先日、大学の恩師からの要請で、現役の学生たちとの会食に行ってきました。
恩師である教授は、教え子たちに愛されて愛されて途中海外の大学で教鞭を取りながら40年もゼミ生を育ててきました。
30周年のお祝い式典にも世界中に散らばっている教え子達が150人以上集まって、大盛況だったのです。
大学のキャリアデザイン講義ではそのネットワークを活かして、卒業生の中から大教室をいっぱいにする講師を毎週20年近くも招致し続けています。
その恩師が、最近引き受けた生徒たちの事で少し悩んでいるらしい、ということがわかりました。
そうしたらワタクシ
年齢だって、当然ずっと上
経験も実績も有り余るほど持っている
その恩師の事が非常に心配になってしまったのです。何様のつもりだ、と自分でツッコミましたが。
2日ほど、自分のことでもないのにソワソワして、同期の友人たちとも「先生大変そう」と話している最中に、ふと「信じよう」という言葉が自分の中から浮かんできました。
その次に考えたのは「ワタシって、こうやってオトコもコドモもダメにしちゃうタイプかも」
その夜、テレビでつるの剛士さんが「キャンプに行くと、危ないことを先回りして子供を心配したくなるけど、それより信頼して任せた方が良いんですよね」と言っていました。
まさしくメッセージだす
だいぶん前に「観える」方から「随分たくさんの人をぶら下げてますね」と言われた事があって、その頃は患者さん達に対して「大丈夫かな?」「もっとできることないかな?」と、ずっと考えていたせいのようでした。
信じて見守るって、難しいし、見守る方にも勇気と責任の要ることなんですけれど、信じることができないと、行動する時に「恐怖」が動機になってしまうんですよね。
この、恐怖が動機
宇宙の法則的に物事がさっぱり上手くいかないし、動かないし、期待とは逆の方に引っ張られたりもする、
とにかく機能しない典型なのです。
ふううう
克服したつもりでも、ふとした折に、悪い癖って出てくるものです。
心配より信頼
改めて肝に銘じます