さけ武蔵の誕生、それはそれでいいんですが・・。
日本酒用のお米っていうと、西の方では山田錦とかが有名ですが、関東埼玉に新しく「さけ武蔵」という品種が出来たそうな。いろいろ実験して、新しい取り組みはすてきな出来事です。
ただ、思うのは、自分はあまり日本酒を飲まないのでどちらかというと、ちょっと舐めるだけで、銘酒といえども体質的に後に残り、避けてしまいます。だから、銘酒を飲める店に行っても、ツレの美味しそうに飲むのを眺めていることが多い。それで皆があれがうまいとか、これがいいだとか言っているのを聞きながら、ちょっとだけ舐めさせてもらい飲めない自分が客観的に思うのは、結局ほとんどの場合、日本酒の美味い不味いは、水が美味しいかどうかだな、っと思うのです。
純米だ、吟醸だ、山廃だなどといろいろと言ったところで、水が美味いか不味いかでほとんど皆の意見は決まってしまってるように見えるんですね。僕の基準じゃなくて皆のどれが美味しいっていう話を聞いた結果、後からちょっと舐めさせてもらった感想をいうと、評価の分かれ目は水なんじゃないかなと思えるのです。
だいたい「ほどよいちゃんと酔わせてくれるアルコール分でアルコール臭さは感じさせない。麹と米のつくる旨味(自然なアミノ酸と甘み)が水の味を邪魔しない(旨味があっても水の味を邪魔しているようじゃ駄目)。水はそれぞれの地域によって違いがあるので一概には言えないが、ミネラル分を十分に含み水自体の甘みがあるもの(酒の違いは水の違いによるところが大きい、だからいろんなところのいろんな美味しい酒がある)。」そんなことが基準になってるような気がしますね。
それ以外で判断しなければならないものは、まだ美味い不味いなど判断できるレベルではないと断言してもいい。実際考えてみても、麹菌もちゃんとしたものは、だいたいもとの出所は決まっているし、蔵も現代では衛生管理をしっかりとできるようになっているし、温度調節も天気に頼らずできるようになっていますから、昔ほど蔵には差がなくなっている。原料となる米も、ワインの原料となる葡萄の畑の土壌による果実の種類選定や性質の変化から比べると、水田稲作の水系の水の作用のほうが余程大きい。もちろん、僕みたいな素人が気付かないところにいろいろこだわりや違いはあると思うんですよ、でもそれはこちらからしたら大きな問題じゃない。
つまり、お酒(日本酒)ってものは、ほんと水の豊富な日本の環境を結果的にすごく現していて、川やその水系の環境がいいところじゃないと、駄目なんじゃないかなと思うんですね。川だけがきれいなだけじゃ駄目で、地下水も重要で埼玉だったら、荒川なんかの周辺環境が工業や商業、開発的林業や生産だけの集約的農業を中心にして、多少環境保全やったところで、今のままなら全く駄目で、本当においしい酒なんて出来るわけないじゃん。と思ってしまう。外国の水や六甲だの南アルプスのだのに頼らざるおえない今の水環境では、日本酒の価値ってどんなもんでしょう?逆に言えば、本当に美味い日本酒の出来る町や地域はそれを守り抜く決意をして、よくよく自分が住んでるところは恵まれてるなぁ、って実感した方がいい。(間違っても、慣れた味なので美味しいってのは駄目だよ。自他共に認められなきゃね。)
美味しい酒作りたい、飲みたいと思うなら、経済や社会の構造をもっと見直さなきゃだめだ。「さけ武蔵」という新しい米の品種がそういうきっかけになるのなら、それはすてきなことだと思う。あんまり酒を飲まない割には偉そうなことを言っちゃいましたが、やっぱ水だよ。飲めない自分でも美味しい日本酒を舐めると日本は水の文化なんだって、ほんと実感するものねぇ。
僕が本当に日本酒好きだったなら、全国津々浦々の美味しい水と酒を飲み回って、「酒は水で決まる」という理論を実証してみたいところです。
ただ、思うのは、自分はあまり日本酒を飲まないのでどちらかというと、ちょっと舐めるだけで、銘酒といえども体質的に後に残り、避けてしまいます。だから、銘酒を飲める店に行っても、ツレの美味しそうに飲むのを眺めていることが多い。それで皆があれがうまいとか、これがいいだとか言っているのを聞きながら、ちょっとだけ舐めさせてもらい飲めない自分が客観的に思うのは、結局ほとんどの場合、日本酒の美味い不味いは、水が美味しいかどうかだな、っと思うのです。
純米だ、吟醸だ、山廃だなどといろいろと言ったところで、水が美味いか不味いかでほとんど皆の意見は決まってしまってるように見えるんですね。僕の基準じゃなくて皆のどれが美味しいっていう話を聞いた結果、後からちょっと舐めさせてもらった感想をいうと、評価の分かれ目は水なんじゃないかなと思えるのです。
だいたい「ほどよいちゃんと酔わせてくれるアルコール分でアルコール臭さは感じさせない。麹と米のつくる旨味(自然なアミノ酸と甘み)が水の味を邪魔しない(旨味があっても水の味を邪魔しているようじゃ駄目)。水はそれぞれの地域によって違いがあるので一概には言えないが、ミネラル分を十分に含み水自体の甘みがあるもの(酒の違いは水の違いによるところが大きい、だからいろんなところのいろんな美味しい酒がある)。」そんなことが基準になってるような気がしますね。
それ以外で判断しなければならないものは、まだ美味い不味いなど判断できるレベルではないと断言してもいい。実際考えてみても、麹菌もちゃんとしたものは、だいたいもとの出所は決まっているし、蔵も現代では衛生管理をしっかりとできるようになっているし、温度調節も天気に頼らずできるようになっていますから、昔ほど蔵には差がなくなっている。原料となる米も、ワインの原料となる葡萄の畑の土壌による果実の種類選定や性質の変化から比べると、水田稲作の水系の水の作用のほうが余程大きい。もちろん、僕みたいな素人が気付かないところにいろいろこだわりや違いはあると思うんですよ、でもそれはこちらからしたら大きな問題じゃない。
つまり、お酒(日本酒)ってものは、ほんと水の豊富な日本の環境を結果的にすごく現していて、川やその水系の環境がいいところじゃないと、駄目なんじゃないかなと思うんですね。川だけがきれいなだけじゃ駄目で、地下水も重要で埼玉だったら、荒川なんかの周辺環境が工業や商業、開発的林業や生産だけの集約的農業を中心にして、多少環境保全やったところで、今のままなら全く駄目で、本当においしい酒なんて出来るわけないじゃん。と思ってしまう。外国の水や六甲だの南アルプスのだのに頼らざるおえない今の水環境では、日本酒の価値ってどんなもんでしょう?逆に言えば、本当に美味い日本酒の出来る町や地域はそれを守り抜く決意をして、よくよく自分が住んでるところは恵まれてるなぁ、って実感した方がいい。(間違っても、慣れた味なので美味しいってのは駄目だよ。自他共に認められなきゃね。)
美味しい酒作りたい、飲みたいと思うなら、経済や社会の構造をもっと見直さなきゃだめだ。「さけ武蔵」という新しい米の品種がそういうきっかけになるのなら、それはすてきなことだと思う。あんまり酒を飲まない割には偉そうなことを言っちゃいましたが、やっぱ水だよ。飲めない自分でも美味しい日本酒を舐めると日本は水の文化なんだって、ほんと実感するものねぇ。
僕が本当に日本酒好きだったなら、全国津々浦々の美味しい水と酒を飲み回って、「酒は水で決まる」という理論を実証してみたいところです。
ジョージ・マッケンジー
スポーツも、スケート、ゴルフ、野球、サッカーなどなど話題が色々だが、テレビを見ない生活でいるとラジオの情報だけでは、今ひとつピンとこない話題もある。
先日も、野球選手の大リーグ入団が話題になっていて、
「ジョージ・マッケンジー選手のマリナーズ入りが決まり・・・。」
とのこと。『へー、アメリカ人の選手の大リーグ入りを報道するなんて話題になるのかね?それとも相当話題の凄腕の選手なのか?』などと不思議に思っていたら、今日ネットのニュースを見たら
「マリナーズ城島、入団会見。」とのこと。
『ああ、ジョージ・マッケンジーじゃなくて、城島健司ね。』
検索してみると、結構みんな、城島のことをジョージ・マッケンジーと認識しているらしいようだ。それなら、いっそのこと向こうではジョージ・マッケンジーで売ったらいいかもしれないね。というか、あまたの中で普通に英語読みで反芻してみても、絶対に「ジョウジマ・ケンジ」っていえない。どうしても「ジョージ・マッケンジー」になってしまうよ。
先日も、野球選手の大リーグ入団が話題になっていて、
「ジョージ・マッケンジー選手のマリナーズ入りが決まり・・・。」
とのこと。『へー、アメリカ人の選手の大リーグ入りを報道するなんて話題になるのかね?それとも相当話題の凄腕の選手なのか?』などと不思議に思っていたら、今日ネットのニュースを見たら
「マリナーズ城島、入団会見。」とのこと。
『ああ、ジョージ・マッケンジーじゃなくて、城島健司ね。』
検索してみると、結構みんな、城島のことをジョージ・マッケンジーと認識しているらしいようだ。それなら、いっそのこと向こうではジョージ・マッケンジーで売ったらいいかもしれないね。というか、あまたの中で普通に英語読みで反芻してみても、絶対に「ジョウジマ・ケンジ」っていえない。どうしても「ジョージ・マッケンジー」になってしまうよ。
人は夢にお金をつかう
人は夢や夢を広げることには
気前良く お金をつかう
しかし いざ夢の実現そのものには
お金を出し渋るもののようだ
仮想と現実を比べたら
仮想にお金を注ぎ込むが
現実にはお金を注ぎ込んでいない
たとえ現実を重視しているとしても
自分が捉えている現実が
本当に現実なのか
疑ってみるべきではないだろうか
案外実より柄に執着している
自分がそこにいる
お金中心で成り立つ社会などというものは
案外そんなものなのだ
生きるためにはお金が必要という現実こそ
ある種の幻想に片足を踏み入れている
では誰が今の世で現実を見定めることのできるものなのか
それはお金のことを考えなくてもいい身分のものか
お金を湯水のように持っているものといえる
皮肉にも資本を持ち得るものだけが
現実に生き 持たざるものは幻想に翻弄される
持たざるものに救いなのは
幻想を正しい美しい自分の夢に置き換えること
だから 世の多くの人は夢を与えてくれるものに まず飛びつくのだ
夢を実現するには苦しみが伴う 多くの人は苦しみを好まないし
ましてや苦しみにお金など支払う気などないものだ
人は夢や夢を広げることには 気前良く お金をつかう
気前良く お金をつかう
しかし いざ夢の実現そのものには
お金を出し渋るもののようだ
仮想と現実を比べたら
仮想にお金を注ぎ込むが
現実にはお金を注ぎ込んでいない
たとえ現実を重視しているとしても
自分が捉えている現実が
本当に現実なのか
疑ってみるべきではないだろうか
案外実より柄に執着している
自分がそこにいる
お金中心で成り立つ社会などというものは
案外そんなものなのだ
生きるためにはお金が必要という現実こそ
ある種の幻想に片足を踏み入れている
では誰が今の世で現実を見定めることのできるものなのか
それはお金のことを考えなくてもいい身分のものか
お金を湯水のように持っているものといえる
皮肉にも資本を持ち得るものだけが
現実に生き 持たざるものは幻想に翻弄される
持たざるものに救いなのは
幻想を正しい美しい自分の夢に置き換えること
だから 世の多くの人は夢を与えてくれるものに まず飛びつくのだ
夢を実現するには苦しみが伴う 多くの人は苦しみを好まないし
ましてや苦しみにお金など支払う気などないものだ
人は夢や夢を広げることには 気前良く お金をつかう
ある旅の出来事
汽車の旅に出た時のこと。
ある地方の駅でローカル線に乗り換えるために、僕はコンコースの階段を下りようとしていた。ディーゼル車はすでにホームについている。僕の前には地元の人らしき初老のおじさんがホームに降り立とうとしているところだった。初夏の程よい日差しと朝の冷気がまだほのかに残っている。とても気持ちの良い牧歌的な空気がただよっていた。
そこへ中年の主婦らしき旅行者が二人、後ろから大騒ぎでやってきた。牧歌的な余韻は消え去り、あたりの空気は妙に慌ただしい現実にかわった。彼女たちは僕を通り過ぎ、階段をダァダァダァッ、と駆け降りていった。それから前方にいたその地元の初老の男性に駆け寄り、後ろからその男性に
「すいませーん!その汽車はどこへいきますかぁ!!」
と大騒ぎの勢いのままに聞いた。するとそのおじさんは、
くるりと彼女たちのほうに振り返り、ニコーッと満面の笑みを浮かべ、
「線路は続くよどこまでも。」
その答えに思わず僕は意表をつかれて、心の中で吹き出してしまった。
同時に、先ほどまでの牧歌的な空気が舞い戻ってきた。そして、その牧歌的なローカル線のホームの空気に包まれて二人の中年女性は顔を見合わせたまま、呆然とたたずんでいるのであった。
ある地方の駅でローカル線に乗り換えるために、僕はコンコースの階段を下りようとしていた。ディーゼル車はすでにホームについている。僕の前には地元の人らしき初老のおじさんがホームに降り立とうとしているところだった。初夏の程よい日差しと朝の冷気がまだほのかに残っている。とても気持ちの良い牧歌的な空気がただよっていた。
そこへ中年の主婦らしき旅行者が二人、後ろから大騒ぎでやってきた。牧歌的な余韻は消え去り、あたりの空気は妙に慌ただしい現実にかわった。彼女たちは僕を通り過ぎ、階段をダァダァダァッ、と駆け降りていった。それから前方にいたその地元の初老の男性に駆け寄り、後ろからその男性に
「すいませーん!その汽車はどこへいきますかぁ!!」
と大騒ぎの勢いのままに聞いた。するとそのおじさんは、
くるりと彼女たちのほうに振り返り、ニコーッと満面の笑みを浮かべ、
「線路は続くよどこまでも。」
その答えに思わず僕は意表をつかれて、心の中で吹き出してしまった。
同時に、先ほどまでの牧歌的な空気が舞い戻ってきた。そして、その牧歌的なローカル線のホームの空気に包まれて二人の中年女性は顔を見合わせたまま、呆然とたたずんでいるのであった。
おいしい水
吉川さんとコーヒーの出前から戻ると開店二十分前になっていた。早々にランチタイムのスタート準備にかかる。チーフの三木はまだスケジュールのチェックに余念がないようだ。
タンブラーの乗った膳を三つ、カウンターシンクに運び、シンク横のステンレス台のうえにおく。そして、厨房に入り氷を製氷機からガザガザとスコップで取り出し、10リットルサイズのステンレス製のポットに山盛りにつめ、タンブラーの列んだステンレス台へ持っていく。アルミの膳に乗っている120個ほどのタンブラーたちは縦横に規律正しく列び、氷を入れられるのを行儀良く待っている。
そう、待っている、この表現がぴったりだ。その姿はおもちゃのガラスの兵隊のようで、いつもどんな時でも、僕がどんな気分でいても、彼等は整然として純粋無垢に満ちあふれている。しかもそこに氷と水が注がれるとその透明感がさらに増していくのだ。
カラン、コロォン。
ガラスのタンブラーに氷が入ると透明で冷たい集合体となって、期待どおりに無垢さが増していくのが分かる。毎度毎度のことながら透明感への期待を裏切らない。
ちょっと他の作業をしてから、再びタンブラーの前に戻り水を注ぐ。水指しに水道のカルキ臭を消すためにレモンの輪切を一ついれ、氷をいれ、浄水器の水を注ぐ。水が水指し一杯になったら氷の入ったタンブラーに注ぐ。全部のタンブラーに水を注ぐためには7、8回は水指しを空にしなければならないのだが、この透明で無垢なものを準備する作業は、自分も透明で無垢になっていくように思えて面倒だと思ったことはない。この仕事に慣れてしまえば、どこの店にでもあるランチタイム前の作業の一つに過ぎないのだが、それでもこの作業には時折、純粋なものに魅せられる一瞬がある。
こうしてタンブラーと氷と水でできた透明な固まりは、その数分後には一つ一つ客席に運ばれ、来店した客の喉をまず潤すのである。どうと言うこともない普通の水道水なのだけれど、いつも店で取り寄せている有機無農薬のレモンの香りがほのかに香り、その透明なものを引き立てる・・・・・おいしい水。
開店五分前、チーフの三木も注文書と予定表をたたみ、厨房の中もそろそろランチの準備が整っている。
タンブラーの乗った膳を三つ、カウンターシンクに運び、シンク横のステンレス台のうえにおく。そして、厨房に入り氷を製氷機からガザガザとスコップで取り出し、10リットルサイズのステンレス製のポットに山盛りにつめ、タンブラーの列んだステンレス台へ持っていく。アルミの膳に乗っている120個ほどのタンブラーたちは縦横に規律正しく列び、氷を入れられるのを行儀良く待っている。
そう、待っている、この表現がぴったりだ。その姿はおもちゃのガラスの兵隊のようで、いつもどんな時でも、僕がどんな気分でいても、彼等は整然として純粋無垢に満ちあふれている。しかもそこに氷と水が注がれるとその透明感がさらに増していくのだ。
カラン、コロォン。
ガラスのタンブラーに氷が入ると透明で冷たい集合体となって、期待どおりに無垢さが増していくのが分かる。毎度毎度のことながら透明感への期待を裏切らない。
ちょっと他の作業をしてから、再びタンブラーの前に戻り水を注ぐ。水指しに水道のカルキ臭を消すためにレモンの輪切を一ついれ、氷をいれ、浄水器の水を注ぐ。水が水指し一杯になったら氷の入ったタンブラーに注ぐ。全部のタンブラーに水を注ぐためには7、8回は水指しを空にしなければならないのだが、この透明で無垢なものを準備する作業は、自分も透明で無垢になっていくように思えて面倒だと思ったことはない。この仕事に慣れてしまえば、どこの店にでもあるランチタイム前の作業の一つに過ぎないのだが、それでもこの作業には時折、純粋なものに魅せられる一瞬がある。
こうしてタンブラーと氷と水でできた透明な固まりは、その数分後には一つ一つ客席に運ばれ、来店した客の喉をまず潤すのである。どうと言うこともない普通の水道水なのだけれど、いつも店で取り寄せている有機無農薬のレモンの香りがほのかに香り、その透明なものを引き立てる・・・・・おいしい水。
開店五分前、チーフの三木も注文書と予定表をたたみ、厨房の中もそろそろランチの準備が整っている。
冒険者
結婚した。
そして、子供が生まれた。
ある日、久しぶりの友人と会い食事をしながら、軽く飲んだ。
「まだまだ、結婚せずに仕事人間でやっていくのかと思っていたんだけどな、もうパパですか。」
と友人は言った。
「いやぁ、そんなこともないよ。こう見えても、案外保守的なんだ、俺は・・・。
お前みたいに冒険的な仕事の仕方なんて、なかなかできないよ。
結婚もそれなりに冒険的だけれどね。」
「そうか、結婚も冒険的かぁ。そうだな。
じゃぁ俺は仕事って冒険でいっぱいになっちまって、
結婚って次の冒険の旅に至らないってことなのか。
なんか漠然として遠いものになっちゃってるな。」
「とにかく、お前は冒険者だよ。俺の冒険は一般的だから。」
「冒険者かぁ。そんなのになりたいわけじゃないんだけどなぁ。
俺も一般的でいいんだけどなぁ。」
「いいじゃないかそれはそれで。俺が経験できないことがいっぱいあるんだろうから。」
「まあな。」
「それにいろんな人とであって、もっとお前なんかよりすごい冒険者にであったりしてさ。人事だから言うわけじゃないが、面白そうじゃないか。」
「 おれよりすごい冒険者ねぇ。ごろごろいるとは思うけど、どんなのだい。」
「そうだなぁ、やっぱりお前と結婚しようという女の子が一番冒険者かな。」
「あは、そりゃそうだ。」
そして、子供が生まれた。
ある日、久しぶりの友人と会い食事をしながら、軽く飲んだ。
「まだまだ、結婚せずに仕事人間でやっていくのかと思っていたんだけどな、もうパパですか。」
と友人は言った。
「いやぁ、そんなこともないよ。こう見えても、案外保守的なんだ、俺は・・・。
お前みたいに冒険的な仕事の仕方なんて、なかなかできないよ。
結婚もそれなりに冒険的だけれどね。」
「そうか、結婚も冒険的かぁ。そうだな。
じゃぁ俺は仕事って冒険でいっぱいになっちまって、
結婚って次の冒険の旅に至らないってことなのか。
なんか漠然として遠いものになっちゃってるな。」
「とにかく、お前は冒険者だよ。俺の冒険は一般的だから。」
「冒険者かぁ。そんなのになりたいわけじゃないんだけどなぁ。
俺も一般的でいいんだけどなぁ。」
「いいじゃないかそれはそれで。俺が経験できないことがいっぱいあるんだろうから。」
「まあな。」
「それにいろんな人とであって、もっとお前なんかよりすごい冒険者にであったりしてさ。人事だから言うわけじゃないが、面白そうじゃないか。」
「 おれよりすごい冒険者ねぇ。ごろごろいるとは思うけど、どんなのだい。」
「そうだなぁ、やっぱりお前と結婚しようという女の子が一番冒険者かな。」
「あは、そりゃそうだ。」
冬の低山にて
『ぐぃ、ぐぃ、』
雪を踏み締める自分の足音とたまにもれる吐息だけが聞こえる。その音も聞こえたかと思った瞬間に雪に吸い込まれ消えていく。
立ち止まれば全く音のない世界に来てしまった。
十二月の終わり丹沢の北標高1500米のあたりの尾根筋を一人歩いていた。取り立てて見晴しのいいという分けでもない深山に師走のこの時期登山する人間などいるわけもなく、一人の登山客にも出会わない。たいして高くもない山、まだここら辺はどっかりと雪が降ることもないだろうと思って来てみだが、数日前に降った雪が山の山頂から1000米辺りの山腹までを覆っていた。途中、進む足下の雪に見えかくれする落ち葉や枯れ枝に混じって小さな木の実の混じり気のない赤色にハッとする。よく見ると三辺に割れ開いた木の実の殻も、少し卵色がかった黄色でまばらに落ちている。白い雪に黄と赤が美しい構成を成している。しかし美しいと感じたのも一瞬で、
「ツルウメモドキ。」
ぼそりと、植物の名前をつぶやきながら足下を確かめなおし、その赤い実のうえを通りすぎる。
そしてまた淡々と山道を登りつづけた。
斜面が少し緩やかになったところで、顔を上げて自分の行く先に目をやった。背より少し高いくらいの株立ちする冬枯れ木々が山道の両側に群生する。そのさまは、冷気と白い雪の絨毯に果てしなく続く並木のように見える。歩きながら時折頭の中をよぎる様々な思いが、向かう先のない思いが、塵となって景色のなかにすい込まれ消えていく。自分以外だれもいない張りつめた景色。そのなかを生身の自分が進んでいくのだという意志だけが幻想ではないことを分からせてくれる。そして、もしその意志がなければ自分自身もこの景色の塵になってしまいそうな気になる。
どのぐらい歩いただろうか、株立ちの低い並木を通り抜けると、少し開けた平場にでた。このあたりでは一番高い場所と思われたが、木々に覆われて遠くの景色はあまり見えない。遠くの眺めをあきらめ、すこし寒さを凌げそうな浅いくぼ地をみつけ、ウレタン性のシートを敷き腰を下ろした。煙草に火をつけ、目の前の景色をあらためて眺めてみる。
純粋で静寂な今だけが肯定されている。
僕はそのなかで、一夜を明かすことにした。自分の体内に押しとどめられこびり付いたすべてが、吸い取られきれいに洗い流されていくようだ。いいことも悪いことも無関係に。
雪を踏み締める自分の足音とたまにもれる吐息だけが聞こえる。その音も聞こえたかと思った瞬間に雪に吸い込まれ消えていく。
立ち止まれば全く音のない世界に来てしまった。
十二月の終わり丹沢の北標高1500米のあたりの尾根筋を一人歩いていた。取り立てて見晴しのいいという分けでもない深山に師走のこの時期登山する人間などいるわけもなく、一人の登山客にも出会わない。たいして高くもない山、まだここら辺はどっかりと雪が降ることもないだろうと思って来てみだが、数日前に降った雪が山の山頂から1000米辺りの山腹までを覆っていた。途中、進む足下の雪に見えかくれする落ち葉や枯れ枝に混じって小さな木の実の混じり気のない赤色にハッとする。よく見ると三辺に割れ開いた木の実の殻も、少し卵色がかった黄色でまばらに落ちている。白い雪に黄と赤が美しい構成を成している。しかし美しいと感じたのも一瞬で、
「ツルウメモドキ。」
ぼそりと、植物の名前をつぶやきながら足下を確かめなおし、その赤い実のうえを通りすぎる。
そしてまた淡々と山道を登りつづけた。
斜面が少し緩やかになったところで、顔を上げて自分の行く先に目をやった。背より少し高いくらいの株立ちする冬枯れ木々が山道の両側に群生する。そのさまは、冷気と白い雪の絨毯に果てしなく続く並木のように見える。歩きながら時折頭の中をよぎる様々な思いが、向かう先のない思いが、塵となって景色のなかにすい込まれ消えていく。自分以外だれもいない張りつめた景色。そのなかを生身の自分が進んでいくのだという意志だけが幻想ではないことを分からせてくれる。そして、もしその意志がなければ自分自身もこの景色の塵になってしまいそうな気になる。
どのぐらい歩いただろうか、株立ちの低い並木を通り抜けると、少し開けた平場にでた。このあたりでは一番高い場所と思われたが、木々に覆われて遠くの景色はあまり見えない。遠くの眺めをあきらめ、すこし寒さを凌げそうな浅いくぼ地をみつけ、ウレタン性のシートを敷き腰を下ろした。煙草に火をつけ、目の前の景色をあらためて眺めてみる。
純粋で静寂な今だけが肯定されている。
僕はそのなかで、一夜を明かすことにした。自分の体内に押しとどめられこびり付いたすべてが、吸い取られきれいに洗い流されていくようだ。いいことも悪いことも無関係に。
日常会話に出てくるテレビの人々、例えば・・・・。
ある年配の女性が
「あのテレビに出ていた何とかって言う元アナウンサーの女性、
私あまり好きじゃないのよ。」
といったので、
「へーそうですかね。別に人当たりは悪くなさそうだし、
人の感じはいいような気がしますがね。」
と答えた。そのアナウンサー自体が特に自分の中で興味を覚えなかったので、単純にパッと観のテレビの印象を述べた。
「そうじゃないのよ。なんて言うか、ほらいたでしょ男の評論家で
竹村健一って人が、あれと同じなのよ。自分の言葉がないっていうのか、
アメリカの受け売りばかりの人、ああ言う感じがするのよ。
中身がなくてからっぽなのよ。地に足が着かない感じが駄目なのよ。」
ああ、竹村健一ね。これはこれでまたどうでもいい人物である、そして当然のことながら、どうでもいい人間の中身がからっぽなのかどうかまでは僕には分からない。なにしろ、彼がまともなうんちくを語るかどうか以前なのである。
つまり、竹村健一という人は僕の中では「だいたいやね・・・・。」という言葉でしゃべり出す関西弁の人でしかなかったのである。それ以上でも以下でもない。このしゃべり方は、お笑いの番組でも芸人などにも真似されたりして、ずいぶん昔に巷ではやった。そういう記憶がなければ、竹村健一など覚えていなかったかもしれない。
ずいぶんと自分が若い頃の覚えしかなくて、その時分「なにわのモーツアルト」とか言われていたキダタロウとあまり区別がついていなかった。それで、眼鏡をかけて、ちょっとシラッちゃけたもみあげの中年男性がテレビに出るのを観るたびに
『このおっさん今日はちょっと気弱な感じやな。(竹村健一に比べて)』
とかキダタロウをテレビで観て思っていたのである。竹村健一の場合は、やはり批評家なので眉間にやや皺がよりぎみなのを観て、
『このおっさん、今日は機嫌が悪そうやな。』
と思ったりするぐらいで、パイプを持っているかどうか、までは観察に頭が回っていなかった。
自分に観察力がなかったというか、どうでも良かったと言うか、まぁこちらもはな垂れのオバカさんだったのである。
そんなことを思い出していたものだから、自分の子供の頃の滑稽さに頭が巡っていて、中身がからっぽという元女性アナウンサーのことはさらに気にもとまらない。それでもとりあえず、目の前の年配の女性には、適当に相づちをうっていたが、彼女の方もこちらがどう反応するかは問題ではないらしく、
「やっぱり桜井よしこがいいわ。あの人の言葉には重みがあるわよ。
やっぱり・・・。」
などと自分の言いたいことを口にしていた。
大人になった今では、メディアやニュースの嘘について色々思うこともあるが、
本当にこちらの意見を求められたりするのでなければ、普段の会話では様々な人々と、
僕はさしあたって政論に花をさかせることもなく、
退屈でもない在り来たりな日常に相づちを打ったりしているのである。
「あのテレビに出ていた何とかって言う元アナウンサーの女性、
私あまり好きじゃないのよ。」
といったので、
「へーそうですかね。別に人当たりは悪くなさそうだし、
人の感じはいいような気がしますがね。」
と答えた。そのアナウンサー自体が特に自分の中で興味を覚えなかったので、単純にパッと観のテレビの印象を述べた。
「そうじゃないのよ。なんて言うか、ほらいたでしょ男の評論家で
竹村健一って人が、あれと同じなのよ。自分の言葉がないっていうのか、
アメリカの受け売りばかりの人、ああ言う感じがするのよ。
中身がなくてからっぽなのよ。地に足が着かない感じが駄目なのよ。」
ああ、竹村健一ね。これはこれでまたどうでもいい人物である、そして当然のことながら、どうでもいい人間の中身がからっぽなのかどうかまでは僕には分からない。なにしろ、彼がまともなうんちくを語るかどうか以前なのである。
つまり、竹村健一という人は僕の中では「だいたいやね・・・・。」という言葉でしゃべり出す関西弁の人でしかなかったのである。それ以上でも以下でもない。このしゃべり方は、お笑いの番組でも芸人などにも真似されたりして、ずいぶん昔に巷ではやった。そういう記憶がなければ、竹村健一など覚えていなかったかもしれない。
ずいぶんと自分が若い頃の覚えしかなくて、その時分「なにわのモーツアルト」とか言われていたキダタロウとあまり区別がついていなかった。それで、眼鏡をかけて、ちょっとシラッちゃけたもみあげの中年男性がテレビに出るのを観るたびに
『このおっさん今日はちょっと気弱な感じやな。(竹村健一に比べて)』
とかキダタロウをテレビで観て思っていたのである。竹村健一の場合は、やはり批評家なので眉間にやや皺がよりぎみなのを観て、
『このおっさん、今日は機嫌が悪そうやな。』
と思ったりするぐらいで、パイプを持っているかどうか、までは観察に頭が回っていなかった。
自分に観察力がなかったというか、どうでも良かったと言うか、まぁこちらもはな垂れのオバカさんだったのである。
そんなことを思い出していたものだから、自分の子供の頃の滑稽さに頭が巡っていて、中身がからっぽという元女性アナウンサーのことはさらに気にもとまらない。それでもとりあえず、目の前の年配の女性には、適当に相づちをうっていたが、彼女の方もこちらがどう反応するかは問題ではないらしく、
「やっぱり桜井よしこがいいわ。あの人の言葉には重みがあるわよ。
やっぱり・・・。」
などと自分の言いたいことを口にしていた。
大人になった今では、メディアやニュースの嘘について色々思うこともあるが、
本当にこちらの意見を求められたりするのでなければ、普段の会話では様々な人々と、
僕はさしあたって政論に花をさかせることもなく、
退屈でもない在り来たりな日常に相づちを打ったりしているのである。
お客さん、咲く
ビョウヤナギの花がいつの間にか咲いている。
ほとんど毎日この道を通っていながら、
蕾がどれだけ膨らんでいたかどうかなど気にとめてもいなかった。
自分の日常が知らず知らずのうちにせわしくなっているのにも気付かず仕事に向かう歩みもなんとなく早くなっていた自分のことをすこし反省しながら歩幅をゆるめ、咲き始めてようやく気付いた黄色く華やぐ沿道の灌木に目をやった。
植物の名前など全く知らなかった自分が
その黄色く咲きほころぶ花の名前を知ったのは、昨年の今頃、
たまたま植物の調査を仕事にしている友人とこの道を歩いたことがあり、
その花の名前を教えてくれたからだった。
その時そこには植物の名前を標示した小さな板が立っていたが、
そこにはキンシバイと書かれていて、友人がこの標示は間違っているね。
これはビョウヤナギだよ。と言って教えてくれた。
その日、新宿の大きな本屋に行く用事があったので、ついでに何となく植物のコーナーに行き沿道に咲くビョウヤナギのことを調べたので、そのことはよく覚えていた。
それ以来、僕は街のそこここに立っている木々や
草花に目を向けるようになったし、ごく稀ではあるが、
時間がある時は日帰りでいける郊外の山に出かけたりするようになった。
図鑑も買い込み時折なにげに家でページをめくることもある。
だが、ゆとりを持った生活をするようになったわけではない。
どうも自分の日常の忙しさから逃れることはなかなか出来るものでもないようだ。現にこうやって道すがら花でも咲いて気付かせてくれなければ、それも友人が教えてくれた知った名前の花だから気付いたものの、そうでなければ目もくれていなかったかも知れない。
まったく忙しさすら忘れてしまっている始末なのだ。
そんな自分から比べれば彼の仕事はいつも山の中を歩く仕事で、家と仕事場の往来を単調に繰り返すよりは余程うらやましいと思っていたが、彼にとってはそうでもないらしい。
彼に言わせると毎日山に登っているわけでもないし、自分の仕事の中心は環境アセスメントという土地開発のための環境調査で、それは自然を破壊するための調査みたいなところもあって、あまり好きになれないと言う。
自然の中を歩いていても、仕事となると色々ややこしいことがあるのだろう。社会的な責任感もあまり持てない僕みたいな人間には、謀殺される仕事の合間に花に目をやる程度がちょうどいいぐらいなのかもしれない。
ただ彼が街路に咲く花の名前を教えてくれた時、できればビョウヤナギのような外来の植物よりも、もともと関東にある種類の気候風土にあった樹木を植えた方がいいのだとも言っていて、自分も漠然とそうだな思うようになった。
それにしても植え込まれた木々には責任はないのだから、僕はこの黄色い花を咲かせる中国原産の園芸樹木を東京のお客さんと思うようになった。
そして、他にもいくつかの街路樹を覚えた。
ちょっと前まではハナミズキという北アメリカのお客さんが咲いていた。
我に返らせてくれたビョウヤナギの花に礼を言いながら、
よし、今度の週末には自然の木々にも会いにいこう。
そう思いながら、今日の都会生活の宿命に従い仕事にむかう足を速めた。
そうえいば、最近あの標示板みないなぁ。どこへいったのだろう。
ほとんど毎日この道を通っていながら、
蕾がどれだけ膨らんでいたかどうかなど気にとめてもいなかった。
自分の日常が知らず知らずのうちにせわしくなっているのにも気付かず仕事に向かう歩みもなんとなく早くなっていた自分のことをすこし反省しながら歩幅をゆるめ、咲き始めてようやく気付いた黄色く華やぐ沿道の灌木に目をやった。
植物の名前など全く知らなかった自分が
その黄色く咲きほころぶ花の名前を知ったのは、昨年の今頃、
たまたま植物の調査を仕事にしている友人とこの道を歩いたことがあり、
その花の名前を教えてくれたからだった。
その時そこには植物の名前を標示した小さな板が立っていたが、
そこにはキンシバイと書かれていて、友人がこの標示は間違っているね。
これはビョウヤナギだよ。と言って教えてくれた。
その日、新宿の大きな本屋に行く用事があったので、ついでに何となく植物のコーナーに行き沿道に咲くビョウヤナギのことを調べたので、そのことはよく覚えていた。
それ以来、僕は街のそこここに立っている木々や
草花に目を向けるようになったし、ごく稀ではあるが、
時間がある時は日帰りでいける郊外の山に出かけたりするようになった。
図鑑も買い込み時折なにげに家でページをめくることもある。
だが、ゆとりを持った生活をするようになったわけではない。
どうも自分の日常の忙しさから逃れることはなかなか出来るものでもないようだ。現にこうやって道すがら花でも咲いて気付かせてくれなければ、それも友人が教えてくれた知った名前の花だから気付いたものの、そうでなければ目もくれていなかったかも知れない。
まったく忙しさすら忘れてしまっている始末なのだ。
そんな自分から比べれば彼の仕事はいつも山の中を歩く仕事で、家と仕事場の往来を単調に繰り返すよりは余程うらやましいと思っていたが、彼にとってはそうでもないらしい。
彼に言わせると毎日山に登っているわけでもないし、自分の仕事の中心は環境アセスメントという土地開発のための環境調査で、それは自然を破壊するための調査みたいなところもあって、あまり好きになれないと言う。
自然の中を歩いていても、仕事となると色々ややこしいことがあるのだろう。社会的な責任感もあまり持てない僕みたいな人間には、謀殺される仕事の合間に花に目をやる程度がちょうどいいぐらいなのかもしれない。
ただ彼が街路に咲く花の名前を教えてくれた時、できればビョウヤナギのような外来の植物よりも、もともと関東にある種類の気候風土にあった樹木を植えた方がいいのだとも言っていて、自分も漠然とそうだな思うようになった。
それにしても植え込まれた木々には責任はないのだから、僕はこの黄色い花を咲かせる中国原産の園芸樹木を東京のお客さんと思うようになった。
そして、他にもいくつかの街路樹を覚えた。
ちょっと前まではハナミズキという北アメリカのお客さんが咲いていた。
我に返らせてくれたビョウヤナギの花に礼を言いながら、
よし、今度の週末には自然の木々にも会いにいこう。
そう思いながら、今日の都会生活の宿命に従い仕事にむかう足を速めた。
そうえいば、最近あの標示板みないなぁ。どこへいったのだろう。
タイムキーパー
トイレ掃除を終えてゴミを捨てようとトイレからホールに出ると、ホールチーフの三木が玄関前の会計カウンターの扉を開け、有線放送のBGMのスイッチをいじっているところだった。店内にテンポにのったポップス音楽が流れはじめ、店が動き出す前のすこし微睡んだ空気が引いていった。
「おはようございます。」
「ウッス。」
彼はちらりとこちらを見て、手短に挨拶を返した。
彼はそのまま、手もとにある予約とコーヒーの出前の注文票に目を落とした。
「森さん、今日11時に、吉川さんと一緒に四階の会議室にコーヒーもってってもらえますか。」
「はい。」
このレストランの入っているビルの四階には貸し会議室がいくつかあり、会議や打ち合わせなどがあるとコーヒーや紅茶の出前の予約注文がはいる。会議室の利用者から時間が指定され、その時間に合わせて一階にあるこのレストランから飲み物を給仕しにいくのだ。
「だいたい五分前ぐらいに上に上がってもらえればいいと思います。
コーヒーはもうポットにいれて、あそこに置いてありますから。」
と厨房の前にあるカウンターに目をやった。
「はい。わかりました。10時55分ですね。」
いつも朝食を食べられないという三木は、すこし細身で青白い顔をしているが、不健康そうでもなく、髪型は少しうしろに流すように櫛をいれ乱れなく固められている。身なりも無駄にしわが出ないようにパリっとしている。そんな見た目に違わないように折り目ただしく作業をこなし、自分に与えられた仕事をスマートにこなすことを心掛けているようだ。
彼には美学があるのだ。
いつも客にみられ、ちょっとでも対応が悪かったり、遅れたりすれば客からすぐにクレームをつけられるというレストラン給仕の仕事をながらくしてきたためなのか、ちょっとした失敗では動じず適当にフォローして、あまり過ぎたことをくどくどと気にしない。
人に無理強いをすることもなく、自分が誰かをフォローをしても人に助けを求めるようなまねはしない。彼はそうした自分の行動様式に疑うことなく納得している。その自己完結した様は全ての彼の身のこなしに現れていて、外から見ていてちょっと滑稽に思えるくらいだった。
彼は出前の指示をしたあと「よろしく。」と言って、受付をはなれ、客席のテーブルのひとつに伝票と予約注文票をひろげる。気持ち背筋を伸ばしながら椅子に腰をおろし、今日の予約分のチェックをはじめた。
客もスタッフも彼の美学にあった動きをしてくれるわけでもないのだが、このレストランの一日は曲りなりにも彼のタイムテーブルでそれなりに動き始める。
出前に行く時間とコーヒーの数をメモして、再び開店前の自分の作業にもどった。
「おはようございます。」
「ウッス。」
彼はちらりとこちらを見て、手短に挨拶を返した。
彼はそのまま、手もとにある予約とコーヒーの出前の注文票に目を落とした。
「森さん、今日11時に、吉川さんと一緒に四階の会議室にコーヒーもってってもらえますか。」
「はい。」
このレストランの入っているビルの四階には貸し会議室がいくつかあり、会議や打ち合わせなどがあるとコーヒーや紅茶の出前の予約注文がはいる。会議室の利用者から時間が指定され、その時間に合わせて一階にあるこのレストランから飲み物を給仕しにいくのだ。
「だいたい五分前ぐらいに上に上がってもらえればいいと思います。
コーヒーはもうポットにいれて、あそこに置いてありますから。」
と厨房の前にあるカウンターに目をやった。
「はい。わかりました。10時55分ですね。」
いつも朝食を食べられないという三木は、すこし細身で青白い顔をしているが、不健康そうでもなく、髪型は少しうしろに流すように櫛をいれ乱れなく固められている。身なりも無駄にしわが出ないようにパリっとしている。そんな見た目に違わないように折り目ただしく作業をこなし、自分に与えられた仕事をスマートにこなすことを心掛けているようだ。
彼には美学があるのだ。
いつも客にみられ、ちょっとでも対応が悪かったり、遅れたりすれば客からすぐにクレームをつけられるというレストラン給仕の仕事をながらくしてきたためなのか、ちょっとした失敗では動じず適当にフォローして、あまり過ぎたことをくどくどと気にしない。
人に無理強いをすることもなく、自分が誰かをフォローをしても人に助けを求めるようなまねはしない。彼はそうした自分の行動様式に疑うことなく納得している。その自己完結した様は全ての彼の身のこなしに現れていて、外から見ていてちょっと滑稽に思えるくらいだった。
彼は出前の指示をしたあと「よろしく。」と言って、受付をはなれ、客席のテーブルのひとつに伝票と予約注文票をひろげる。気持ち背筋を伸ばしながら椅子に腰をおろし、今日の予約分のチェックをはじめた。
客もスタッフも彼の美学にあった動きをしてくれるわけでもないのだが、このレストランの一日は曲りなりにも彼のタイムテーブルでそれなりに動き始める。
出前に行く時間とコーヒーの数をメモして、再び開店前の自分の作業にもどった。
