僕が読んだことがあるヘミングウェイ作品は「老人と海」だけなのですが
この番組はヘミングウェイへの理解と興味を一気に深く掘り下げてくれました
余談ですが
中学生の時
老人と海で老人が食べた小魚がとても美味しそうだったと同級生に話したことがあります
彼が言うには「そうだねー!僕もそう思ったんだよ!」
これはすごいことです
だってあの当時「老人と海」は映画では無く小説しか存在しなかったんですから
文章だけで殆ど料理もされないまま食された小魚を「おいしそう」だと感じた(感じさせた)文章は魔術的です
話した相手は学年で一番学業成績が良かった優等生
それ以来あの魚が美味しそうだと言う人は出ないままですねw
それでは「タイトルの老女とオカネ」書き始めてみましょうか
どうでしょうか?
ヘミングウェイっぽい味が出せているでしょうか?ww
老女とオカネ
彼女はすでに破綻していました
2年前に主人を肝臓癌で亡くして
子供のいない彼女はすでに「生きる意味」などサンドイッチの具材を何にするかより意味が無くなっていました
訪れてくる人がだんだん少なくなっていって
正確に正比例の法則に乗っ取って彼女が出かける回数も少なくなっていきました
訪れる人の99%は彼女が趣味で焼くコッペパンを買いに来てくれる人
一個50円のコッペパンを10個売れれば完売
売れ残る日の数と雨の日の数はいつの間にか逆転して
(心の)天気の日が少なくなるにつれて彼女の心臓(晴れの日)も弱っていきました
若い頃にショーペンハウエルを読んだ人が共通でもつ自然率「人が死ぬと言うことは宇宙が1つ無くなると言うこと」
つまり「人は一人一人が宇宙を持っていてその中に住んで暮らしている」という絶対の自然率
彼女はパンを買いに来る人がいない日も誰も恨まないのです
ただ
一人でじっと待っているだけ
(どんな人生が彼女と少しでも違うと言えますか?)
パンを一個買いに来る人に感謝して
それはそれで完全な宇宙の均衡を感じることが出来ているのでした
ところが医者は言うのです
10日ごとに病院へ来てクスリを出してもらわないといけません
コッペパンを買いに来てくれる人に感謝する日々ではクスリとやらは買えません
彼女の行動は考えて行うまでもありませんでした
今日も彼女はコッペパンを焼いています
「これこれこうなったから買いに来て」という言葉は彼女のメモには書き加えることはありません
ただ待っています
洗濯物を干すロープはあるし
それでじゅうぶん。
じゅうぶんしあわせだったのでしょう
追記
ちょっと時間をおいて読み返したとき気がついたこと
僕はヘミングウェイじゃ無いし同じような文才も無いと言うことw
ぶっちゃけ解りにくいので解説をちょこっと。
ヘミングウェイは主人公が首をつって自殺したことを一切書かずにそれを描写したそうですね。
そこんとこを自分なりに想像して書いてみたのが今回の「老女とオカネ」でありました
”そうなりそうな”伏線のあとには”洗濯ロープ”しか書きませんでした
それはつまり
彼女の幸せは文字通りの天国にあったという意味
老女は洗濯ロープで首をつったのであります
伝わった人は居ましたか?