wak-沈のお話ですが
題名は、べつに
それをすると沈没するとか
そういう意味でなく

単に『wak-沈』を
スムーズに解読していただくための
前置きです

あらゆるそれを
子供らの幼児期に日本がすると
定めている それらも含め
家ごと絶とうと決めたのは
20年ほど前のことでしたが

もちろん
さらっと決めたわけでは
ありません。

どうするべきかを
悩み中〜という
グレーゾーンを
数年間、通過した後の判断であり
ゆえに年齢の離れた
子供らの接種歴には
多少のバラつきがあります。

もともと
陰古などの通例行事に関する
ものは接種しておらず
私自身、最後にその手のものを
体内に とり入れたのは
中1〜2の頃であると思います
(学校でやってたようですね)


現在、話題の的のそれや
陰古のそれに関しては
体内に取り入れないことに
同意される方も
かなり増えてきていると
思うのですが

現に陰古のそれを
毎年、はりきって打っていた。
けど もうやめた。
という人も、昨今(五六七前から)
ちらほら見かけるように
なってきていました。
単に、高い割に意味を感じられない
ということに
長年打っていて気がついた。
という理由からの人も
多いだろうとは思いますが

しかしながら現代の
日本の僻地において
幼児期の数あるそれを
断ることは
ひじょー。。。
うに大変なことであり

いろんな面で
そうとうの覚悟と確信がないと
流されないでいることは
難しいことでありました。


現に この
現在の騒ぎの最中においても
幼児期のそれに関しては
『えー?!』それはまた別でしょ?

というご意見が
圧倒的ではないかと思うのですが
その『圧倒的風情』というものに
流されないでいることは

それは何に おいてもそうですが
自分の中心に
相当の強固な軸で
アンカーされていなければ
まったく無理なことなのです。

というほどの
濁流風情を兼ね備える
ものの内のひとつが
日本における『湧く沈』では
ないでしょうか。


常に『強制ではない』という
保険のような
同意書の提示を
求めてくるにもかかわらず

断ろうとするなら
もちろん『半強制』の力が
働き出すものなのであり。

何度、がんばって
お断りしても
新たなる説得方法を携えて
説得のお電話がかかってくるのであり
そこは地域によると思いますが

しかも、もちろん
そこに『悪気』など
まったくないのであり

ただ、ひたすらに
子供の健康を願っての
説得であるわけです。

そして、そのように
教育されているのだから
そうなるのは
当たり前のことであり

その『説得者』は
とても真面目で善良な
良い子なのであって、実際
私も、人として好きでしたし
その彼女の説得に対し
『嫌だな』とか『面倒くさ』とか
『しつこい』とかいう

排除の念を感じる道理は
まったく何もないわけです

子供の健康にとって
大切な『それ』を
受けさせないと言う私は
彼らの視点から見たとき
完全なるネグレクト保護者・兼
病をバラ撒く可能性の否めない
社会にとっての『危険物』で
あるわけですし
それはもちろん説得するのが
彼女の大事な
お仕事であるわけで

私はその、善良なる彼女たちの
大事なお仕事を『妨害』する
たいへん面倒くさい『出たこれ』的な
人物となってしまうわけです。

ということを
すべて事前に把握した上での
断固『お断り』という行為は
それはそれは
精神的にしんどいものであり。

なんにしたって
それがいくら
視点の違いによるもの
であろうとも
妨害的立場に立つのは
そりゃ しんどいです。。

また、もちろん
お断りした上で
それらに関する『病』を
この僻地上で
最初に発病させた暁には
ハリノムシロとなることが
容易に想定できるわけであり。

また、現に発病はさせずとも

そのせいで拡まったら
『どう責任をとるのか?』という
圧の中に
常に滞在することになります。

それは、どこのどの
コミュニティ的な中でも
そこへの『覚悟』のようなものが
まず、いちばんの
障壁になってくると思いますが、

それらの病による
子どもたちの『命』や『健康』
という面においては
もちろん『かかるのならば』
自分の粘膜を通し
きちんとかかり終える
ことが望ましい。と感じたから
こその選択でもあり

僻地外に滞在中
水疱瘡をもらったことがある。
ぐらいでしたが
これは接種していても、いなくても

ガッツリと そばにいたなら
もらうことに変わりはなく。

また、その軽さ重さも
(水疱の数の違いぐらいでしたが)
接種に左右されるものではなく
本人の なにがしか次第でした。

その『なにがしか』を
例えば『免疫力』と呼ぶとして

その『接種』が
仮にその『病』に対する
免疫の獲得を目指す目的で
実行されているのだとしても

そして仮に 現に
その病に対しては
効き目があるのだとしても

数年、数十年という
スパンで先をみたとき
必ず『身体全体の免疫を下げる』
方向には働いても
上げる方向には働かないであろう。。
ということを
確信したからの『お断り』
なのであり。

打って数時間や数日
数ヶ月のことを
心配してのことでは
まったく ありません。

ということを20年以上前に
人に説明するのは
たいへん難しいことであり

なぜなら

いったいなぜ、どうして
なにが どうすると
そのような思考回路に
なるのですか?

という部分の説明を
真意を込めてするならば
地球の歴史から
説明する必要があるのであり

しかも断然・当然の如く
『したとて』ですよね

その辺の事情と
切なさについては
この数年で
実感されている方も
増えたのではないかと
思いますが

もちろん、保健師さんなどに
地球の歴史を語るほどの
びっくり人間大賞受賞者では
ありません。

しかしながら、単に
『身体に良くないと思うので』では
当然、済まされない『圧』というものが
この
日本の子供たちへの『それ』には
圧倒的に濃厚にあるのです。

それは牛乳の圧に同義ですが
それも『子供たちの健やかなる』
成長のため。であるという
気圧のもと
アレルギーが無ければ
なかなか断るのが難しい
という現実があることを
子供が子供の頃、知りました。

ゆえにアレルギーとして
Stopをお願いしてみようと
思いましたが
診断書の提出を求められれば、
どのように対応するか。を
(ありませんからね(^^; )
事前に考慮しておかねば
ならないという
不スムーズさがありました。

しばし悩んだ末に

これこれこういうわけで
『成長期の長期間』『ほぼ毎日』
『同じメーカー』の
『同じ牛乳』を飲ませることは
 したくなく。

しかし
そんな理由で やめさせることは
学校の立場上、難しいと思うので
ゆえに『乳糖不耐症』という
理由で やめたいですが
そこに診断書の提出は必要ですか?

と、事前に ほぼほぼ
本当のことを相談したところ
(地球の歴史じゃないです笑)

すごい すぐに
止めていただくことができました。
もちろん
診断書もいりませんでした。

「乳糖不耐症」という言葉は
私もそれまで まったく
知りませんでしたが
牛乳のアレルギーについて
調べていて見つけたものであり。
あー。パパのやつか
と、身近でよくみる症状
だったので(とくに男子たちに)

激しいものではないですが
その気がじゅうぶんございます

という、たいへんファジーな
良き理由として降臨する
ものでは ありましたが
『診断書』的なものの提出が
必要になるのかどうかの判断は
学校に訊いてみないと
提出しないことによって
学校にかかる面倒くささや
ご迷惑さ加減の予測がつかなかったので

本当はこんな理由
(身体のために飲ませたくない)
なのですが
出来得る限りご迷惑にならぬよう
こんな理由(乳糖不耐症)として
やめたいです

と、先に相談してみた。
ということですね🐢

『これこれこういうわけで』の
中身が気になる。と思う方も
いらっしゃるかとは思うので
さらっと開示すると

もともと何においても
同じメーカーの
同じものを
ほぼ毎日
何年間も
子供たちに
摂取させ続けることを
強制することは
よほどの信頼をしている
飲食物 以外で
やって然るべきことでは
まったく ない。と、
私は思っているのですが

この点について
先生は『正直』どう思う?

というような
お話です。さらっとしてねーねー

ほんと
めんどくさ。っと
思うでしょうが (^^;

ここは僻地事情により
それが成長期の9年間
続くのであり

また、学校の牛乳以外に
それに値する(毎日同じ)ものは
ないのです

担任にしても
そう言われてみれば
そうですね😳

という、お話で
あったようでしたが

この辺りは
担任と校長のお人柄や、
日頃の関わり方次第に
かかってくることかも
しれません。

もちろん
やめたい理由は
それ『だけ』ではなく
複合的な理由からでしたが
まず
飲むことになる本人が
美味しく楽しみに
飲んでいるなら
まだ、いざ知らず
どちらかと言えば
『キモチワルイ』
言いながら飲んでおり
※長持製法

とくにVeganでも
牛乳嫌いでもないのですが
好きでも嫌いでもない
本人がキモチワルイのを
我慢して飲んでいるなら
そこに利点など何もなく

あらゆる角度からみて
利点がひとつもない。上に
むしろ害
と判断したからこその
STOP要請であり

しかし当人の
『キモチワルイ』
じゅうぶん
最終的な判断 後押し要素と
なりました。

という
そんな学校牛乳事情にも
方向性は、それぞれ
微妙に違えど
悩んでおられる方がいる。
ということを
当時、学校牛乳事情を
調べていて知りました。
今はもっと増えているのでは
ないでしょうか


しかしすべては
『子供たちの健やかな発育のため』
というふうに教わって。の
はずのことなので
ありますが ゆえに
たとえそこに
圧のようなものを感じたとて
その『対象者に直に関わる人々』から
醸し出てしまう『圧』に対して
怒りのようなものを感じる
要素は微塵もありません。。

だからこそ
しんどいわけですが(^^;

子の『入園時』に
園の先生2名+保健師さん+私
で、この予防風的ものの
体内蓄積歴の
あるなし問題について
お忙しい中
たいへん めんぼく無い
お話し合いの場が
設けられたことがあり
(先生方、ほんと忙しいですからね)

それはもちろん
『どういった理由から』という
部分をハッキリと訊き出し

その理由が
ちゃんちゃらおかしい
と判断できれば
全力で思い直しを推奨する。

という趣旨のものである

ということは行く前に
容易に想像がついていたので
その面談的なものが
平和的に進むか否かは
いかに
ちゃんちゃらおかしくない風情
を醸し出すかに
かかっていたわけですが

難しいではないですか?笑

アレルギーでも無く。
地球の歴史を語るわけにもいかず。
ゆえに
製薬会社のなんちゃらりん
なので嫌なのです。
というわけにもいかず

言ったとて、それは
ちゃんちゃらおかしい認定
を、いただくことを
知っているのであり。

今であれば
『身体に宜しくないと思っている』
という理由には
『でたよ』認定ぐらいは貰えるかもですが
当時はまだ
若い、なりたての保健師さんでは
噂には聞いていた
幻の生きものの実在を肉眼で見た。
程度の様子であったと
思います。ほんとに。

そこで結局
どのようにお話したかと言えば
『身体に良くないと思っている』
という部分のみを主軸として
話すことになるわけですが

思っていることを正直に
ほぼ、そのまんま
お話しただけのことであり

つづく。などと言って
引っ張って
期待されては困るような
ひじょうに
あっけないものなのですが、
牛乳事情が挟まれたせいで
長くなり おまえのせーやねー
しかも出かけるので

つづく