・「仁」
「仁」とは「人が二人」と書くように相手を思う心、すなわち優しさ、思いやりのことである。
これは万徳の本とされ、「王者の徳」といわれる。全ての徳の源流といってよい。
公徳心も平和の思想もこの延長線上にある。
キリスト教ではこれを「愛」といい、仏教では「慈悲」と呼び、武士道では「惻隠の情」という。
「治世の学」といわれる儒教が、仁の徳をいかに最高の位置に置いたかは、次の格言を見てもわかる。
「不仁にして国を得る者あり、だが、不仁にして天下を得る者はいまだあらざるなり」
訳→(徳なくして小さな国を得た者はいるが、徳なくして天下を得た者はいない)
「仁に当たりて師にも譲らず」
訳→(仁の道を行う場合には、相手が先生であろうと遠慮することはない)
そして極めつけは、「身を殺して仁を為す」の言葉である。
「仁のためには生命も犠牲にしろ」というのだから、この徳が武士道の土台にあったことがよくわかる。
特に、新雪渡戸稲造の『武士道』では、「サムライは愛と献身と気概の所有者」として書かれており、
これを「ノーブレス・オブリージュ」(高き身分の者に伴う義務)といっている。
「上に立つ者は、下の者をまもるために身を犠牲にする愛と正義とそれを支える気概をもて」ということだ。
この根本が「仁」である。
・「義」
次に「義」とは、人間として正しい行ない、すなわち「正義」のことである。
ところが、「義」には「利害損得、成敗を離れて」と注釈がつく。
つまり儲かるからとか、成功するからとか、そうした打算とはかけ離れているのが「正義」である。
だから!!
損をするとわかっていても、あるいは負けるとわかっている戦いでも、それが正義だったらやるしかないのだ。
新渡戸博士も「義」は武士の掟のなかでももっとも厳格なる教訓であると断言し、
「節義なくば世に立つことを得ず」といっている。
サムライはこの「義」を武士道精神の支柱に置き、これを踏み外した者は卑怯者として糾弾の対象となった。
なぜか・・・。
「正義」と反対の言葉を思い出すとよくわかる。
「正義」の反対は卑怯、卑劣、嘘つき、不正で、こうした不道徳が通ると、嘘が乱れ飛び、不正がはびこり、平穏な秩序ある社会など築けないからだ。
つまり「正義」は、人間としてが社会的動物として生きるうえで普遍的な原理なのである。
今日の社会的が乱れているのはすべて「義」が忘れられているからといってよい。
・「礼」
三つ目の「礼」とは何か。
一般的には挨拶といった儀礼的なことを思い浮かべるが、基本は社会的の秩序を保つための生活規模の総称である。
だが、もともとの「礼」の意味は、「他人に対する思いやりを目にみえるかたちで表現する」ことをいう。
したがって、「礼」だけが独立しているのではなく、ほかの徳目(仁・義・敬・讓)が心の中にあって、それがかたちになる時「礼」となって表れる。
要するに、相手を思いやる心がなくて挨拶をすれば、それは単なる所作であって礼とはいえない。
また、あまりにゴマすり的な挨拶も慇懃無礼となって、かえって失礼にあたる。その本質は「仁」であり「義」である。
・「智」
四つ目の「智」とは、知識教育を含む叡知のことである。
「智」は中庸(バランス)をめざすことを最上とする。
どういうことか・・・。
例えば、友人が借金を申し込んできたとする。「仁」の隠の情としては、その要望に答えたい。
だが聞けば、友人はギャンブルに凝っていて、そのために生活費まで使い込んでいるという。
となれば「義」の心で、友人として「そんなことはやめろ」と説教しなければならない。
このとき友達としてどうするのが正しいのか・・・
これを考えるのが「智」である。
友人としての絆を切ることなく、ギャンブル癖を止めさせるにはどうすればよいか。
「仁」と「義」のバランスをとることだ。
これを中庸といい、「中庸」には「中庸は神の道」とある。
人間社会を平和に保つための知恵である。
戦争が起こるのも、企業が倒産するのもすべてはバランスが崩れたときである。
したがって「智」とは、このバランスを保つための総合判断能力であり、臨機応変の処置となる。
・「信」
最後にの「信」だが、これはいうまでもなく信用、信頼のことである。
「信なくば立たず」といわれるように、人間が社会的動物である以上、信用や信頼をなくせばこの世では生きていけなくなる。
孔子はいう。
「人間がもし信用をなくせば、どこにも使いみちがなくなる。馬車に轅がないようなもので、引っ張っていきようがない」
と。
要するに、「仁・義・礼・智」が行動の徳だったのに対して、「信」はその結果として得られるもので全人格的なものとなる。
徳を身に付けるとはこの「信」を得るための行為である。
それは、人が「この人はいい人かどうか」を言葉や理屈ではなく行動で判断するからである。
その意味で「信」は徳の集大成といえる。
数学では100から1を引くと「99」だが、
世の中の掟では100の実績があっても一回でも信用を欠いたら「0」である。
だから、すべての徳はこの「信」から帰結する。
したがって、トップや指導者は必ず「信」がなければならない。企業も同じである。
いつの時代も一番身につけておかなければならない徳といってよい。
「剛毅木訥仁に近し」という言葉があるように、言葉遣いや挨拶が少しくらいぞんざいでも、約束を守るとか、責任感が強いとか、正直であるといった行為があれば、「あの上司は信頼できる人」といわれるようになる。
上司に信用さえあれば部下は部下は苦言にも耳を傾け、表面上のぞんざいは帳消しとなり、部下はついてくる。
だから少しばかりの才能を身につけるより、まずは「信」を培ったほうがよい。
信用や信頼は人間として一番の宝である。
孔子は、この「信」を見極めるのに、「死に際に誰に自分の子供を託せるか、それで測る」といっているが、
確かに、幼き子を残して世を去らなければいけないとき、これを託せる人は最も信頼の置ける人ということになる。
今、薄れている事が非常に多く学べます・・・
【人の上に立つ者の哲学―武士道的精神に学ぶ10の要諦】より引用!
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