ホタウェネ・タンゴ株式会社が「文化的な生活を世界中の人たちに提供する」という目標をもつために
私が大前提だと思っていることについて少し書きます。
それは、
生命を維持するためだけというか、
文化的な意味合いを排除して、たとえば腹を満たすだけ、雨風をしのぐだけ、という様な意味なら
世界トータルの生産力(供給力)は世界トータルの消費量(需要)を上回っているだろうということです。
機械化等の技術革新のおかげです。
もちろん現実的には「お金」というものの性質により
必要なところに到達できずに無駄になっている製品や生産力がたくさんあるのは確かです。
代表的には貧困に苦しむ人々に食料が届かないことなどです。
しかし実は労働力(生産力)が無駄になっているケースはいろんなところにあります。
たとえば、ある町にいるコーヒーを飲みたい人を潤わせるだけなら喫茶店Aだけで足りるとします。
でもその町には喫茶店A以外にカフェBやコーヒーショップCもあるとします。
客を取り合う構造になりますからどれか一店しかない場合に比べどの店もヒマで
つまり待機している店員さんの労働力が無駄になっているといえます。
特に各店で同じ味のコーヒーしか出せないなら本当に意味がなく
おそらく単純な価格競争も起き、一杯のコーヒーの価値も落ちてしまいます。
それぞれが個性的な味やサービスを用意しないと無意味なのです。
しかしそうなっても客に味やサービスの違いを受け取れるセンサーがなければ
その個性やサービスの違いも無意味になってしまいます。
ここに文化の「必要性」を感じるのです。
もう一つ。仮にAとBのオーナーはその経営やコーヒーの味の追求に関心があり一生懸命だけど
Cのオーナーは実はそれほど興味がないとします。
C店が閉店しない理由は?
おそらくお金の問題とともに案外「失業者になるのがイヤ」という心理が大きいと思います。
「働かざる者、喰うべからず」という言葉がありますが、
これはあくまでも需要を供給が下回っていた時代の言葉だというのが私の見解です。
話を進めていくと社会制度の問題になってきてしまいますが
金が余っていて労働意欲が低い人は無理に仕事をしない方が社会のためです。
Cのオーナーはお店を閉めて以前から興味を持っていた絵画教室に行った方が
A店もB店もお客さんたちも喜びます。社会に貢献できるのです。
このあたりのことはいろんな切り口でかけると思いますので
また別の機会にもいろいろ書いてみたいと思います。