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Lou Music & Films

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★記憶に留めておくためにも

 10年前に記したものをリプライズします。

 

 

あの日に何があったか。

知らない人はいないだろう。
自分だって、巻き込まれていたかもしれなかったのだから。

当時の自分は大学5年
すでに報道ニュースの現場でアルバイトとして働いていた。
 

1ヶ月前(1995年2月)に制作会社に就職が決まり
報道ニュースの仕事もあと少しという頃。

何かあればすぐに動ける心の準備はしていた。
”何か”とは今でいうところの”有事”

この年の1月、阪神大震災があった。

卒論を必死に書いている最中にTV局のバイト仲間から電話が。
「TVを見て!」

TVスイッチを付けた瞬間、画面には高速道路が横倒しの様子が映っていた。

卒論はどうでもよくなった。

すぐに報道フロアにかけつけ

まる1日スタジオを仕切っていた。

”有事”を伝える側の心構えは

その時に養われていたのかもしれない。

 

TX(テレビ東京)にはいつも9時に入ればOK
でも、この日はなぜかわからないが
いつもよりかなり早くマンションを出ていた。

あの頃、新宿から乗る丸の内線はよく遅れていた。
数日前から前兆があったのはわかっていた。
それを確かめたかったのかもしれない。

あの日の前日、早めに目覚ましをかけて寝た。

「あすはいつもより1時間は早く行こう。」

しかし家を出るのが遅かった。

それが幸いしたのかもしれない。

 

京王線・新宿駅西口改札を8:00には駆け抜けたかったが、

実際に駆け抜けたのは8:20すぎ。

そう、

あの忌まわしき出来事が
起こっていた時間は過ぎていた。

 

丸の内線ダイヤはすでに乱れていた。

ホームに入ってきた車両に乗り込むも速度が遅い。

ついに赤坂見附駅付近からまったく動かなくなった。

20分、30分待てども動く気配はない。

すると、国会議事堂前駅で全員下車というアナウンス

「いったい何が…」

駅に到着して改札を抜けとにかく猛ダッシュで地上に上がった。

どの出口から出たのかまったく記憶にないが、

その出口で、いままで見たことのない光景を目撃した。

 

霞が関方面から必死のに逃げる人たち。
表情を見れば映画の撮影ではないことはわかった

空は曇天

激しく鳴り響くサイレンの音

しかも人の数が半端じゃない

まさに異様だった

悲鳴が聞こえたのと、自分も頭が痛かったことを覚えている。

「局へ急がなくては」

米大使館→ホテルオークラを横目に走りながら

坂を下って神谷町へ。

ホテルオークラから下る坂道の先

TX建物の奥にある神谷町の方角

そこにも無数の人の波が。

異様な光景だった。

局に着くと、通常番組を差し替えて生中継になっていた。

すぐに報道フロアへ

バイト仲間と交代しスタジオを仕切る

神谷町駅でも事が起こっていたことをスタジオのモニターで知った。


その日は何時間フロアを仕切っていただろうか。
次々と入る現場の様子と事件内容に驚愕すると同時に
阪神大震災で経験した

伝える側という冷静さ
怒りと怖さの震えの方が強かった。

夜、志願して聖路加病院へ中継に行った。

どうしてこんなことが起きたのか。
とにかく知りたかった。

運び込まれてきた人たちで埋まっていた通路には

ほとんど人がいなかったが

院内建物内の進入禁止通路の先で

まだ治療中の方が何人もいることを聞き取った。

伝えることが「使命」だと誓った日でもあった。


いつ 誰が 何を どこで なぜ
この姿勢はいまでも変わらない。

3月20日は忘れない

忘れるわけがない。

Chick Coreaが亡くなった。

最初に聴いたのは大学1年のころ。
ちょうどLive Under the Sky 90が終わってすぐ。
超名曲「spain」を聴いてからでした。

アル・ジャロウとスティーブ・ガッドの「スペイン」
https://www.youtube.com/watch?v=m7W9wLXJNRk


実は「スペイン」を最初に耳にしたのは
高校1年のとき1986年、

アル・ディ・メオラ&ラリー・コリエルのduoでした。
https://www.youtube.com/watch?v=Ve_ruhIzho0

フリーテンポで演る曲だとばかり思っていて、
Live Under the Sky 90であの演奏を聴いて衝撃を受け、
さらに、作曲がチック・コリアと初めて知ったという(笑)

ECMレーベルも「リターン・トゥ・フォーエバー」も
マイルスのアルバムでフリーっぽく暴れているのも、

その時知り…

ほんと、もっとはやくから聴いておけばよかったなぁと…
といっても、
当時の法大Ⅱジャズ研で

チック・コリアのレパートリーを演る奴はいなかった。

特に

「アコースティックバンド」の3人(チック・パティトゥッチ・ウェッケル)

のテクニックはマネなんかできなかったし。

「spain」をまともに聴けたのもライブアンダーが初めてでした。
周辺の大学でも演奏しているのを見たことがなかった。
曲が難しい、ということはなかったけど、
あの頃のジャズ研はまだチック・コリアよりも

エバンスを追いかける人が多かったし、
僕自身もエバンスはもちろん、

モンク・マッコイ・ホレスシルバーだった。

しかし30過ぎてだんだんチックの曲が聞きたくなり、
40でアルバムを買い占め始め、
ついには、仕事中にYouTubeにアップされている
海外のライブをも聞きまくるほどのヘヴィロテに。
(仕事が捗るんですよ。特に企画書を書くときは)

チックの魅力は一言では語れない。
クラシックもジャズもロックも

ソロもデュオもアコースティックもエレクトリックもグレイト!
独自の解釈でプレイしているからだと思う。
インプロビゼーションも最高。
しかも年々クリエイティブになってて、

そんなプレーヤーもチックぐらいだろう。

初めて聴いてから30年以上。
あのときの「Live Under the Sky 90」のバージョンは
一生忘れられないバージョン。

でも、このバージョン、実は編集されていたのを知ってビックリ。
https://www.youtube.com/watch?v=4ezzcEleYPo

しかもこの時、モントルージャズフェスにも出ていた!
https://www.youtube.com/watch?v=8fksRedUr4k

偉大な曲を遺してくれたチック・コリア。

この先も知らない「spain」があるんだろうな。
増々聞き込んでしまいそうです。

最初の就職先
そして自分の仕事の”原点”でもある
オフィスユニの上羽さんを偲ぶ会に参加しました。
 
 
亡くなられたのが今年8月22日。
取材していた姿、構成作家だったこと。
70を越えても番組作りに情熱を燃やし、
亡くなる2日前には台本の修正を
現在の社長・琢未くんと話し込んでいたこと…

などなど、初めて聞くことばかりで、
常に情熱をささげていたことに、あらためて驚きました。
 
 
いまから25年前。
どうしてもTV業界の仕事がしたくて
別れた彼女に頼み込んでTXのバイトを紹介してもらい、
なんとか報道局でアルバイトできることに。

Qシートは手書き、テロップは紙焼き…
(テープはベーカムでしたが、
さすがに今とは隔世の感がありますね)
毎日、編集室と報道フロアスタジオを走り回っていました。
当時のTX報道バイト仲間は、
みな業界に憧れてた連中が集まっていて、
卒業後も業界で働くことを希望していた奴らばかり。
アナウンサーを目指している子もいて、
なんと、いまも気象キャスターとして
画面に登場している子もいれば、
叩き上げで派遣の身でありながら
デスク業務をしているのもいます。

そのTXで報道バイトを経験していたまではよかったんですが
…というか、大学5年の卒業2か月前まで
就職先が決まっていなかったという
…いま思うと何してたんだろう…(笑)
ヤバイ、どこか就職できる制作会社はないかと、
報道フロアに出入りしている人たちに声かけまくって、
「一番いい会社がある」と紹介されたのが、
オフィスユニでした。
(紹介してくださったNさんにはとても感謝しています。)

面接官は先代と上羽さんの”2トップ”。
強面”2トップ”に睨まれながらの面接でした。。。
先代が即OKして、教育係は上羽さんに。
大学卒業後の3月末までTX報道バイトして、
翌週にはすぐにユニへ。
上羽さんのスパルタ教育が幕を開けます。
 
「TX内でバイトしていたんだから、
CGとかタイトルの部署とか、全部知っているんだろ?」
いいえ、少ししか知りませんでした…。

「調べるっていうのはな、電話だけじゃダメなんだよ。
お前、何を聞き取ったんだ?
どの部署の誰から聞いたんだ?そこに何がある?
実際に行ってみて全部調べてこい!」
はい。すみません。。。
 
自分のやってきた仕事は、
上羽さんが求める内容には程遠いことばかりで…
1分遅刻しても怒られ(当然ですが…)
毎日毎日、怒られていました。
 
当時のオフィスユニは「林田組」と呼ばれていて、
TX内では
”鍛えられるぞ””教育が厳しいけど、
あそこなら仕事任せて大丈夫、安心”
と言われているほど、局からの信頼は絶大。
バイト時代はカメラマンに蹴られたりして
存外な扱いをされていたんですが、
「オフィスユニに就職しました!」
「おー林田組か!それはよかったよかった!」
と、因縁つけられたあとに

印籠出したらエゲつない反応という。
TKのお姉さま、技術さんにはかわいがってもらい、

それに誇りを持っていたのも事実でした。
 
といっても、
仕事ができなかった自分は
毎日毎日怒られていたので、ほんとイヤでイヤで…
TX行くのもイヤになるほどでした。
 
それでも、
「きょうは早く帰って体を休めろ」
「親は大切にするんだぞ」
ふとしたときに掛けてくれる
上羽さんからの愛情がとても身に沁みました。
27の時にユニを離れましたが、
厳しく鍛えていただいたことが忘れられず、
29の時に会いに行き、
その後、しばらく会うことはできず。
2年前、TXの方と食事した際、
偶然、移転先の六本木で
再会することができたのが最後でした。
 
偲ぶ会には70人以上の方たちが集まりました。

神谷町の頃や、
都議会や制作系など様々な番組スタッフとの写真を拝見し、
また、自分がいた時代のときのメンバーや、
鍛えていただいた先輩ディレクター
(=吉田さん、カメレオンフィルム亀さん)もいらっしゃって、
とてもいい会でした。
 

スピーチもさせていただき、
厳しく指導を受けていたことを話すと
逆に驚かれましたが(笑)
集まった方たちと、たくさんお話しさせていただき、
当時の仕事の話や、私に対する思いを知り、
上羽さんから厳しく指導してもらって良かったなぁと
感慨深くなりました。
 
オフィスユニは
後を継いだ琢未くんがしっかりやっています。
頼もしいです。
この先、お手伝いしていきたいなと考えています。
集まっていただいた方には感謝申し上げます。
この御縁を大切に継承していきたいと思います。
 
上羽さん、ありがとうございました。

「がんばれよ!」
はい。がんばります!
 
特番のお知らせです。
 
3月16日(土)10:55~11:25
 
中京テレビ
「ミライを創れ❗~若者が"映える"会社の秘密~」
 
YouTuberとして活躍する若者や、
ユニークで意欲的な採用活動に密着したドキュメントです。
 
ナレーター遼河はるひさん
構成はスポスタの今井さんです。
 
今回も、
ちょっと珍しいところを取材しています。
お時間ある方は、ぜひご覧下さい❗
 
見逃した方は、
再放送(3月21日(木)25:51~)
アプリ&ネット「Chuun」からご覧になれますよ‼️
https://chuun.ctv.co.jp/
 

特番制作しました!
 

9月24日(月・祝)10:25~11:20

中京テレビ
「名古屋でいちばん暑い夏!~巨大レジャー施設リニューアルに密着」
この夏、名古屋のど真ん中にオープンした巨大レジャー施設。

リニューアルに携わった人たちを密着。苦悩と奮闘をお送りします。
(放送地域:愛知・岐阜・三重)

 

 

今回は演出のほか、自らカメラ片手に密着撮影しております。

(番組全体で3分の1ぐらい)

 

また、随所に拘った音(ノイズ)が散りばめられています。

お時間ある方は、ぜひご覧ください!

 

9月7日(水)~11日(日)に開催される

「あいち国際女性映画祭」において、

私が演出を手掛けた作品が上映されます。


あいち国際女性映画祭2016連携企画
~女性の活躍、わが社のチャレンジショートフィルム2016
「私がワタシらしく輝ける場所 MyAISIN」





アイシン精機株式会社で働く女性たちが「私らしく」輝いている映像です。

出演している女性は、まぢでカッコイイです。

ナレーションは「七色の声」をもつ「あの方」にお願いしました。

上映時間 ①10:00~10:30 
     ②13:30~14:00
     ③17:00~17:30
      ※最終日のみ14:00まで

お時間のある方はぜひご覧ください! 
サークルの同期が亡くなった。

毎年11月はワクワク・ドキドキの時期。
母校・法政大学の学園祭。自主法政祭。11月23日前後の4日間のお祭り騒ぎ。
この学祭のために、すべてを懸けていたといってもいい。
Ⅱジャズ研究会での学祭は、ほんとうに楽しくて、当時のVHSや莫大なテープを聴けば、
すぐに、あの「熱狂」と「興奮」の中に浸ってしまい、眠れなくなってしまうほど。

学祭は8年前に11月23日前後から11月3日前後に移動してしまったけど、
11月23日辺りは、いまでも心の中ではソワソワしてしまっている。
そして11月23日は、妻の誕生日&挙式記念日が新たに加わった。嬉しい限りです。

たしか今年がサークル50周年。
なので、それまでムリしてOB会に行かなくていいと思っていた。
学祭期間が終わった11月上旬の夜7時ごろ。
特集VTRの編集を終えて、自宅マンション隣の駐車場に車を止めたとき、
スマートフォンに電話がかかった。
画面には…懐かしい。
札幌にいる、サークル同期からだった。
学祭のあとだったから、
市ヶ谷に行って久しぶりにサークルに顔を出したのかと想像していた。

お互いのことや、最近の話などを一通り話して、
「あのさぁ」と、同期は含みを持たせるように切りだして出た
次の一言は衝撃的だった。

「ODAちゃんが亡くなったよ」

冗談かと思った。


Ⅱジャズ研究会の奴らは、演奏はマジメにやって、
それ以外はバカなことばかりやっていたし、
俺たちにしかわかならい、俺たちなりの会話があって、
「うそだろ?」ってことも平気で笑いをとったりするぐらいなので、
冗談だと思っていた。
会えば、話せばいつものこと。
卒業から18年経っても、である。



ODAちゃんは2年生の時にⅡジャズに入ってきた。
滋賀出身で関西弁しゃべるけど、もの静かな印象だった。
法政大学Ⅱ部は、授業は夕方からだったから、昼間は好きなことができたけど、
ほとんどの連中がバイトなどをしていて、俺は広告代理店でアルバイト、ODAちゃんは
運送会社で働いていた。
夕方から授業に…なんだけど、あんまり授業に出た記憶がない。そりゃそうだ。
Ⅱジャズの部室、BOX523に毎日入り浸っていたから。
ODAちゃん、白シャツに革ジャン&ジーンズ。伸ばした髪を後ろに束ねて、
涼しそうな顔で6弦ベースを奏でる。

ムリなことばっかりお願いしたなぁ。
1音1音のつなぎを、もっととぎらせないようにして、ソフト目にとか、
サンボーンの曲やりたいから派手にチョッパーかまして、
しかももっとテンポ早くとか…。BOXでの練習風景が今も忘れられない。
平日は夕方18時ごろから23時すぎまで練習。
土日も練習してたけど、毎日やってても飽きなかった。

俺が住んでいたのは府中、ODAちゃんは落合。
市ヶ谷から帰る方向は一緒なんだけど、俺は都営新宿線or総武線なので市ヶ谷、
ODAちゃんは東西線だから飯田橋。
別方向、といいながら、飯田橋・神楽坂方面でよく飲んでたなぁ。
他にもいっぱいいっぱいある。
大学時代の仲間は、喜怒哀楽を共にした、かけがえのない存在。
いつ会っても、一瞬でその時代に戻れる。とにかく想い出がたくさんありすぎて、
ここには書ききれない。



ODAちゃんと一番仲が良かったのが、電話をかけてきた札幌にいる同期。
また何かやらかしたのかと思っていたところに、衝撃の知らせ。
いやいや、冗談でしょ、と言ったあと、
電話口の同期は、しばらく黙った後、
全く変わらずに続けて「ODAちゃん亡くなったよ」同じことを言った。



ODAちゃんの奥さんからの連絡だったそうだ。
翌朝起きて来ず、そのまま亡くなっていたと。
俺もよく笑うが、俺以上に顔をクシャクシャにして笑う、
あのODAちゃんがそんなまさか…。
連絡も衝撃だったが、
さらに衝撃を受けたのは亡くなってから2か月も過ぎていたことだった。
ちょうど2か月ほど前のODAちゃんのFacebookには、
稲刈りの様子を伝える写真とコメントが掲載されていて、
日付を聞くと亡くなったのはその後だったと…。

慌てて他の同期や先輩後輩らに連絡をした。
亡くなった知らせを受けたその日も、仕事をしているときも、
ライブの時も、年が明けても、まだ信じられなかった。
それを確かめるために、
今月11日、先輩・同期・後輩ら5人と滋賀県彦根へ向かった。

ODAちゃんに会うのは何年振りだろう。結婚したときは嬉しそうだった。
滋賀・彦根と名古屋は近いから、99年に当時の彼女と、
一宮にいる同期と一緒に遊びに行ったこともあったなぁ。
そういえば去年、1度電話で話したんだった。

「おー太田先生。毎度。ウイッス」

挨拶はいつもウイッス。いつもそう。


仏壇に飾られた写真、戒名、墓に刻まれた名前を見て受け入れるしかなかった。
ODAちゃんと一番仲が良かった、札幌から駆け付けた同期は、
しばし言葉を失っていた。

仕事が激務だったこと。ほとんど休んでいなかったらしい。
でも、ベースはちゃんと弾いていた。セッションには行ってなかったようだけど、
尊敬していたベーシストの教本と、スタンダード本がきちんと並んでいた。
思い出を聞くのはツラいと知りながら、
東京にいる連中から必ず聞いてきてくるように念を押されていたけど、
晃子さん、ほんとうに大変だったよね。話してくれてありがとう。
俺たちが集まると、大学時代のバカな話や大笑いすることしかできないけど、
ツラすぎて、それ以外できん。

ODAちゃん。ありがとう。
大学時代に一緒に演奏できてうれしかった。
想い出はありすぎてつきないけど、わずかだけど、ここに記します。
ODAちゃんの分まで生き続けて、演奏し続けます。




あけましておめでとうございます。
旧年中はたくさんの方々にお世話になりました。
もっとたくさんの人に会わなければならないと思っております。
そして、一緒に笑っていきましょう!
今年は、去年よりもさらに上を目指してがんばっていこうと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

すっかりご無沙汰していました。

書きたいことがたくさんありますが、まずは挙式から。

昨年2月11日に入籍をしまして、

11月23日(嫁の誕生日)に沖縄で挙式を行いました。

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式あげて良かったです。本当にいい思い出になりました。

これから毎年11月後半は沖縄です。

仕事関係の皆様、太田が11月に旅行するということは、

そういうことですので(笑)

ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。

きょう7月19日(木)中京テレビ「キャッチ!」(15:50~19:00)にて、

私が制作した、うなぎの特集が放送される予定です。

お時間のある方はぜひご覧ください。