春分の日のこと。

この日は、出かけての泊まり(ホテルね)での用事が終わって、午後からは冬をおしむように、山に行ったのでした。スキーがしたいのですね。

こういう林のなかをスキーで歩くのは格別で、ほんとうに中毒性があります。
この日は、表面はいったん溶けた雪がまたかたくなりかけていて、でもその下はざくっとした雪で、ええ~いと斜面を滑ったら、スキーの先が一番上の雪の下に潜っていて、前のめりに転んでしまいました。
そう、テレマークスキーって、かかとが上がるので前に転ぶことも出来るのです。
山の草とか花とか虫とか-林

さて、この日に行ったところは幾度も出てきている公園の中なのですが、ここにはイタヤカエデのおおきなのがあります。
一応、この木に会いに行きました。
山の草とか花とか虫とか-イタヤカエデの大きなの

だんだんと近づいていくと、木の根元付近からなにかちょろちょろっと出てきました。
っわああ~ぃ!ネズミだ~!
山の草とか花とか虫とか-ねずみだ~

もうちょっと大きめに載せてみましょう。
ほらほら、ネズミ。野ネズミです。
山の草とか花とか虫とか-ねずみだよ
ちょろちょろっと歩いて、すごく可愛いぞ~!

ややや、っと音を立てないようにじっとしていましたが、シャッターの音にびっくりしたのか、数枚撮っただけでもとの根元に戻ってしまいました。
山の草とか花とか虫とか-イタヤカエデの幹


木にそうっと近づいてみると、木の根元には隙間があって結構深くなっていました。
ここにもぐりこんだのですね。
山の草とか花とか虫とか-イタヤカエデの根元

う~ん、なんとかもう一度姿を現してくれないものでしょうか。
ぜひお顔も撮りたいのです。
できれば、ちいさな手に木の実とかを持ってカリカリと食べているようなところを写真に収めたいのです。
山の草とか花とか虫とか-根元アップ

じい~っと、じっと待ちました。
耳をすましてみても、なんにも音は聞こえません。
きっと、ほかの動物から追いかけられたときにも、このようにささっと隠れて、もしかしたらずっと長い時間隠れているのでしょう。
山の草とか花とか虫とか-樹皮
じっと待つのに耐えられなくなってきて、樹皮を撮ったりしました。

木についている模様は、地衣類というものですね。
地衣類は、ひとつの生き物ではなくて、藻類と菌類がいっしょに暮らしている巣というかそのようなものだそうです。
菌と藻類がお互いに必要なものをやりとりしているのだそうです。
以前に、地衣類の本を読んだこともありましたが、なかなかに難しく思いました。


Plant×50

イタヤカエデ・・・1種×50=50円

蟲×50

ネズミ(なにネズミだかわからない)・・・1種×50=50円

3月1日から累計2,000円 
2月:1,150円 1月:1,050円 12月:1,700円 11月:3,150円 10月:3,900円 9月:3,700円
4~8月:18,150円
三月も下旬となったのに寒い日が戻ってきました。

昨日の仕事帰りは午後5時30分。いつの間にか、この時間にもこんなに明るさが残るようになったのだとほんとうに日が長くなったのを感じました。
山の草とか花とか虫とか-夕方の濃い空

冬は西がいつでも雲があって、夕焼けはなかなか見られませんが、このところ西の空も見えるようになってきました。
東の空には、夕日からのちょっと赤い陽射しと、下には濃い雲がいました。
山の草とか花とか虫とか-東の空の赤い雲と低い濃い雲

西に鉄塔。
山の草とか花とか虫とか-鉄塔と西の空

昼には時折吹雪きになって、また雨になって、夕方には木の枝に水滴が凍りついていました。
一度暖かくなったのを知ると、こういう寒さがまた身にしみます。
山の草とか花とか虫とか-凍りついた枝

林もまた白く化粧をして、その上に細い月が浮かんでいました。
山の草とか花とか虫とか-白い林と月

春が近くなりました。春が近くなりました。
幾度もそう書いてみても、ほんとうのところ春はまだまだ遠くも感じられます。
つくしが顔を出したと聞くのに、うちの近くではカーブミラーがようやく顔を出したのです。
山の草とか花とか虫とか-雪の様子

だんだんと暮れてゆく空に、金星は輝き、いつもは大変明るく感じる木星も、今の金星には敵わないなあ、というように、金星の下に光っていました。
右下には細い月が。
山の草とか花とか虫とか-月と金星、木星

こないだ木星とならんでいた金星は西の空に高度を上げました。

今は細い月は、これからどんどんと丸くなり、細くなり、また夕方に見られるようになるころには街にはサクラも咲くでしょうか。
昨日は、大学のころにお世話になった先生(つまり教授ですね)が退任なされるとのことで、たくさんのひとが集まりました。

テーブルには、その先生の過去の作品から作ったテーブル札。
ビールなども写っていますが、残念ながらぼくには飲まれません。
山の草とか花とか虫とか-凛と炎

これは別の作品のもの。
山の草とか花とか虫とか-記憶の塔

名札もおなじように、先生の作品の絵がプリントされたピンバッジでとめるのでした。
山の草とか花とか虫とか-ろっきいちゃっく

その退任される先生のほかに、お世話になった先生が幾人かいらしていて、卒業してもう10年以上にもなるというのに、お会いするとすっかり師匠と弟子、という関係性に戻るのでした。
こちらの仕事の様子なども気にかけてくださって、覚えていただいていただけでもすっかり恐縮してしまうのでした。(なかば、説教のような気もしましたが)

以前に、学び=真似び、であると書いたのですが、師を真似するのが、つまりは学び、というようなところでしょうか?

ああ、そうでした。思い出しました。
ぼくがこれまで経験した授業の一番と面白かったのは、大学の哲学の授業でした。
その教授(上の作品の先生たちとはぜんぜん違う先生です)は、授業の時間には、テキストも、板書も、出欠さえなく、時間になると教壇に立ち、右に左にうろうろしては、ゼノンのパラドクスだとか、水槽の脳のはなしだとか、そういうものをぶつぶつと口にしながら、時折水筒のお湯を飲むのでした。
そしてまた時折、「ああ~!そうだった」なんて一人で納得したり。
そんなことをするものだから、ぼくはその先生の一挙手一投足や、教室の雰囲気から目が離せなくなるのでした。

学習というと、知識をたくさん覚えていって。というような感じがするのですが、知識というのはつまりは成分のようなものでしょうか?
例えば、成分を集めてもものにはならないのです。(成分もないと困りますが)
ひよことおなじだけの、炭水化物やたんぱく質を器に集めてみても、それはひよこでないのとおなじく、知識をたくさん集めてみても、なかなかね。人格だとか、知恵だとかにはならないのですね。

つまりは、先生のはなしを聞いて「よくわからない・・・」というのは、「あの先生のはなしはわかる」というよりももしかしたら素晴らしいことなのやも知れません。

つまりは、師はいつまでたっても、追いつけなく理解が不能なので師であるのです。
この人には敵わないなあ、というね。そういうことですね。
(草の知恵には敵わないなあ~と思ったら、草からも学ぶことが多いし、にゃんこ先生だってキャット空中三回転を教えてくださるわけです)

・・・なんのことかわからなくなってきましたね。ふむふむ、それでよし。

で、同級生たちともひさびさに会ったりもしました。
これは、あれのカバーです。友人の仕事の関係らしいのですが。
なんと、薄い薄い木を幾枚か重ねて貼りあわせて作ったのだといいます。
山の草とか花とか虫とか-あれのカバー

こういうものを見ると、どうもみんなはじっこの処理だとか、作り方が気になってしまうのでした。
山の草とか花とか虫とか-カメラのあな

こんなに薄く木でできているのに強度がでるものだなあ。なんて。
山の草とか花とか虫とか-あれのかばーの裏

同級生たちは、だんだんといろいろな仕事を成していて、はて、ぼくはというと、山に行ったり草を眺めたり、虫を追いかけたり。
いつからこうなった?と思ったのですが、思い返してみると、在学中も、大学の敷地内でカエルを集めたり、カナチョロ(カナヘビね)を探したりしていたのを思い出しました。

ぼくにはまだカエルがなぜコロコロと鳴くのかよくわからないので、カエル先生から学ぶことにしましょう。しっぽの無いのはカエルの先生とぼくはおそろいですね。