リトアニアと聞いて忘れてはいけないのが
杉原千畝リトアニア元領事代理
ご存知の方も多いかと思います。
第二次世界大戦中、リトアニアの仮の首都カウナスにおいて
(本来の首都、ビリニュスはポーランド領に)
ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤの人々に
通過ビザを自分の良心に従って発行したお方。
その数おおよそ2000枚以上にのぼり、
6000人以上の人々の命を救ったと言われています。
びっくりするぐらい閑静な住宅地のまさに住宅のひとつが旧領事館
それもそのはずで、その頃リトアニアには日本人はおらず、
この領事館自体も情報収集のために開設されたそう。
万年筆が折れる程ビザを書き続けた机
記念館も昔はこの机のみだったそうですが、
左が杉原千畝さん、右がご子息たち
母は運営に貢献せねばとお土産のチョコレートを大量購入。
以降お付き(私)は大量のチョコレートを抱えて歩きました。
ちなみに、日本語ぺらぺらのすごい美男から受け取りました。
こちらはヴィリニュスにある杉原千畝さくら公園
2001年に杉原千畝さんが一時期在籍した早稲田大学が植樹
結構大きな公園です。
春はさぞかし花見で賑やかと思いきや、賑やかは賑やからしいのですが、
こちらは屋外での飲酒が法律で禁止されているらしく、
折り目正しい賑やかさだそうです![]()
バルト三国の最初の独立が1918年。
その契機となったのが、1910年の日露戦争でのロシアの敗退だった模様。
リトアニアでは教科書に一連のことが乗っており、
学校で杉原千畝のことも習うと伺いました。
本国の指示に背き、人道、博愛の精神に則りビザを発行した杉原千畝。
イスラエルでその功績を称えられ、勲章を授与されたのが1969年。
日本で正式に名誉が回復されたのが2000年のことでした。
2000年・・・。
今年バルト三国ははじめの独立から100周年を迎えます。
そして、二度目のソ連からの独立から27年。
たった27年。
リトアニア、ラトビアでちょうどその時代に青春時代を過ごした方々から
お話しを伺う機会がありましたが、
どなたもとても口が重く、ほとんど当時のお話を聞くことができませんでした。
まだまだ消化できない思いがたくさんあることでしょう。
今ある平和に心から感謝です。
今日もご覧くださりありがとうございます![]()
愛と感謝を込めて![]()





