まだ家庭にテレビが少ない頃 駅前でみんなでテレビを見ていた。力道山、プロ野球、ニュースなど | ロスからの声

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物足りないロサンゼルスについて書いています。

世の中が変化をするのが早くなった1950年代

テレビはこんなスタートだった。

  • 1953年1月、シャープが国産第1号のテレビTV3-14Tを発売[4]。価格は175000円。同年2月1日には日本放送協会(NHK)のテレビ放送開始(日本での地上波テレビ放送の開始)。8月28日には日本テレビ、テレビ放送開始(民放での初のテレビ放送の開始)。またテレビ画面が裏返しに映る日本初の放送事故が発生した。当時の主な番組は大相撲プロレスプロ野球などのスポーツ中継や、記録映画など。白米10kgが680円、銭湯の入浴料が15円程度であった当時、テレビ受像機の価格が非常に高価(20万~30万円程度)で一般人には買えないため、多くの大衆は繁華街や主要駅などに設置された街頭テレビや、土地の名士などの一部の富裕世帯宅、喫茶店、そば屋などが客寄せに設置したテレビを見ていた。同年12月 - 米国でNTSC方式のカラーテレビ放送規格の成立[3]
  • 1954年1月23日 - アメリカNBCが、NTSC方式によるカラー本放送開始。
  • 1955年4月1日 - ラジオ東京(KRT・KRテレビ、現:TBSテレビ)がテレビ放送開始。
  • 1956年12月 - NHKのカラーテレビ実験放送開始(UHF帯を使用)。
1958年の14インチTVセット


今やリモコンでテレビを操作しているが
当時は丸いチャンネルをまわしていた。

当初はモノクロ、本格的には60年代に入りカラー化が

進んだ。

東京オリンピックはテレビの普及を大きく後押しした。
1964年のことだった。


それ以前、まだ家庭に一台という時代がくる前



ホームからみる中野駅北口。
左側の上は警察学校、現在はここに
中野サンプラザがある。
白いバスは関東バスという民間のバスだった。




中野駅北口の商店街の入り口。
現在ここを入って突き当たりに
ブロードウエイがある。

これは中野駅前のテレビ、この前で野球をみた覚えがある。

これは同じ頃、新橋の駅前で力道山のプロレスをみる人々。
確か、毎週金曜日の夕方だったと記憶している。

娯楽の少ない時代に、ここに集まり思い出を共有していた。





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