どうも就労移行で支援員をしている網川ニールです。
最近、東京五輪の開会式で楽曲制作を担当するミュージシャン、小山田圭吾氏が過去にした発言が話題になっています。
詳しい内容について書くと気分を害する人もいるので割愛しますが、小山田氏は学生時代に障害者の方々に対して、筆舌尽くしがたい苛めを行っていたようです。
そんな人間に東京五輪・パラリンピックの開会式に関わる資格があるのか!
ということが今回騒動の発端です。
まあ、多くの人が思うように氏には資格はないと言っていいのかもしれません。
というより、彼が作った楽曲が開会式で流れてしまうことは日本の恥になる可能性もあります。
「あぁ~日本て、障害者差別したような人の曲をパラリンピックで流しちゃうんだ」
なんて思われたらたまったものではありませんから。
小山田氏は騒動後、今回の件に関して謝罪文を掲載しました。
しかし彼が謝罪するタイミングはもっと前にあったはずです。
謝罪文にあったように過去を悔やみ、反省をし続けたのであれば、あのインタビューを受けてから今日までの27年間、謝罪や償いをしてきた痕跡が残ってしかるべきです。
しかしテレビで芸人のカズレーザーさんがこの問題にコメントをしていたとおり、小山田氏が償ってきた痕跡は全く見えません。
小山田氏は悔やんだ結果、何をしてきたのだろうか?
むろん一般人の目に見える形で償いの痕跡を残さなければならない道理はありません。
だからもしかしたら、人知れずイジメた相手や家族に謝罪をしていたのかな? なんて淡い期待も持ちましたが、謝罪文を見る限りそれもなさそうです。
イジメがいつ許されるのか、その答えは明確です。
イジメが許されるのはイジメた相手が許してくれた時です。
「もういいよ小山田君、十分気持ちは伝わったよ」
心からそう言ってもらえたとき、初めてイジメは許されるのです。
それ以外に許されることはないと言えるでしょう。
芸人の太田光さんが小山田氏のイジメ問題の背景には当時の時代(の雰囲気)もある、と言っていました。
私もそれはあると思います。
今と昔ではイジメの質は違うし、校内暴力などはデータで見ても、当時の方が多いですから。
しかし過去の情勢と、今日まで小山田氏が謝罪をしてこなかったのは別問題です。
今回世間が怒っているのは、彼が今日まで過去の清算をしてこなかったからです。
だから世間の怒りは止まない。
他方で、どのような方法で被害者に詫びるのかは、小山田氏とイジメられていた当事者の方々は決める問題だとも思います。
当事者でもない人間に彼自身に私的な制裁を加える権利はありません。
許される範囲があるとすれば、小山田氏が東京五輪の開会式に関わる状況を署名活動などを通じて阻止するくらいのものです。
間違っても、彼の家族や関係者に、彼自身に直接危害を加えることはあってはなりません。
さて、今回の件で改めて思ったことがあります。
現代は簡単に過去の情報にアクセスできる時代です。
人をイジメていたログはいくら消そうとも残り続けます。
そしてイジメていた人間を簡単に探せる時代でもあります。
フェイスブック、ツイッター、インスタグラム・・・・・・
名前や出身地などが分かれば、それらを頼りに個人にたどり着けます。
昔、自分をイジメていた人間の名前をふっとした瞬間、気になってGoogleに打ち込んでみた。
するとなんと、その人物は子どもの教育に携わる企業の代表取締になっていることが判明・・・・・・
あるいは、自分の息子にイジメは最低だ!なんて叱ったエピソードをブログに綴っているかもしれません。
そんなとき、かつての被害者は冷静でいられるでしょうか・・・・・・
あるいは冷静でいなければならないのでしょうか?
私にはわかりません。
簡単に個人のことを調べられる時代に、かつてのいじめの加害者たちはどのような日々を過ごすべきなのでしょう?
過去のことだからもう忘れて過ごす?
なにか復讐されそうだから本人を探して直接謝罪をする?
被害者に伝わるようにネットを通じてメッセージを発信する?
どれも正解とは言い難い気がします。
これに関しても私はハッキリとした答えがわかりません。
ただ一つだけハッキリしているのは、イジメの加害者にならなければ、このような問題を悩まなくても良いということです。
誰かを罵り、辱め、人権を踏み躙る。
それをしなければ、過去の精算を求められることはありません。
だからどうか、皆さん人をイジメないでください。
学校だけではなく、職場やママ友同士、あらゆる場にイジメはあります。
そこで行われたイジメは当事者が忘れた頃に自身に返ってくることがあります……