クリスマス ストーリーの続きです。 音楽との出会い クリスマスソング | ロスからの声

ロスからの声

物足りないロサンゼルスについて書いています。

前回の記事はこちらです。



1946年にナットキングコールが最初にレコーディングした
クリスマスソングです。
大戦bが終わり初めてのクリスマスでした。
ナットキングコールは黒人でしたから
激しい差別の中黒人たちにとっては大きな救いに
なったでしょうね。

アメリカではこのころ黒人は人間としては
扱われていません。
選挙権も持ち炉ありませんから、すべて動物の
洋に扱われた時代です。

ホテルに入るのもラジオ局やテレビ局に入るのも
白人とは違う裏口から。

同じトイレはもちろん使えません。

ほとんどのレストランは黒人は入れません。

たった70年まですがアメリカは激しい人種差別を
行っていたのです。

今でも南ではまだまだ差別は消えていないアメリカです。

そんな時代でもあったのです。

そして彼はますます大物に成長し
同じ楽曲をレコーディングし直します。


これは1961年にレコーディングされたもので
当然このころはステレオのレコーディングとなっています。
ご存知のようにこのころにはお嬢さんのナタリーコールが
生まれているわけです。

しかし、人種差別はまだ激しく続いていました。

僕がこの曲に出会ったのは1960年でした。
父の亡くなった年です。

この楽曲は1944年にジャズ歌手のメルトーメによって書かれた
楽曲です。

そして僕がこの曲をFENである晩聴くのです。
10歳の子供です。
歌詞の意味は理解できませんでした。

ラジオで紹介されるシナトラの名前とクリスマスソングと
いうタイトルを聞き取るまでにどれくらいの時間が掛かったかも
覚えていません。

日本のラジオやテレビ(結構早くからテレビはあるいえでした。)
ではまったく流れてこない音楽でした。

二歩の放送ではジングルベルと聖夜が繰り返し使われていました。
時々ビングクロスビーのクリスマスソングが流れていたと記憶しています。

ともかくインターネットのようなものは無い時代でした。

自宅の二階を大学生の下宿として一部賃貸しをしていました。
そこに慶応、早稲田など六大学の学生が居て、慶応の奥山君
という学生に一緒にラジオを聞いてもらい何とかつかんだ情報が
フランクシナトラ、クリスマスソング、ゴードンジェンキンスという
3人の名前でした。


この写真はネットのデーターベースからのもので
うちの家族の写真ではありませんが唱和していますね。


メモ用紙に書いてもらい大事にいつもしまっていました。
このレコードがほしい。
しかし、父が亡くなって一ヶ月も経っていない家庭でこのような
ことは望めませんでした。

ただただ、時間があればラジオの前でクリスマスソングが流れるのを
待っていました。

現在のアメリカの放送局も11月の中盤くらいから、実際はサンクスギヴィング
が終わると同時に24時間クリスマスの音楽がノンストップで流れます。

当時もFENはおなじように朝から晩までクリスマスソングが流れていました。
そして時々運がよければ一日に2回フランクシナトラのクリスマスソングが
聴けるチャンスがありました。

待つしかない、ラジオの前で飼い犬が飼い主を玄関で待つようにです。

それがこの音楽です。


これなんですね。
初恋のようなものです。
初恋の話はまた書きますね。(わくわく)

まず、シナトラの声に惚れました。
そしてこのメロディー。
そしてゴードンジェンキンスの編曲。

バックコーラス。
途中で歌の隙間から聞こえてくる「ジングルベル」のフレーズ

シナトラと語り合うようにコーラス。

本当に感動したのです。

1960年の12月の平均気温は6.3度、最低気温は-2.3度
寒いような気がしますがどうですかね??


続きます。



ランキングに参加しております。
是非応援よろしくお願いいたします。

にほんブログ村