自分のことというのは、なかなか自分ではわからないものです。

子供のことも然り。

わからなければ人に聞け。
散々、自分で何とかしようとした挙句にある時ふと、そう思いました。

セルフイメージというのは案外当てにならないものです。弱点だと思っていた部分が強みだったりする。


逆に良くクリアリングしていてクライアントの皆様がつぶやくのが「自分の人生のイニシアチブは自分でとっていると思っていたのに…」というセリフです。


憑依?ですよね。
良いお母さんとはこうあるべき
良い子とはこうあるべき
時間を共有するとはこうあるべき
そういうことの一つ一つが、実は成長する過程で刷り込まれていたモデルを忠実に再現していただけに過ぎなかった。
というような


そして、モデルに近づこうという努力に非常に苦しめられていた事に気づいていなかった。
というケースは多々あります。


多かれ少なかれ、全員にあると言っても良いと思います。
これも思い込みの一つです。


でね、冒頭に戻りますが、
かつての私が持っていた思い込みは
「自分で何とかしなきゃ」
ですね。


元々は、「出来ません」と言えない質だったんです。できないのは負けだ、と思ってました。
自分に負ける、と思ってたんです。
克己心の塊です。


本当は、克己心の塊じゃなくて、人より劣ったら、極端に言えば抹殺されると思ってたんです。
3人兄弟の真ん中で、姉は長女、弟は長男で、3番目に産まれた待望の男の子でしたから、2人目で「また女か」の私は、人並みの事をしていたのでは、親の愛情が回ってこないと思ってたんですね。

かわいそうな子です。
って、最近は大人としてかつての自分を抱きしめてあげることもできますし、自分なりに精一杯生きてたんだね、と労ったりも出来ちゃいます。


例え、両親が「また女か」という雰囲気をムンムン出していたとしても、「また女か」を、どう受け止めて、どう対処するかは私自身が決めた事なんです。


出来ないと言わない
が、私の処世術だったわけです。


出来ないと思わないことで、枠を設けなかったから得られたものもたくさんあったんです。
人生、何が功を奏するかわからないから面白いです。
と言うか、結果的には無駄なことって一つもありません。
その時は、無駄だと思っていても、昼寝でさえも無駄にはなりません。何もしない時間というのは想像以上に心の栄養になったりもします。


でね、ある時、
「人に頼る」
っていうことが自分からできるようになりました。


それまでだって、驚くべき数の人々に頼って生きてきました。自分で意識できなかっただけで、数えられない位の数の人々に助けてもらって生きてきたんです。


でも、ある時までは、意識的に助けてもらう事は敗北でした。感謝しつつも罪悪感があり、白状すると余計なことしやがってという思いもあったような気がします。
私の成長を邪魔したね。という心持ちがあったと思います。
自分一人で解決できない自分を恥もしました。


実は、ちょっと他に書きたいことがあって始めたら思いのほか前置きが長くなってしまいました。


これだけ長く書いておいて、何が言いたいかって


人に頼ることは、
負けることでも
恥ずかしい事でも
罪でもないよ


これだけでした




・鍼灸・クリアリング鍼灸・ヒーリングセッション(クリアリング)ご予約・お申し込みはこちらのメールフォームからお願い致します