クリスマス ストーリー  1960年とはどんな時代だっただろう 敗戦から15年の東京 | ロスからの声

ロスからの声

物足りないロサンゼルスについて書いています。

前回までの記事は以下から

クリスマスストーリー 1

クリスマスストーリー 2


この楽曲は作曲したジャズ歌手メルトーメと
ブロードウエイのスーパースター、ジュディガーランドのデュエットです。
この曲はメルトーメが19歳のときに書いた楽曲でした。

この後、生まれてくるすべての歌手に歌われたすばらしい
楽曲。

朴もこの楽曲に1960年に出会ったのです。

父を亡くしたのは1960年です。

日本が敗戦しアメリカに無条件降伏し

天皇陛下は「神から人間」になったのです。

第二次大戦以前そして戦中の教育では天皇は神。

神のためであれば有難く死ぬという教育でした。

そのために多くの犠牲者が生まれました。

特に終戦前の東京や大阪の空襲は明らかに

一般市民を殺すことを目的とされ、最後は広島と

長崎に世界で唯一の経験として原子爆弾を投下され

数秒間でとんでもない数の人たちが風にさらわれるように

命を落としてから15年後。

まだ東京のど真ん中、今の代々木公園は

ワシントンハイツという米軍の施設でした。

明治神宮の裏全体、現在のNHkのある場所一体です。




ケネディ大統領暗殺まで3年。


ケネディ大統領が銃撃され後ろへ逃げる
ジャクリーン婦人。


4年後の東京オリンピックを控え、高速道路の建設や

基地を返還してもらい底にオリンピック村を作り始めていました。

しかし、いまだに不思議なことがあります。

東京大空襲や広島、長崎などであれほどアメリカに

攻撃を受け、多くの一般市民をあっという間に消し去った

アメリカをたった15年後の東京では憎むどころかあこがれていました。

テレビではアメリカのドラマが放映され、うちの姉たちも

アメリカに完全に心を奪われていました。

今の韓国や中国が語るような敵意は国民の中では
ほとんど見当たらな状況でした。

100万単位の命と引き換えに、無条件降伏の上に乗った
平和です。
しかも日本が自ら始めた戦争でした。

僕も隔週に放映された金曜日のディズニーの番組に

幼稚園のころにうちにやってきたテレビで放映されるのを

楽しみにしていました。

テレビはもちろん白黒で酢でした。

ディズニーと同じように隔週やっていたのが

プロレスでした。力道山の時代でした。

そしてアメリカのドラマはスーパーマン、
ローンレンジャー、パパ大好き、ビーバーという感じで
アメリカの西部劇コミックから飛び出したヒーロースーパーマン
アメリカの家庭生活が見れる家族ドラマ。

世界中が戦争を終えもちろん完全にではありませんが
戦後の平和を味わっていた時代でした。

そんな時代に各家庭でささやかのクリスマスの食事が
行われている時代に、父を送り出した我が家は
ひっそりとしたクリスマスをしていたのでした。

クリスマスソングが今でも寂しく聞こえるのも
もう忘れてしまった当時の景色をふと思い浮かべるからかも
知れませんね。

こういう年にこの楽曲に出会い、それから20年ほど経過した
1982年に森山良子さんのクリスマスアルバムのプロデュースの
依頼を受け、一人ロサンゼルスに飛び、1960年にラジオから聞いた
レコードの製作の中心にいた編曲家のゴードンジェンキンスと
出会うのです。

この楽曲に出会ったときにすでに運命は決まっていた
と今は思います。

もう一度ここで聴いてみて下さい。

歌フランクシナトラ、編曲ゴードンジェンキンス
1957年の作品です。



クリスマス ストーリーはまだまだ続きます。


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