令和元年度 夏期講習会 第4期 ⑥ 御講義 (二)〝 法華初心成仏抄 〟 | ✿.*普段着の折伏✿.*



(訳) 
「良い師と、良い檀那と良い法と、この三つが寄り合って祈りを成就し、国土の大難も払う事が出来るのである。」 


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この前に 

「譬えばよき火打とよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり」 

と書かれています。 


今はライターやマッチなどで火を付けますが昔の人が使用していた˹火打ち金˼と˹火打ち石˼を寄り合わせてカチカチと叩き、飛び出た火花で火を付けるように「祈りというものは「よき師と・よき檀那と・よき法」の三つが寄り合って初めて祈りが叶い、国土も平和安穏になるのだと述べられている。

今は末法では 
「よき師」は日蓮大聖人様であり我与我の僧宝、第二祖 日興上人様から続く御歴代上人猊下様。 

「よき檀那」は法華講員。 


「よき法」は 三大秘法の南無妙法蓮華経。(※日蓮正宗) 


よき檀那が よき師と よき法に寄り合って真剣に信じて(異体同心・僧俗一致)祈ると世界に起こる大難(飢饉,疫病,戦争,)を払いのける事が出来て平和になる。(国土安穏)
 
「よき師」とは世間の過失が無くて人に諂う事なく少欲知足で大慈悲があり、経文に任せて法華経を読み持ち、人にも進めて法を持たせていく僧侶が世界一の良い法師であると仏様は述べられている。

よき檀那とは貴人を頼らず賎人を憎まず上にも偏らず下を卑しまず他人の過ち今言を用いずに諸宗教のなかで法華経を持って拝み、一切世間の人々に正法を進めて持たせる人がよき檀那であると仏様は述べられている。

よい法とは「最も第一と為す」と説かれているこの法華経であり已説の経のなかでも今説の経の中でも当説の経のなかでも、この法華経が第一と仏様は述べられている。 

禅宗・真言宗等の経法は第二・第三であり、また真言は第七重の劣です。 
第二・第三、第七重の劣の法を持って御祈祷しているが今だにその効力のあった現象も起きてないし証拠など無い。 
 所詮、禅宗・真言密教などでいくら祈祷などしても全く叶わず、かえって世の中が取り乱す現象が起きてしまうので迷惑である。 


(訳) 
「もとより末法の世にあっては無智の人には機根に叶うか叶わないかを顧みず、ただ強いて法華経の五字の名号を説いて受持させるべきである」と。 
そのゆえは釈迦仏が昔、不軽菩薩といわれて法華経を弘められた時には男女や尼や法師が一人も漏れなく用いないで、あるいは罵られ、毀られ、あるいは打たれ、追われた事は一様ではなかった。あるいは怨まれ、嫉まれたけれども少しも懲りる事なく強いて法華経を説かれたので今の釈迦仏となられたのである。不軽菩薩を罵った人は口も歪まず、打った腕も竦まなかった。付法蔵の師子尊者も外道に殺された。また法道三蔵も火印を顔面に当てられて江南に流されたのであった。ましてや末法において甲斐なき僧が法華経を弘めると必ずこのような難があると経文に確かに説かれている。 

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末法の衆生は本末有善の機根なので「法華経の五字の名号」である寿量文底下種の南無妙法蓮華経によって下種する以外に成仏する事が出来ません。
末法の世の中で法華経を強いて折伏すると必ず法難が起きてくると述べられています。また不軽菩薩や師子尊者、法道三蔵など正法を弘めて難にあった方々の話を述べられ、末法の世の中で法華経を弘めれば難が起き、機に叶わずとも強いて法華経の題目を人々に広めて聞かすべきであり、それ以外に仏になる道は無いからであると述べられている。
不軽菩薩は法華経の常不軽品第二十に説かれている。この不軽菩薩は威音王仏の像法の末に出現されて一切衆生に仏性があると強く信じて「我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏」と二十四文字の法華経を説いて人々に礼拝をし始めた。 
だがそれに対して増上慢の四衆は不軽菩薩を無智であると怒って悪口罵詈し、杖や木で打ち、石や瓦をぶつけて迫害したが不軽菩薩はそれでも礼拝行をやめなかった。
不軽品には「是の経を説くが故に、無量の福を得、漸く功徳を具して、疾く仏道を成ず。彼の時の不軽は、則ち我が身是れなり」とあり不軽は釈尊の過去世の姿と説かれている。

「或は罵り毀られ或は打たれ追はれしならず、或は怨まれ嫉まれ給いしかども少しもこりなくして強いて法華経を説き給いし故に今の釈迦仏となり給いしなり」と仰せられているのは、衆生が聞こうが聞くまいが、また自分が迫害を受けようとも法華経を説くべき時には強いて説いてゆくべきだと示されている。
不軽菩薩を罵った者は口が曲がらず、打った手がすくむ事もなかったのは すぐには罰が出なかったからです。そしてついに不軽菩薩が寿命が尽きようとした時、六根清浄を得て二百万億那由佗歳の寿命を増す事が出来て大神通力を得たのを目撃し、迫害してきた四衆も皆、不軽菩薩を信じ始め信伏随従した。だが出会った当初に不軽菩薩を迫害していたのでその罰で二百万億劫も仏に会えず、千劫もの間、無間地獄で大苦悩を受ける事になった。ようやくその罪が終わって再び不軽菩薩が教化するときに出会えたと説かれている。
この不軽菩薩の実践を通して末法の弘教の方軌が折伏であり逆縁を結んで救うようにしていかなければならないと示されています。


師子尊者という方がいて罽賓国で布教していた。国王の壇弥羅は邪見が強盛で多くの寺搭を破壊し、僧を殺すなど仏教を迫害し、師子尊者を憎み頸を斬ってしまった。その後、罰があたり王の肘が腐って地に落ちて苦悩の末に七日後に死んだと伝えられている。また師子尊者の首からは一滴の血も流れずに白い乳が出たという これは尊者が白法を持って修行されていたからこそ成仏したと言われている。
師子尊者とは釈尊から迦葉へ、迦葉から阿難へと、釈尊滅後に正しく法を付嘱して仏教を弘めた付法蔵の二十四人のうち鶴勒夜那から法を付嘱された最後の人にあたります。 


法道三蔵とは中国・栄代の僧・永道の事で北栄の第八代徽宗皇帝が老荘の学を尊んで道教を保護し、仏教の僧尼に還俗を命じた事に反対して書物を提出して徽宗を諌めたが逆に帝の怒りを買ってしまい顔に火印を押され江南の道州へ流されてしまった。このように正法像法時代でも正法を弘通して法難を受けた事があり、ましてや末法の世の中で法華経を弘めようとすれば法難が起き、経文にも明確に説かれています。 


したがって人が用いなくても機に叶わないと言っても信心強情に「法華経の五字の題目」南無妙法蓮華経と説き聞かせるべきなのです。
なぜなら 

「是ならでは仏になる道はなきが故なり」 

末法の衆生は過去に釈尊の仏法と縁していないので南無妙法蓮華経の仏種を植付けなければ成仏が出来ないので

「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」

末法の衆生は成仏の要法である南無妙法蓮華経を直接信受してこそ成仏が叶うのであり強いては正法を聞かせる事、つまり折伏してゆく事が肝要なのです。 

⑦へ続く