広開門の門に入ると照心庭が左右に輝いていた
…凄く愛情を感じる
たまに吹いてくる風が気持ちいい🍃
不思議…こうして1歩,1歩,踏み歩いているだけで体の怠さが消えていく
この照心庭とは雨が降った場合、傘をささなくとも左側と右側に回廊があってその上に屋根が取り付けられている。
信徒や車椅子の障害者、高齢者の方々には最適な通路だと思います(晴れてる時は照心庭の真ん中の通路を通ります)
これこそ日顯上人様の愛情なのだなと深々感じました
この日は晴天に恵まれていたので照心庭の真ん中の通路を通り、円信閣ホールを通過していよいよ本堂へ入場しました。
あぁ!!凄い!!
これなら、たとえ人数多くて1番後ろの端っこに座ったとしても御戒壇様を見て拝む事が出来る!!!
大昔、正本堂の時は真ん中に座らないと御戒壇様を見ることが出来なかったのです
2階が一応あるのですが座る場所が真ん中には無くて左右に付いてるだけだったので猊下様の横顔しか見れなかったのです
私たち日本で暮らしてるなら、また来ることが出来るし、運良く真ん中に座れば見えますけど海外信徒たちが、やっとの思いで登山に来ても誰しも真ん中に座れるとは限りません
せっかく七つの海を渡り、過酷な長旅を乗り越えて来たというのに猊下様の横顔しか見れないなんて…
でも!もう!これでそんな事にならなくてすみますね!! ✨
どこに座っても御戒壇様を見ながら拝む事が出来ますね
正本堂は昭和47年10月に建立され、その2ヶ月後の12月にうちの寺が建立したのです
なのでうちの寺と正本堂は同い年
でも正本堂は太い柱がヒビ割れて欠片がズレ落ちてタイルに散らばっていたし赤錆も発生し臭いもしていた、そこから羽蟻や白蟻がモゾモゾ顔を出していた
池田大作が頑丈にお作り致しましたと言っていたが
🤔どこがだろう?
一歩間違えたら怪我するよ⛑️
しかも平成23年には東日本大震災が来たわけだし想像しただけでもゾッとするよね😱
うちの寺はまだまだ健全ですよ
なら、うちの寺の方が頑丈だったということになりますよ(笑)
正本堂解体されて良かったです
この奉安堂こそが本家本元の御開扉をさせて頂く場所です
係員に案内され、意外と前の方に座る事が出来ました(たしかね左側の前から六番目かな)
10時から奉安堂新築落慶大法要が奉安堂にて開催され、奉安堂建設について御僧侶様(誰だっけ?八木御能化様だったかしら?)詳しい説明をして下さいました。
「まず建築面積から、奥行12988mでありまして高さは約55mであります。信徒の席は5004席ですので5004名が御入場し着席する事が出来ます、須弥壇近くの僧侶席において畳は約240分となっております。」
ふと、説明を聞きつつ、前を見ると
日顯上人様が背中を丸めて、ずっと下を向いたまま、体が小刻みに震えていた
その日に参加されて前列にいた方は気付いたと思います(前に座ってた方が驚いて見てたし)
寒いのかしら?
いや!違う!!!!!
ハァ……ハァ……ゼィ……
息が荒い!!息が!!息が!!
息を切らしている!!
大変だ!!!
そういえば1月3日の出陣式(当時は1月3日から初登山だった)を終え、3月27日、28日の御内証立宗会大法要を終え、4月27日、28日の立宗会大法要を終え、4月から10月まで休む間もなく30万総登山を行って来られた
奉安堂が出来るまで奉安殿(現在の奉堂)にて御開扉が行われていました
奉安殿では信徒をたくさん入場させる事が出来ないので御開扉の時は信徒を半分に分けて一日のうちに4回から6回連続で行って下さってました、なので夕方に御開扉を受けた信徒いたはずです(現に私も出陣式の時は昼過ぎてた)
無茶をされていらっしゃったのだ…
気が付けば御歳八十歳になられていたのです
体力の限界をとっくに越えていらしたのです
ここまでやって下さってたのだ…
感動して胸が熱くなりました…
私はずっとずっと日顯上人様の背中を見詰めながら何度も書いて発表して下さってきた訓諭を思い出していました…
そして日顯上人様は何事もなかったかのようにスクッとお立ちになられ
7年後の平成21年7月26日
立正安国論 正義顕揚750年
7万5000人の大結集を行いなさいと次の御命題を御発言して下さいました
「さぁ邁進して参ろうではありませんか!皆さまいかがでしょうか!」
(奉安堂内 大拍手)
この時、本堂内にいた御僧侶と信徒たちは大歓迎し全てが幸福に包まれて虹色に煌めいていました
7年後かぁ…私、生きてるかな
うん、生きてたよ(^^;)
50万総登山が行われていてさ
忘れもしないよ7/4に参加したら強烈な抗精神病薬を飲まなくなったんだよね(この薬は副作用が酷くてね)
通院はたまにする程度になり今では軽い抗不安薬程度になったし、ほどんと飲んでないよ(’▽’)
奉安堂新築落慶大法要が終了し、奉安堂から外へ出ました
その瞬間!!
体が軽い!!!
(´▫`)スーッと微熱が冷めていく感覚がし始めて来ました
気分が良くなってきたわ🌼
私 「カメラ持ってくれば良かったな…」
奉安堂をバックに母を写してあげたかった
母 「あるわよ📷ほれ」
私 「えぇ!?あるの?」
母 「当たり前やわ、ここまで来てカメラ持ってこない馬鹿はいないわよ」
と写ルンですをバックから取り出した
📷ヽ( ̄  ̄;)いつの間に買ってあったん?
しかし流行ってたよなこれフラッシュまで付いてて良くできた商品だったよね
早速、母を写した📸
母 「つぎあたしが撮るから」
私 「いいよ…化粧してないし(つーか化粧どころじゃないよ)」
母 「さっきより顔色良くなったわよ、ほら、撮るからじっとしてて」
(- _ -)痩せこけた半目な私で写っている(恥ずかしいから見せられないよ💦)
看病してくれていた母に感謝
そして休憩坊へ辿り着いたのだが
実はここで自分の本来の病気だという事に気付かされる出来事が起きたのだ
また体が火照りだして、今まで何ともなかったのに急に突然、ガタガタ身震いがし始めたのです
私はずっと風邪だと思い込んでいたので、こうなってくると解熱剤(たしかPL顆粒だったよな)を慌てて飲んでいた
鹿間さんが言うには解熱剤は熱を冷ますだけでなく精神を落ち着かせる成分も少々配合されてる
だからこそ私は貪るようにこの解熱剤を求めて飲んでしまっていたのだ
鹿間さんが言ったように解熱剤じゃなくて精神安定剤を飲むべきだったのだ
発作が起きて手を震わせて悶え苦しんでる姿を幹部が見て驚いて近寄ってきた
そして私は解熱剤ではなく2月に受診した時に貰っておいた精神安定剤を飲んだのだ
すると発作はピタッと止まり、手の震えも止まり落ち着いてきたのです
って、ことは、まだ私は完全に完治してなかったってことなのね…
(´・_・`)前々から心も体も悲鳴をあげていたのに気付こうとしなかったのね…
自己嫌悪にしたっていると
「🧹ヾ(👄゚ )ちょいと!あんた!そこ掃除するんよ!はよ!どけてぇな!邪魔やで!」
同じ休憩坊に休んでいた関西から来てる信徒たちに言われ
「🧹ヾ(・Д・ )あんた!ここ座っときぃ!」
と掃除道具を持ってたオバチャンに引っ張られ座らされた
ふと前を見ると偶然にも板御本尊様の真ん前だった
私をじっと見つめてる板御本尊様
まるで誰かに抱っこされてるかのような優しい温もりを肌で感じた…
「何もかも知ってますよ辛かったね」
と、仰って下さってるかのようだった
あぁ…助かったんだわ
来て良かった
帰る時に幹部が車椅子を用意してくれていた
S講頭が私を車椅子に座らせてバスターミナルまで押してくれた
無事に終わりました
参加する前は吐き気が酷くて飲食が出来なかったのにバスの中で記念品弁当を食べたりジュースを飲んだりする事が出来ました
🍱🥢(^〜^)うまぁ~い❤ ムシャムシャ🧃ごくごく
次の日の土曜日には心療内科クリニックへ行って診察を受けてきました
あまりにも神経の奥が深く、心因反応が重症化していたとわかりました
でもさ
今はもうほどんと飲んでない
悩ませる人物もいない
全て御本尊様が助けて下さったのです
全て見てて下さってる
新しい2代目の住職様もついてる
もう針鼠のような嵐は過ぎ去ったのだ
もう怖くないんだ…
④へ続く