おじぃちゃんの事件簿 -702ページ目

激昂!!『俺の女に手を出すな!!』カラオケ店でバトル、知人を殺害!!

知人と口論になり顔面をけるなどして殺害したとして警視庁池袋署は13日

東京都練馬区錦1

無職

佐●●輔容疑者(26)


を殺人の疑いで逮捕した。


同署副署長によると、佐●容疑者は同日午前0時35分ごろ、豊島区東池袋1のカラオケ店の一室で

京都市右京区

派遣社員

■■さん(27)


と口論となり、顔や首などを十数回にわたり殴ったりけったりして殺害した疑い。



佐●容疑者は

『一緒にいた彼女に手を出されそうになり頭にきた』

と供述しているという。

三浦元社長『(10月中旬には)日本で平穏な生活に戻っている』と先行きを楽観していた

81年のロサンゼルス銃撃事件に関与した疑いで2月に逮捕され、10日夜(日本時間11日午後)に自殺した元会社社長、三浦和義容疑者(61)=日本で無罪確定=がサイパンで勾留(こうりゅう)中に書いた手記の内容がわかった。

9月5日付で、10月に出版予定だった本のために書かれた。


手記が書かれた後にロサンゼルス郡地裁が共謀罪を有効と判断し、今月10日にロスに移送されたが、手記では

「(10月中旬には)日本で平穏な生活に戻っている」

と先行きを楽観していた。


400字詰め原稿用紙で5枚分で、タイトルは

「『SAIPAN ZOO』(サイパン動物園)の独居房にて」

本は放送作家の河村シゲルさん(65)がまとめ、年内に出版したいという。


手記は2月22日にサイパンで殺人と共謀の容疑で逮捕された場面で始まる。


『僕は愕然(がくぜん)としました。パスポートの人違いだろうと思っていた考えは崩れ、怒りで体中が燃えるように感じました』

と当時の心境を振り返り

『共に戦ってくれています。心強い思いで「頑張らねば!」という力がわいてきます』

と支援者に感謝した。


ロサンゼルスへの移送には強い抵抗感を示した。



『日米合意の下で日本で裁判を行うことを決定し、13年もの歳月をかけ日本で裁判を受けて無罪が確定したのですから、アメリカで裁判を受ける必要性もないと思ったからです』


手記の末尾は


『この本が書店に並ぶころには日本に戻り、今までどうりの平穏な生活に戻っていることを想像しつつ、静かな心で合掌です』


と結んでいた。






(::´Д`) { お前が戻るのは日本じゃないぜ、お前が逝くべき場所は地獄だろ

俳優の峰岸徹さん死去!!

俳優の峰岸徹(みねぎし・とおる、本名・知夫=ともお)さんが、肺がんのため11日夜に都内の病院で死去していたことが12日、明らかになった。

65歳だった。

峰岸さんは、今年4月にがんが発覚し入院加療していた。


7月に仕事復帰したが、2週間ほど前に体調を崩し再入院。

そのまま帰らぬ人となった。


故人の遺志で葬儀・告別式は、親族のみの密葬で営まれ、後日「しのぶ会」が開かれる予定という。

◇ ◇
鉄人レースに挑む体力をもってしても、がんを克服できなかった--。


峰岸さんは11日夜、都内の病院で親族にみとられて静かに息を引き取った。関係者によると

『とても安らかな最期だった』

という。

今年4月。持病の腰痛の術前検査でがんが発見された。

がんは

「ステージ4」

と診断され、腰骨にも転移。


自身の公式HP上に7月12日付でその時の心境を

『一瞬何が何だかわからず、全てが止まった』

『私は腰の手術で入院したのだ。そんなバカなウソだろ』

などと赤裸々につづっている。


出演を予定していた6月の舞台を『腰痛の悪化』を理由に降板した。


その陰で必死にがんと闘った。

5月から抗がん剤や放射線治療を受けた。

抗がん剤治療などで

「約3カ月で体重が12キロ減った」

との報道もあった。


『がんにいい』

と教えられた秋田県・玉川温泉まで湯治に出向いたことも。

経過は良好だった。

7月にはがんを公表し、『テレビ東京』の旅番組で仕事復帰も果たした。

現在、公開中の映画「おくりびと」にも出演している。

『おくりびと』

では、納棺師役の主人公、本木雅弘の父親役で出演。

くしくも死んでいく設定だった。





…だが、2週間ほど前から体調が急変し入院。


そのまま帰らぬ人となった。


12日の未明に都内の自宅に無言で帰宅した。


この日、自宅には、親交のあった映画監督の大林宣彦氏ら友人らが弔問に訪れた。


62年デビューの峰岸さんは数々の映画、ドラマ、舞台で活躍した。

一方、最近はトライアスロンにのめり込み、00年から沖縄・宮古島の大会に参加。

闘病中も

『来年の大会には出るんだ』

と希望を持ち続けた。


今月19日には大阪で開催される

『肺がんフォーラム』

で、患者の立場でゲスト講演する予定だった。

HPでは

『私は負けない、絶対に負けない』

『私は絶対に負けません、癌なんかに…!!』


と不屈の意気込みを示していた峰岸さんだったが、65歳の若さで天国へと旅立った…。










峰岸さんは自身のブログの7月12日付、最後の更新で、ガンを告知された際のことをつづっている。

《以下、一部抜粋》

何故か手術前々日に呼吸器科に呼ばれた。そして、私は何気なくその部屋へと入って行った。
「座って下さい」。
私は呼吸器科の先生に言われたままにイスに座った。看護師さんもいた。
呼吸器科の先生は一言、「肺に悪性腫瘍ができてます・・・」と。私は一瞬何が何だかわからず、全てが止まった。
しばらくして私は、手術は出来ますかと聞くと、先生は静かに「出来ません・・・」と。

私は腰の手術で入院したのだ。そんなバカなウソだろ。私の廻りには家族も居た。子供たちも居た。子供たちは意外におちついて見えた。私もとりみだしてはいけない、それだけを考えた。

そして今、7月初め私は秋田県の玉川温泉が癌にいいと聞き、そこに来ている。私は負けない、絶対に負けない。ここに居る人たちは皆明るい。私も今、明るい日々を送っている。

《以上、原文のまま》