サブスク、使っていらっしゃいますか?
私はいくつか使っていて、一番金額の大きいものだと、この英語学習アプリを使っています。
3ヶ月で8,000円だそうです。
娘もアカウントを持っていて、見ていると、私よりはるかに多くの機能を使いこなしている気がします。
さすがデジタルネイティブ世代。
私も、もっとちゃんといろんな機能を活用できるようになりたいです。
さて、1年程前でしょうか、
夫から、
「Appleの何かで、3万いくらかって、何か使った覚えある?」
と連絡がきました。
「??アプリってこと?」
と聞くも、
「んー、オレ、よくわかんないんだけど」
という返事。
私もよくわからなかったのですが、3万いくらという金額に覚えがなかったので、
「1回の決済で3万いくらかってことだよね?使ってないと思うなー。どしたの?」
と返すと、
「うーん、また不正利用かなー。カード会社に電話してみる。」
と言います。
夫のカードは、以前にも不正利用されたことがあったので、
「えぇー、やあねぇ」
と言いながら、一応こどもたちにも確認しました。
「何か使った?」
「ううん、使ってない」
「使ってないよ」
ところで、私とこどもたちは、よく話をします。
基本的にはとても仲が良く、お互いを信頼していると思います。
ですが、こどもたちは私をよく知りすぎているので、私のダメなところも熟知しています。
「ディズニーランドで車行方不明事件」については以前にもお話しさせていただきましたが、
それ以外にも、そういったことは多々あって、
それはもうこどもたちが生まれる前から、
例えば私は、私自身の大学受験の時、ある大学・学部の受験日を間違えています。
受験会場へ行くと、自分の受けたい学部の校舎がわからなかったので、
「すいません、こちらの学部の試験会場は・・・?」
とお伺いすると、係員の方が凍り付き、
「・・・・・それ、昨日です・・・・・・」
ということは、昨日私がせっせと赤本を見返し、
「うん、いい感じだな」
とか思っていた頃には、試験は既に無事終了していたということですな。
こういう母を、こどもたちは信用しません。
大抵の場面で、夫より私を選ぶこどもたちですが、
絶対に受けたい試験の付き添いだったり、道案内をしてほしい時は、
(私とだと、こどもたちは道案内をしてあげる側になってしまいます)
夫に頼むか、夫と私、二人とも来るように頼んできます。
こどもなりに、生きるために、頼るべき大人を見極めているのでしょう。
夫が唐突に、「使ったって」と言います。
え?何を?
「あの、3万のやつ。○○だって」
息子が使ったと言うのです。
「え、だって使ってないって言ってたよ?」
「いや、使ったんだって」
3万円も?
わが家は、私も含め、ゲームもマンガも大好きなので、
課金も、ゼロではありません。
(何なら私も課金をしてしまいます。
ゲームの課金は数百円ほどなので、多額ではありませんが、でも、ゼロではありません。
マンガも読みます。)
ここ数年、こどもたちは物をあまり欲しがらないので、
私と夫からのプレゼントは、課金にすることが多くなっていました。
でもさ!
勝手に使うのは違くない!?
しかも、3万て、お小遣いの範囲を超えてるよ!!!
「見せて」と言うと、
一応バツの悪そうな顔でスマホを差し出す息子。
履歴を見ると、出るわ出るわ。
めちゃめちゃ不正利用されています。わが子に。
1年分くらい遡れたのですが、計40万超。
「えっ、そうなの!?」
これには夫も驚いています。
どうやら、使っているのが私だと思っていたようで、金額が小さいものは気にしていなかったようです。
それが、その時は3万円と額が大きかったため、Appleで3万円って、何だろうな・・・?と、不思議に思って聞いたのだそうなのでした。
「クレカの方で遡れば、まだあるよね」
と言うと、息子、
「いや、そんなに前はしてないと思う・・・」
と言いますが、
そんなわけあるか!絶対あるやろ!!
「これ、どうするつもりだったのよ」
と聞くと、
「ぼくの口座から払うつもりだったから、引いておいて」
と言います。
お年玉や今までのお小遣いを貯めた銀行口座を持っているのですが、そこから補填しておいてくれと言うのです。
わかった、それはそうするけどさ、問題がいくつかあるよ。
1 そのお金は、そういう目的に使っていいものなのか
2 なぜ使う前に一言声を掛けて了承を得なかったのか
3 なぜママには使っていないと言ったのか
これに対し息子、
1 お金の使用が許される範囲について
「これは、みんなが、ぼくがしあわせになるようにってくれたお金で、
ぼくは課金したことで、いい感じに気分転換をしながら、高校受験を無事に乗り切ることができたよ。
とても有意義な使い方ができて、みんなもよろこんでくれると思うよ!」
そう思ってるんだ・・・。
いや、これはさ、みんな、あなたの成長にとってためになることに使ってほしいと思ってるのであってね、
いや、マンガもいいよ、マンガから学ぶこともあると思うけどさ、
(3万円はマンガを読むのに使っていました)
でも、もうちょっとこう、うーーーーん・・・わかる?
息子は当然わかりません。
「みんな、そんな心の狭いことは言わないと思う」
と、曇りなき眼で返されました。
実際、私の父は、最初驚きはしたものの、
「あははははは、◯◯らしいな!
本人が納得しているならいいんじゃないのか」
と笑っていたので、殊私の父に関しては、息子の見立てが正しかったことになります。
でも、ジジ、ほんとごめんね…。
ちなみに夫の両親には、申し訳なさすぎて話せていません。。。
2 なぜ一声かけてから課金しなかったのか、について
「最終的には認めてくれるだろうと思ったけど、受験生の間はマンガやゲームにいい顔はされなくて、一旦は揉めると思ったから。
その時間がもったいないから、バレたら話せばいいかな、と思ってた」
息子は、自分が何をしても、人を傷つけたりしない限り、私たちが許すであろうことを知っているし、そう信じています。
親ってそういうものだからね・・・。
でもさ、それ言っちゃったら、何でもいいになっちゃうじゃんよ!!!
3 なぜママには隠して、パパに言ったのか、について
「パパの方が話を聞いてくれると思ったから」
私は、話のわからない人として、息子に見限られたのです。
夫はこれにまんまと乗せられ、ちょっとうれしそうな表情を隠しきれていません。
「クレカの明細で遡って」
と私が言っても、
「まぁまぁ、ここはさ、○○(私)もいちいち調べるの大変じゃん?
そこに出てる分でいいってことにしようよ」
などと言います。
そして、「物分かりの悪いママに色々言われて、ちょっとしょんぼりしてかわいそう」風の息子に、
(風です、風!かわいこぶりやがって…!)
「ごめんな、パパがもっと早く気づいてあげればよかったな」
などと言い、息子も、
「うん・・・」
などと言っています。
思わず、「何バカなこと言ってるの?」とつっこみましたが、
二人でイチャイチャしていました。
本当に、都合のいい時だけパパを使って、これまた気持ちいいくらい簡単に使われる夫よ。
あまりのチョロさに、もはや清々しいほどです。
(夫は犬にもチョロいので、「チョロさん」と呼んでいたら、小犬たちも夫を「チョロさん」として認識するようになりました。
「チョロさんじゃない!パーパ!!」と再教育していますが、キョトンとされています)
さて、この課金問題、
「課題をやらなくて中学中退問題」と、根っこが同じ気がするのです。
私は、
学校から出された課題を、やらなければいけない「義務」だと考えていたのですが、
息子は、
課題は勉強を進めるための道具の一つ、それを使うと便利な人が使えるオプション・「権利」みたいなもので、
もうその範囲の勉強が済んでいて必要ない人や、他にもっと効率のいい方法がある人は、出された課題で勉強する必要はなく、
先生方は、生徒の教育のために尽力してくださっているのだから、成績がより上がる方がいいはずである、
と考えています。
まぁ、一理あるんだけどさ…。
課金についても、
私が、
「何か勉強に役立つものを買う」→「勉強が捗る」→ 将来につながってしあわせ
のプロセスも含めて大切だと考えているのに対し、
息子は、
「課金をして息抜きができて勉強が捗る」→ 結局しあわせならOK
と考えていて、私が何を問題としているのかがわかりません。
まぁ、しあわせならいいのか…。
おそらくは、SAPIX時代も同じで、
息子はSAPIXの全てのことを、自分が勉強ができるようになるための便利グッズでしかなく、
息子の勉強のために、私たちが授業料を払ったことによって彼が得た「権利」だと思っていたのだと思います。
授業を受ける「権利」
テキストを使う「権利」
テストを受ける「権利」
権利なので、自分が必要なものだけを選び取り、いらないものは捨てていいのです。
それで、「この部分はいらないので授業料払いませんよ」などと言ったら問題ですが、
私たち親が満額の授業料を収めている以上、いらない権利を放棄しても何も問題はないと考えていたのだと思います。
まぁ、突き詰めればそうなんだけどさ…。
とにかく、息子の視点はあまりにもマクロで、結論が常に極論なのです。
また、これらの私と息子の考え方のズレをより難しいものとしたのは、これが、普遍の真理ではない、ということだと思います。
例えば、人を殺してはいけない。
(これを例に出すと、死刑制度を採用してる国々がある以上、話が単純ではなくなってしまうかもしれないのですが、)
少なくとも国家権力ではなく、私人が主体であった場合、(正当防衛などの)特段の理由なく人を殺してはならないのは普遍の真理と言っていいと思います。
でも、「課題をやらなくてはならない」「お年玉で課金しない」と言ったことは、全世界共通の約束事ではありません。
内容の性質で考えると、
憲法のような上位規範ではもちろんなく、
日本全国共通の法律でもなく、
よくて条例レベルなのではないでしょうか。
こうしたことは、こどもの世界には多々あって、
例えば、娘の学校では、スマホの持ち込みが禁止されていますが、
これに対し、息子の学校では、使用は禁止されていますが、持ち込みは許可されていて、
息子のお友達の学校では、持ち込みも使用も許可されています。
また、年末に行ったラスベガスでは、私たちはたくさん大麻を吸ってしまいました。
吸いたくて吸ったわけではなく、通りすがりの人が吸っているものを、副流煙的に吸ってしまうのです。
大麻も、場所によって合法だったり、非合法だったりするものの代表格ですね。
郷に入っては郷に従え、なので、勝手にルールを変えることは許されません。
なので、ルールが気に入らなくても、その共同体の中にいたいのであれば、とりあえずルールは守りつつ、正規の手続きを経て、ルールを変える必要があります。
でも、このように、時と場所によって、守らなければならないルールは違うものだということは念頭に置いておかないと、
違う考え方を持った者同士の相互理解は難しいと思われます。
今回について言えば、息子の通っていた中学校に、
「課題をやらなければコース落ちする」というルールはありませんでした。
「どうして必要ないものをやらないといけないの?」と聞かれた時、
「必要ないかどうか、あなたは自分で判断できると思う?」と聞き返すと、
「できる、ずっと先生にやってもらうわけにいかないし」と言われ、
それで失敗しないように学校で用意してくれてるんじゃない、と思いながら、
(息子の学校では、生徒全員一律ではなく、模試などでできなかった箇所に応じた、オーダーメイドの課題が出されていました)
自分で道を切り開こうとする息子に、
「いいから、先生の言うとおりにしてれば間違いないんだから!」と言うことはできないよなぁ・・・と思いました。
たとえそれで失敗したとしても、息子には失敗する権利が与えられて然るべきだと思いました。
ちなみに、私には超がつくほど優秀な従兄弟がいて、
彼は10年ほど某宇宙局に勤めた後、ノーベル賞受賞者をたくさん輩出するアメリカの大学で先生をしているのですが、
夏に久しぶりに一時帰国して食事をした時にこの話を愚痴ると、
「いいねー!尖ってるねー!!面白い!!
ぜひこのまま行って、みんな見返してやればいいよって、○○くんに伝えて!
いいなー、アメリカに来ればいいのに」
と言うので、
「点数取れればなんでもしていいと思ってるでしょう」
と軽く窘めると、
「えー、ダメなの?」
とかわいこぶっていました。
多分普通はダメだし、
そもそも中学受験の模試で全国1桁常連のあなたと一緒にしないで、と思います。
ただ、真顔で「力が全てだよ」と言う彼の一言には、それはそれで重みがあって、
彼が身を置いている世界では、課題は人から与えられるものでなく自分で見出すものなのであって、誰かに言われたからと言って自分に必要のないものをやる暇などないんだろうな、とも思いました。
また、課金についても、わが家には明確なルールはありませんでした。
私が、どうしたらいいのか、ハッキリと決められずにいたためです。
絶対ダメ、というお家も少なくなく、取り扱いには常に悩みます。
そもそも、ゲームそのものが、ずっとグレーな存在として扱われています。
課金ではなく、利用時間の制限についてだったと思うのですが、
香川県では、ネット・ゲーム依存症対策条例という条例が制定されてしまったそうです。
大きなお世話だよ…と正直ゾッとしましたが、一応こどもたちには伝えました。
「ママはここまでする必要はないと思っているけど、
脳への影響がどんなものなのかは、ママには、というか、多分まだ誰にもわからないだろうから、
何十年後とかに後悔することになるかもしれない。だから、気をつけてはいて。」
ゲームはただ楽しんでいる分には、人を傷つけるわけでもないし、誰に迷惑をかけるわけでもない、無害な趣味です。
そして、ゲームは、湧いて出てくるわけではありません。
クリエーターさんたちの発想、技術をはじめ、
システム関係、経理関係、法律関係、などなど、
多くの方の手がかかって生み出されるものです。
それに対する感謝と称賛の意味も込めて、私は課金をしています。(少なくて申し訳ないのですが)
その経済規模たるや、あまりの大きさに目がくらむほどですが、
それだけ誰かに楽しんでもらえるということは、シンプルに素晴らしいことなのではないでしょうか。
みんながしているのだからいい、とは言いませんが、
そういった中で明確な理由もなく禁止されても、こどもは納得しないでしょう。
この問題に、どうやって折り合いをつけるか。
まず課題に関しては、
「君は英語を勉強したまえ」
と言いました。
SAPIXの先生含め、多くの方に言われる、
「彼は日本で生きていくのが向いていないと思います」
というお言葉。
「海外に出たら絶対いいと思います!」
と前向きに言っていただくことも多いです。
私には、彼がどこであればのびのび生きていけるのか、わかりません。
ただ、試してみる価値あるのではないかと思ってます。
課題をやらないのは人間性に問題があるのか、と聞かれたら、
暴力を振るったり、暴言を吐いたり、人を傷つける行為をするわけではないし、
ただ自分の思うやり方で勉強したいと言っているだけのことですから、
さほど問題があると思えません。
それが許される地が、むしろ、そうやって自分で勉強する姿勢が評価される地が、世界のどこかにあるかもしれない。
ただ、そこで話されている言葉は、どうやら日本語ではなかったようだから、
とりあえず一番使えそうな英語を勉強して、君が好きに過ごせるところに行ってみたらいいんじゃないかな。
すると息子は、
「うーーーーん、ぼく、日本が好きなんだよね。
食べ物がおいしいんだよ」
あなたのその鋼のメンタルなら、まぁ、どこにいてもいいのかもしれないね。
本人が困ってないのだから。
課金に関しては、
範囲を決めて、任せてみることにしました。
この額の範囲内なら、何に使ってもいい、ということにしたのです。
私はやはり、課金は、絶対的に悪いものだとは思えません。
お酒や、私にとってのチョコレートと同じようなものです。
(私はチョコレートが大好きなのです)
やりすぎれば、飲み過ぎれば、食べ過ぎれば、身を滅ぼします。
でも、楽しく、気持ちよく、嗜む程度で付き合っていければ、それは人生を豊かにします。
その付き合い方を学んでほしい。
失敗もするでしょう。
私の超賢い従兄弟だって、大学時代、急性アルコール中毒で救急搬送されたのに、
未だにアメリカでもテキーラ飲み対決なんてやっていて、記憶がなくなる程飲んで、しかも絡み酒です。
研究のため南極に行くそうなのですが、
「南極って医療設備が整ってないからさ、健康じゃないとドクターストップかかっちゃうのよ。
だから毎日ジムで1時間走ってる!」
と言って、シュッとした体型を維持していますが、私は思います。
酒、やめれ。
いい大人でさえ、そうやってやっているのです。
チョコレートを食べたことがなければ、チョコレートを我慢する苦しさを味わわなくてすんだのか、とは思うものの、
それでも私は、選べるなら、チョコレートのある人生を選びます。
今のこどもたちを、ゲームや課金のない世界に閉じ込めておくことは不可能でしょう。
ゲームも課金もある世界を、自分の意思で、溺れずに、泳いでいけるようにならなければならないのです。
そして何より、大いに楽しんでほしい!
とは言ったものの、
小心者な私は、こどもに課金を許していることを、普段はひた隠しにしています。
あぁ、なんとかっこ悪いことか。
そして、息子の口座に残っていた金額のほとんどを、
金融教育という名の下に、新NISAへ!!
ドーーン!
これで、多少でも増えれば、その分の課金はなかったことにして、
たとえ減ったとしても、「それも勉強だよね!」的な感じで、課金で減った分をなんとなくうやむやにできまいか・・・
という作戦です。
我ながらいい考えです
今の所、息子の分だと、10万円くらい増えていたり、5万円プラスくらいに減っていたり、といった感じなのですが、
慣れてきて調子に乗った息子が、個別株を買おうとし始めたので、必死に止めました。
それも勉強って言うけどさ、
フィーリングで株買うのって、勉強なの・・・?
差益40万を超えるまでは、減ったってことにしよう。
今の所、新NISA、30〜35万のマイナスです。
わが家では、株、結構な暴落中です。