道標がありました。
ここ着く前に見た案内板に「これより石と舟のみち」と書いてあった道標です。
「西たかお舟とみち、北かうのすみち」
(左の「かうのすみち」の「み」が違ったような形でしたが、こちらは「ミ」あるいは「巳」でないかと思われました)

裏側です。
表から見て左側の細い面に「これより石と舟のみち」とあります。
裏面には「享保十二 未」と。この年は丁未(ひのとひつじ)であったようです。
西暦でいうところの1727年で、今から287年前です。

しかし、約300年にもなる石碑が新しく見えるなあ、と思ったら、隣に立っている説明の板に、現物は別に保管してあるとのことでした。

ふむ、それでは西へ(現場での道は南へ向いておりましたが)向かいましょう。
立派なサザンカの垣根に白い花が咲いております。
童謡「たき火」に、「かきねのかきねのまがりかど」あるいは「さざんかさざんか咲いたみち」で落ち葉焚きをした様子が歌われており、そういった光景はまさにこんなふうなところの情景だったのではないかと思われました。
小学校のころに歌った記憶があるものの、その当時、うちの近くには垣根もサザンカも無いし、北風が吹く頃には落ち葉などまるきり雪の下深くにあって、ぜんぜんピンと来なかった想い出があります。ああなるほど、こういうところの歌なのだなと思いました。

少し進むと鎌倉街道の標示。その向こうに畑があり、屋敷と屋敷林が見えております。
よい風景ですね。

道端に、なにか見本のようにかっこいい樹形の木があり、近くに行ってみるとなんとツバキの木でした。これは見事なものです。(ツバキもうちの近くのツバキは、林床に伏してこまごまと株分かれして育つのです)
ツバキを炭に焼いて茶道や香道に用いたと読んだことがありましたが、ツバキがこのような大きさに育つイメージがないものですから、これを見ても、ははあ、なるほどという具合でした。
しかし、このくらいに立派なツバキであれば名のあることだろうと思いましたが、名前は見当たりませんでした。

また別な道端の草です。
これも初めて見るものです。これはコセンダングサというものでありましょう。
実についているトゲで人やけものにくっついて広がる草ですが、トゲの部分がアメリカセンダングサなどとは違っております。

オオカエデの鮮やかな紅葉があり、

高尾氷川神社というのがありました。

そこを過ぎると道の左手にイチョウの畑が広がっておりました。ギンナンを収穫するためでしょうか。あまり背丈が高くならないように樹形を作ってあるようでした。

次に現れたのは北向き地蔵というお地蔵さんです。
ちいさな説明版があり、そちらには、願い事をするのにはどろの団子をあげ、願いが叶ったらお米の団子を奉納するのだと書いてありました。

道は林の中に入りました。
樹皮からするとケヤキかなにかのようでした。

道の様子はイメージの中にある昭和やそんなころの時代感が残されております。
このつき当たりにある公園かお庭では、お母さんと子どもたちがバドミントンをしておりました。

すっかり都会化してしまっているのかと思われたところでしたが、昔からの道沿いには懐かしい風景が残っているものですね。
地形図で例えば神社や石柱などの残っておるところをたどると、思いもかけずにこんな風景のあるのが見受けられます。そういったところをたどって歩くのはたいへんに面白いものです。
都市というものは、ヒトの巣であるわけで、それが成り立って、あるいは長らく残ってきた古い道というのはそれがそうあるなにかしらの要因があるんだろうと思っております。
国内の山や川が近くにある地域では、それらは山と川の地形との関係から読み取りやすいものなのですが、関東の平野というのは国内でも最大規模の平野部ですから、ぼくには想像も及ばないところがありますね。地形図で見てもほとんどまったいらですし。
現在はそれらに加えて区画整理などがどんどん進んでいってしまって、その後にできるのはまっすぐな車道とどこがどこだかわからない茫漠たる郊外の風景なものですから、寂しいことだなあと思うのです。
というわけで堪能しつつ目的地は近くなります。

雑木の林が増えてきた感じのところに目的地への入り口がありました。

ここ着く前に見た案内板に「これより石と舟のみち」と書いてあった道標です。
「西たかお舟とみち、北かうのすみち」
(左の「かうのすみち」の「み」が違ったような形でしたが、こちらは「ミ」あるいは「巳」でないかと思われました)

裏側です。
表から見て左側の細い面に「これより石と舟のみち」とあります。
裏面には「享保十二 未」と。この年は丁未(ひのとひつじ)であったようです。
西暦でいうところの1727年で、今から287年前です。

しかし、約300年にもなる石碑が新しく見えるなあ、と思ったら、隣に立っている説明の板に、現物は別に保管してあるとのことでした。

ふむ、それでは西へ(現場での道は南へ向いておりましたが)向かいましょう。
立派なサザンカの垣根に白い花が咲いております。
童謡「たき火」に、「かきねのかきねのまがりかど」あるいは「さざんかさざんか咲いたみち」で落ち葉焚きをした様子が歌われており、そういった光景はまさにこんなふうなところの情景だったのではないかと思われました。
小学校のころに歌った記憶があるものの、その当時、うちの近くには垣根もサザンカも無いし、北風が吹く頃には落ち葉などまるきり雪の下深くにあって、ぜんぜんピンと来なかった想い出があります。ああなるほど、こういうところの歌なのだなと思いました。

少し進むと鎌倉街道の標示。その向こうに畑があり、屋敷と屋敷林が見えております。
よい風景ですね。

道端に、なにか見本のようにかっこいい樹形の木があり、近くに行ってみるとなんとツバキの木でした。これは見事なものです。(ツバキもうちの近くのツバキは、林床に伏してこまごまと株分かれして育つのです)
ツバキを炭に焼いて茶道や香道に用いたと読んだことがありましたが、ツバキがこのような大きさに育つイメージがないものですから、これを見ても、ははあ、なるほどという具合でした。
しかし、このくらいに立派なツバキであれば名のあることだろうと思いましたが、名前は見当たりませんでした。

また別な道端の草です。
これも初めて見るものです。これはコセンダングサというものでありましょう。
実についているトゲで人やけものにくっついて広がる草ですが、トゲの部分がアメリカセンダングサなどとは違っております。

オオカエデの鮮やかな紅葉があり、

高尾氷川神社というのがありました。

そこを過ぎると道の左手にイチョウの畑が広がっておりました。ギンナンを収穫するためでしょうか。あまり背丈が高くならないように樹形を作ってあるようでした。

次に現れたのは北向き地蔵というお地蔵さんです。
ちいさな説明版があり、そちらには、願い事をするのにはどろの団子をあげ、願いが叶ったらお米の団子を奉納するのだと書いてありました。

道は林の中に入りました。
樹皮からするとケヤキかなにかのようでした。

道の様子はイメージの中にある昭和やそんなころの時代感が残されております。
このつき当たりにある公園かお庭では、お母さんと子どもたちがバドミントンをしておりました。

すっかり都会化してしまっているのかと思われたところでしたが、昔からの道沿いには懐かしい風景が残っているものですね。
地形図で例えば神社や石柱などの残っておるところをたどると、思いもかけずにこんな風景のあるのが見受けられます。そういったところをたどって歩くのはたいへんに面白いものです。
都市というものは、ヒトの巣であるわけで、それが成り立って、あるいは長らく残ってきた古い道というのはそれがそうあるなにかしらの要因があるんだろうと思っております。
国内の山や川が近くにある地域では、それらは山と川の地形との関係から読み取りやすいものなのですが、関東の平野というのは国内でも最大規模の平野部ですから、ぼくには想像も及ばないところがありますね。地形図で見てもほとんどまったいらですし。
現在はそれらに加えて区画整理などがどんどん進んでいってしまって、その後にできるのはまっすぐな車道とどこがどこだかわからない茫漠たる郊外の風景なものですから、寂しいことだなあと思うのです。
というわけで堪能しつつ目的地は近くなります。

雑木の林が増えてきた感じのところに目的地への入り口がありました。



























