![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
夫の遺影に話しかけたり、夫の携帯に何度も電話してみたり、出るわけないのに、明け方になるまで寝ることが出来ません。
夫が亡くなり少し落ちついたと思うころ病院の夫を見送ってくれた看護師さんから電話があり先生がゆっくりお話をしたいので病院まで来れますか?
と携帯に電話がありました。
全く出掛ける気になれず迷いましたが夫の最後は一緒にいれましたがその前の状態を知りたくて22日に病院まで行って来ました。
先生から亡くなるまでの夫の状態や様子を詳しく聞くことが出来ました。
夫は最後までナースコールをしてトイレまで行けたそうです。
二女の出産と重なり夫を救急車で運び、夫の病院では、いてもらわないと困りますと言われ、二女の病院からはすぐにお母様に来てほしいと言われ、ぎりぎりまで迷った結果私は二女の病院へタクシーで向かいました。
妊娠糖尿病で前期破水で12月からICUに入院していた二女が突然破水の量が多くなり陣痛が来て出産にはリスクも高く二月の予定日には早すぎる出産です。
夫には以前から何があっても二女のお産と重ならないでねとお願いしていたのに、二女に何かあったらと心配でその時は夫より二女の事が心配で受け付けにその事を伝えタクシーで二女の病院へ向かいました。
私が病院に着いた一分後に赤ちゃんが生まれました。
一人で辛い陣痛に耐えたのかと思うと可哀想で涙が出てきました。
こんな大事な時に側にいてあげられなかった事で夫を恨む気持ちにもなりました。
週数は足りませんでしたが2000グラムは越えていました。
頑張って下から生むことが出来ました。
とても上手なお産でしたよと先生から言われました。
その日は夫を救急車で運んだので車もなく夫の病院まで行く気にもなれず翌日に行って二女の出産を夫に報告するつもりでした。
明け方5じ過ぎに夫の病院から電話があり、吐いた物が肺に入ってしまい酸素が取り込めない状態になっています、すぐ来てくださいと連絡があり、私が病院に着いた時には酸素の数字もかなり落ちており先生は私に頭を横にふりもうダメですの合図をしてきました。
この後のことは前回のブログに書かせていただいております。
22日の先生の話では夫の体の中には癌の再発はどこにもなかったそうです。
医療センターから末期のすい臓ガンと言われホスピスに入院しましたが
ホスピスの先生がすい臓ガンの末期にしては症状がおかしいと呼吸器内科の先生に相談してくださり、肺に色々な病気が見つかり、辛い治療になりますが、助かる可能性もあるということで、二女の出産までは生きていたいと言う夫の意志で治療を始めましたが、夫の弱りきった体には強い抗生剤はかなりの副作用があり一部の肺には改善が見られましたが、食欲も無くなり痩せ細った夫の体では無理な治療だったようです。
非結核性は結核の治療と同じ薬を使います。
ホスピスの先生からは抗ガン剤より辛いですよと言われた事もあります。
癌の再発と思われていた影は非結核性の菌が在宅の先生が処方してくれたステロイドの副作用で増えてしまいそこに膿がたまり肺に穴が開いてしまい、頑張って食べてもすべて病原菌に栄養を取られてしまい、低栄養状態になり、痩せ細った体は腸の一部が血管に挟まれ腸閉塞をおこし、それが原因で吐いたものをごえんして亡くなりました。
せめて一年前に、癌の再発ではないとわかっていれば、まだ体力もあったし、治っていた可能性があります。
癌には勝ちましたが、他の病気が原因で亡くなり、それも正しい診断をしていてくれたらと思うと悔しくてたまりません。
この一年癌の再発と思い込み生きる希望も無くし、酸素を吸いながら不便な生活で入、退院を繰り返し、最後のホスピスでまさかの癌の末期ではないことがわかり、亡くなった夫も、きっと悔しい思いをしていると思います。
来月ですい臓ガンの手術をしてから四年が立ちます。
誤診でなければ夫はきっと元気でいてくれたはずです。
とても、とても悔しいです。
二女のことをとても心配していたので、赤ちゃんが月足らずですが無事に生まれた事だけ報告できて良かったと思います。