自分の救済 | Akasha のブログ 

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ソウル・サウンド・ライアー制作 宇宙の音・地球の声(そらほし)WS

ブルースのWS、約3週間の通訳を終えて帰宅しました~。
待っていたのは、愛しい娘の笑顔に泣きベソ。
そして、ドイツのレーマンさんから届いた楽器の数々。

娘をあずかってくれたみなさん、本当にありがとう。
そして、お留守を守ってくれたCちゃん、ありがとう。

今、頭もからだも、心も、リトリーバルから、
サウンド・ヒーリング・モードに切り替え中です。

今日、生駒のWS会場のオーナーに電話をかけたところ、
「声の感じが違うからわからなかった!」
といわれました。

何かが変わったかな!?

実は、まったく気づいていなかった事実に、
ここ数日向き合わされているのです。

それは、私が「悲しみ」をずっと抑圧して
「なかったこと」にしてきたということ。

まずは、ブルースのワークショップのトレーナーのYちゃんが、
その事実に気づかせてくれ、リトリーバル(救済)もしてくれました。
私も、自分でもやりました。
そして、昨日、そのことを友人に話していたとき、
私の中で、その悲しみを
感じた事実が、ひん曲げられ、まるで、
なかったことのようになっていたことに気づきました。

そして、また今朝、ちょっとしたことがあって、
この数日メソメソ、ベソをかいている娘に、
「そんなこと気にしなくても。」「メソメソしなさんな」という
自分に、そういえば、小さいとき、さみしくても、悲しくても、
さみしいとも、悲しいとも、親に言えなかった自分の姿が、重なって
思いだされました。私の両親は、仕事をしていて、忙しく
大変だったので、遠慮して言えなかったのですね。

こどものころから、「私は大丈夫」と、平気な顔をして、
大丈夫なことにしてきたんですね~。本当は、悲しかったのにね。
さみしかったのにね。こどものとき、泣けなかった涙が、今朝流れました。

そうしたら、妙に、すっきりした気持ちになって、まわりまで明るくなったような。

その後、電話した結果が、「なんか感じが違う」ということだったのかも?

今は、いいたいこと言ってるし、
どこから切って、中を見ていただいてもいいぐらい、
クリアーな存在でいたいといつも思っているのですが、
その昔に抑圧した、自分の側面が
まだまだ、あちこちにちらばっているみたいですね。

側面をリトリーバルしつつ、
ライアーのサウンドに癒されつつ・・・
ホメオパシーも使いつつ・・・。
どこまでも、身軽になっていきたいものです。