初詣 | 読む人の従容たる日常

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年頭行事として今年も初詣に行ってきた。

ただ、例年は元旦に詣でてたんやが、流石に年末の疲れが取れずに寝正月を決めてしまい、遅れての初詣になった。


今年は北松浦郡佐々町にある三柱神社に伺った。



歴史は古く、貞元2年(977年)に三尊大明神として作られたものやと言う。

その名の通り、素戔嗚命・大己貴尊命・稲田姫尊命の3人を祭られたもので、郷中安全や五穀豊穣を祈願するものとして、埼玉県の氷川神社の分霊として建立されたとのこと。


元日やったら混雑しとったろうけど、少し遅かったおかげで到着した時はワイとカミさんだけやった。

なお、なんでここに行こうかと思ったかと言えば、あるものがここにあるということをネットで知ったからというのがあった。


古い方なら「肉弾三勇士」という名を聞いたことがあると思う。

昭和7年(1932年)、第一次上海事変で日本と中国とで戦争が起こった際に、敵陣地の鉄条網を破るために点火した破壊筒を持って敵陣へ突入し爆発させて突撃路を確保する作戦を行い、殉じた3人の戦闘工兵がおった。

その功績から「爆弾三勇士」とか「肉弾三勇士」と英雄化して国内で報じられ、歌や映画にまでなったくらいの美談となった。

そのうちの内の1人・北川氶伍長の銅像が三柱神社にある。




この銅像は昭和9年(1934年)に東京の青松寺に建てられた三勇士の銅像の内、先頭やった北川伍長の部分のみをこの地に移設したものになり、太平洋戦争後のGHQによる破却を逃れるために、北川伍長の出身地であるここ佐々町に分断して持ってきたのものとのこと。

かつて萬世駅側にあった広瀬中佐銅像や佐世保水交社近くにあった服部中佐銅像のように、当時は戦争放棄として軍神とされていた軍人を称えるようなものは破却されとっただけに、なんとかして残そうとした方々がおられたんやろね。


長く続くウクライナとロシアの戦争、そして、昨年から始まったイスラエルとハマスの戦争。

被害が拡大する中で軍人はもちろん民間人の多くの生命が失われた。

日本もまたほんの少し昔、当時の実態や理由はどうあれ同じようなことをしてきた。

北川伍長もまた、志願しての作戦参加やったそうやが、生命をゲームの駒のような扱いで奪う行為は許されるもんではないし、そんなもんは策でもなんでもない。


更に、元旦に起こった能登半島地震、更には羽田空港での衝突事故。

地震は防げるものやないけど、備えておくことの困難さもまた3.11で知っただけに、被害に遭われた方々の辛さや困難さは痛いほどわかる。

そして、救おうと行動された方々には敬意を表するし、くれぐれも無理して被害にあわないようにだけしてほしいと願う。


そんなワイにはどうすることもできないことばかりが起こった中で、ワイが願ったのは「人々が平安に暮らせるように」ということやった。

生まれてこの方、こんなことを初詣を始め神社で願ったことはなかった。

けど、今年は心からそう願わずにはいられなかった。