当てる当然の案でしかない | 読む人の従容たる日常

読む人の従容たる日常

阪神のことはもちろん、趣味や日頃のことについても書いていきたいと思います。
自己啓発系・投資系・ビジネス系・通販系のフォロー申請はお断りしてますし、こちらからも伺いません。



守ると言う言葉を掲げて一聴するととてもええ話にも聞こえるが、手首や肩甲骨を守れたとして、腰やら膝に当てられたら今度はそこも防ぐとなると、打者は甲冑のような出立ちで打席に立たなあかんようになる発想でしか無い。


昔の人が「避けるのも技術」と言うてるとかあるけど、避けられないものかて昔からあった。

故意的なものまで含めたらキリがないくらいやったしね。

投手の球速も上がり、とっさの判断で避けるのもより難しくなったと言うのもあるのは理解するが、それ以前に投手が進化する過程で球を操る力を鍛えることを疎かにしとるんとちゃうんか?

藤浪にしろ青柳にしろ佐藤蓮にしろ、ストレートへのこだわりが強過ぎて制球を犠牲にした結果、もしくは二兎を追うものはなんとやらってやつで両立できひんかった結果が、コントロールの不安定さを招いたとワイは思っとる。


当てられるほうはたまったもんやない。

けれど、投げるほうも好打者に打たれる訳にはいかない。

だから内側をえぐるためにもインコースを攻める配球にもなる。

なので、当たる可能性も出てくるので防具で守るというのは、ますます打者の避ける技術や投手の制球力といった、試合の駆け引きの楽しみそのものを否定することでしかない。


発想となる着眼点まで否定する気はないが、進化の過程ばかりを優先させることなく、どう投げる側もそうならないようにできるかも取り組ませなあかんようにワイは思う。