに失ったものもけっこう、大きかったということが、今になって身に染みているから。







昔、大好きで何度も読んでいた『air』という本を久々に読み返してみました。


家を出て行きたい。
リュックにパジャマやタオル、歯ブラシなどを詰めて、そっと玄関を出て、
今とは違うどこかへ行ってしまいたいーーそんな当時の自分自身ともリンクするお話に、昔の私は何度も救われていました。





FNSで、神田沙也加さんが「My fair lady」の「だったらいいな」を歌われていましたね。

「My fair lady」は舞台も以前観たことがあるし、オードリーヘップバーンの映画も見たことがありますが、
あの曲に関して、その時は特に何も思わなかったんです。


手頃な部屋を見つけたら
椅子を一つ置きたいのよ
暖かい部屋で チョコレートを食べる
そんな暮らしができたらいいな
そして誰かが私を優しく抱きしめてくれたら
いいな
(※おおよその歌詞です)


今この歌詞を見ると、泣き出したくなるような気持ちになります。

『air』と同じ。

今居る家、今過ごしている毎日、今居る場所が嫌で嫌で、
ここではない別のところに行きたい。

手頃な部屋には落ち着ける椅子があって、
暖かい部屋でチョコレートを食べる、
そして誰かがそばにいて、寂しくない暮らしができたらいいな、

そうだったら、いいな  って


そういう歌だったんですね。




今が嫌で嫌で、逃げ出したくて、別のところに行きたいとずっと思っていた当時と、何も変わっていない。


私は家を出たくて出たくて仕方ない。









昔から、

正確にはとある時期から、



私は母に「後悔をさせたい」と思いながら生きてきました。


とにかく後悔させたくて仕方がない。
自分のしたことを悔やませたくて仕方がない。


そう思ってずっと生きてきました。





そして、わりと最近のこと、

まだ今年に入ってからのことです。


突然フッと思ったのが、

私はこの人(母)に殺されたかもしれない、ということ。



その時はフッと思って、ただそれだけだったのですが、
つい数日前、点と点が線で繋がった気がしたのです。


今ではないいつかのこと、
私はあの人に殺されて、それを後悔させたくて、あの人の子どもに生まれてきたのか?



ただの妄想でしょうか?

だといいのかもしれません。




だって、あの人に後悔させることを成功する私の人生は幸せそうに思えない……


私だって人のことを好きになりたいし、愛されもしたい。
普通の人が普通に、けれど運命的に掴む幸せを、私も見てみたい。





ただの悪い妄想?
たぶん、気にしない方がいいのでしょう。

私は私の幸せのために生きた方がいいはず。

あんまり、気にしない方がいい。