みなさんは、ガリバーをご存じでしょう?
ガリバー旅行記のガリバーの事です。
小人の国へ行ってきたという、ガリバーのお話ですよ
あの大冒険旅行から帰ってきたガリバーは、往来を行く人や馬車に
「どかないと、踏みつぶしてしまうぞ!」などと言って、逆に、罵詈雑言を浴びたそうです。
でもしかし、ここで、ガリバーを責めてはいけません
人間は、習慣になると、意識しないと非習慣に馴染む事が出来ない構造を持っているからです
さて、ここで、僕のブログをいつも読んでくださっている皆様は
「ふーん。そうかもね?!」ぐらいの印象をお持ちになったかもしれません
ここで、このガリバーの引用は、ドストエフスキーの”悪霊”からの引用である事をばらしたらどうでしょうか?
かの文豪は、さすがだな!と、違う印象に書き換えられるはずですね
つまり、みなさんもガリバーなのです。
ここに来て、僕のブログを開くと、そこには、いつもの僕の文章がある(はず) とね
この冒頭を この長くなりそうな手紙の序章とさせてください
僕は、ある時期 音楽がなかったら絶対生きる事は出来なかったと断言できます
失ったナニモノカを補完するように、音楽を創り出していきました
それは、ギターでありヴァイオリンでありフルートでありオカリナでありドラムでもあったはずです
そして、もしラジコン自動車がなかったら生きている意味がナイとも言いきれます
僕は、詩を書き始めた頃に幸せとタノシミの共通点と相違点についてさまざまな切り口で考察してきました
幸せには、生命の持つ原初的な欲求を満たさない限り満たされない要素が含まれています
要約すると
人は人の中に居たいという欲求を持つ
人は、自分のDNAを引き継がせたいと願うものである
人は、自分の考えを誰かに伝えたいと願うものである
純粋な幸せは、これらがなければ成立しないと考えます
つまり、病気や怪我 人間関係の不具合 能力の不足 などで、いともたやすく幸せは遠のくのです
上記の条件から外れた人々は、残念ながら純粋な幸せにはなれないと考えます
そうすると?
どれだけいますか?
幸せになれない人々が?
そこで、幸せの代償にはなりはしませんが、人は、タノシミを求めるのです
バトンを渡せないリレーのランナーでも最後に倒れるまで走ってみたいのです
少なくとも走っている間は、まるで幸せな人のようじゃないですか?
人は、自分の子供を持つ事が最大の純粋な幸せです
考えてみてください?
毎日手をかけて
勉強と練習を繰り返して
造りあげたものが、自分の意図するように動き回る
これは、あなたが、自分の子供に託する想いの10分の1の幸福感があると思いませんか?
それが、ラジコン自動車が、人に与える最初の擬似幸福感であると考えます
ラジコン自動車は、”必要”なのです!
悲しい事に、あなたは、ガリバーになって、おもちゃで遊ぶオトナを笑います
笑われたオトナもガリバーになって、あなたに自慢します
「これは、高価だからおもちゃじゃない!」
「これは、スピードが出て危ないから、子供には扱えない」
話は、変わりますが、僕は、学生時代工学部という理系の学部を専攻していました
僕の卒業論文は「平均効用関数の線形計画法による解法」です
理系の学問は専門課程においては、0か100%です
やってない人にとっては訳がわかりません
そして、それは、多くの人にとって”どうでも良い事”なのです
僕がもし、これを理解しない人を馬鹿にしたり、もしくは、自慢をしたらどうでしょう?
それは、新たなガリバーを大量生産する行為に他なりません
つまり、ラジコン自動車が、おもちゃと呼ばれてもいっこうにかまわないという事です
ただし、そのおもちゃは、とてもとても大切な
僕にとっては、手に入らないシアワセの香りがするおもちゃなのです
僕は、ギターやヴァイオリンやフルートをアイするように、ラジコン自動車をアイしています
どうですか?
あきらめたり、ひねくれたりして、立ち止まる人達と同じですか?
でも、1つだけ言える事は
「僕たちは、まだ走っている!」 ということです。
少なくとも
泣きながらでも走り続けたい! と
そのように考えているのです
第一の手紙 おわり。