12/4(lunes)
『恋できみが死なない理由』最果タヒ、河出書房新社で、「愛する権利があるように、その愛を受け取らない権利もあるはずで・・・」にめちゃくちゃ共感しているRikanです。
ホントその通りだよなぁって思った。
受け取らないことが悪いことなのかなと思ったこともあったけど、やっぱり無理なもんは無理なんですよねぇ。
いつもじゃないよ
ですが、たまにネットニュースなんかを見て、まぁ夫婦関係のごたごたとかが目に入ったときに、「いやぁ、この人が正しいのはよくわかる。でも、正しいことが正解とは限らないんだよなぁ」と思ったりする。
正しさを押し付けるのはやっぱり違う。
それは『図書館戦争』で学んだわ。手塚がそう言われるんよねぇ。
私は今いくつも背負っているので、たった一つのことでストレスが溜まるってことは基本的にないと思っているのですが、最近モヤモヤがありまして。
でね、自分が心身健康に生きていくためには、どんな選択をすればいいかなって考えたときに、周りから見て負担が増えそうだなっていうのは正直全然関係なくって、いかに自分が心地よい選択をするかっていうのが大事だなぁと思うのです。
私にとっては、自分が関わる大切な人たちが笑顔だったり、幸せそうだったり、安心できたり、そんなんでいいんだよなぁ。
そのために動くのは苦痛でもなんでもない。
「あなたがいなくなったらどうすんの?残った人が同じことできんの?」って言われたこともありますが、そんなん関係なくないですか?
私は自分がやりたいこと、できると思うことをやればいい。
そのあとのことなんか、知らん!
っていうか、あとの人がやりたいようにやれっ!
・・・ちょっと口が汚くなりましたが。
小学校教員時代に不登校の児童を何人か担任しました。
一人は家が近かったのもあり、放課後に友達とやってくるようになりました。
「おいで」って言ったかどうかは全く覚えてないけれど、私は職員室好きじゃない(未だに笑)し、教室で仕事してたから、別にいいやって思っていたけれど、他の先生にさっき書いたようなことを言われました。
今やったら「そんなん知らん」って言ってしまいそうですが。
教師がみんな同じである必要はないと思うし、同じやったら気持ち悪いやん。
でも担任って比べられるんですよね~。
保護者が「前の先生は○○してくれたのに」とか普通に言う。
前の担任の愚痴を聞かされたり、まぁそういうのがあるからみんな同じの方が都合がいいんだよねぇ。
最後の年には毎週同じ曜日、同じ時刻に不登校の児童の家庭訪問に行っていました。
その時の学年主任はすごく理解があって、気持ちよく送り出してくれたし、その時間は学年会議とかも入れずにいてくださった。
そして児童のこともだけれど、私に対しても「無理したらあかんよ」みたいに気遣ってくださいました。
たった1年しか一緒に仕事できなかったけれど、大好きな先生やったなぁ。
私はありがたいことに、いろんな経験(国内外で)を積んできましたので、どーでもいいなって思うことがめちゃくちゃ多いんですよねぇ笑
そんなことはもちろん言葉には出さずに心の中で思っていることが多いです。
あと自分を保つには心地よい場所になるべく身を置くことだなぁ。
そんなんで、今日も元気です!
凍れた朝、めっちゃキレイでした。
太陽が生まれてきたところ。
昨日は旭山動物園に行ってきましたよ。キングちゃんとイワトビちゃんがスイスイ泳いではりました