11歳の時。12歳かな?西川くんのオールナイトニッポンを聴いていたらあるコーナーが登場した。






iceman堂






10分くらいのコーナーだったけど、私は雷が走ったみたいな感覚を覚えた!これだ!この音!死ぬまで好き!!









それから小学生の私はレンタルショップに駆け込んで、発売しているだけのicemanのアルバム、8mmをレンタルした。





雷が走ったんだもん、今でも鮮明に覚えている。








私が喪に服す寸前まで、絶対好きだって小学生で確信した。



それからは両親不仲の中、喧嘩の時、嫌なことがあった時、嬉しい時、全部イヤホンで私を保ってた。








20歳くらいの時、初めてicemanの曲を肯定してくれる男性と出会った。感動したし、一番恋してた。

親でもなく友達でもなく、同性のアーティストをあんなに肯定してくれた人は初めてだった。








シンセサイザーの音はクラシックが好きな親には悪だと思われてずっと否定されていたから、初めて受け入れてもらえた気がしてすっごく嬉しかった。










そんなことを思い出して、母の49日を29日に終えた私はまた、icemanを聴いている。






初めてライブに行かせてもらえたのは1998年。自分の服装も覚えてる。NHKホールでのライブで、自力で取ったチケットにしても三階の1番はじで笑




なんて人気な人たちなんだと双眼鏡越しに観たのを覚えてる。







それからは周りの友達にも付き合ってもらって、1999年年末前までライブに付き合ってもらった。






icemanは2000年3月かな?突然活休?解散?したのだ。私はショックで15歳にして初めて死んでもいいと思った。周りの友達はhideが亡くなった時1番崩れ落ちていたから、私はおませ?まあ普通かな。









とにかく今に至るまで、特に辛い時、悲しい時にはicemanが私を奮起させてくれた。



今はaccessが活動してくれているから、そちらにシフトしてる。accessは私の年齢ではちょっとお姉さん好みなので、大人になってから参戦させて頂いている。








母が闘病中、入院部屋で仲良くなった方の娘さんもaccess推しで日本飛び回ってると聞いた時は勝手にシンパシーを感じた笑





そんなことも思いながら改めてicemanのDVDを見て過ごした5月31日。







よく頑張った、私。誕生日月でもあったから仕事もしなきゃいけなくて、とにかく明るくしていなきゃいけない、他人さまに涙は見せないと頑張った!!







今日、6月からは少しずつ自分をもどしていけそう。




本当に4月〜5月は大変だった。こればかりは経験しないと誰も分からないはず。私も初めての経験というか、初めての感情にほんろうされてばかりだった。







母を救いたい夢なんて毎日みるし、毎夜泣いてはいるけれど、icemanの映像を見て改めて色々思い出せた。





私は間違ってない。







私が亡くなる時は木魚の音色じゃなくて、大ちゃんのシンセ音がいいな。






次の日曜はaccessのライブだ。相変わらず1人だけど、楽しみ。



母は居ないけど、相変わらず私は好きを貫いているからね。って、お墓に報告にも行こう😊