『虹のかなたに』 -8ページ目

『虹のかなたに』

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

 「怖い人」と言われる人がいる。何を以て怖いとするかは様々であって、近寄り難いオーラや威厳を放つ人も怖ければ、癇癪持ちでしょっちゅうキレている人も怖いし、暴れたり大声を上げたりする狂気染みた人も、常に策略を巡らせていて何を考えているか分からない人も怖いが、「怖い人」と言われて第一義的に想起されるのは、「怒ったら怖い人」ではないかと思う。少なくとも、子どもたちの9割以上はそう言うだろう。
 
 特に小学校のとき、「怖い人」の筆頭は、学校の先生であり、それだけ「先生」というのは絶対的な存在であった。私が通ったのは、1学年に2クラスしかない、岡山の田舎の小さな小学校だったが、それでもやんちゃな子はいて、それを抑えるために、「怖い先生」の存在は不可欠だった。この小学校の3年生以上では、2クラスの片方は男の先生、もう片方は女の先生が担任となるのが通例だったのに対して、私が入学した当時の6年生には、いわゆる「ヤンキー」とはまた違う、およそ小学生とは思えぬやくざ者のような児童がいたものだから、例外的に2クラスとも、核弾頭のような男の先生たちが担任に当たっていた。
 
 始業式や終業式、運動会など、学年の枠を超えて全員が集まる場では、その6年の担任の先生の上げる怪気炎は1年のちびっ子たちにも否応なく見せつけられることになり、その剣幕の凄さに、ちびっ子たちは「6年生になりたくなーい!」と泣き喚くのであった。
 
 あるとき、件の「やくざ者のような児童」が、校内で喫煙しているところを摘発された。小学生が校内で悠々と煙草を燻らせるのも物凄いことだが、核弾頭の先生はあろうことか、その児童をなぜか家庭科室に連行し、灰皿を置いて、「ワシの前で吸うてみい!」と一喝して吸わせた。そして、「煙草っちゅうのは、こうして吸うんじゃ!」と、先生も喫煙を始める。そう、教師と児童が、家庭科室で2人してもくもくと紫煙を上げているのだ。たまたまその前を通りかかった我々1年生たちは、核弾頭の先生の凄味と迫力、そしてその2人の絵図に恐れ戦き、ある者は火災報知機の如くに阿鼻叫喚し、またある者はその場で無意識のうちに失禁するのであった。
 
 こうして私は、大阪から引っ越してきて僅か1年あまりで、当地の凄まじさにすっかり圧倒されてしまったのであるが、そうこうしているうちに1年が過ぎ、卒業式の日を迎えることとなった。記憶が不正確であるが、小さな小学校だったから、在校生も皆出席することになっていたように思う。卒業証書の授与が終わり、校長の式辞、来賓の祝辞、在校生の送辞、卒業生の答辞、『蛍の光』と『仰げば尊し』の斉唱、保護者代表挨拶と続いて、いよいよフィナーレの校歌斉唱となるや、核弾頭の先生たちが、号泣を始めたのだ。その泣き方たるや、声を上げての男泣きも男泣きで、これはこれで物凄い迫力で圧倒されてしまったのだが、「鬼の目にも涙」とはこのことを言うのかと、『泣いた赤鬼』の童話よりもずっと真に迫り(尤もこの赤鬼は、もともと心優しい鬼であるから比類に値しないのだが)、5年後の自分の卒業式よりも遥かに印象に残っている。
 
 「あの先生たちは、ずっと怒ってばっかりだったから、卒業するとき、それを恨みに思う何人かが束になって、先生を襲撃に行くらしい。これを『御礼参り』と言うんだ」というようなことが都市伝説のように囁かれていたが、実際にそういうことを耳目にしなかったのは、卒業生たちも、あの男泣きに感ずるところがあったのだろう。
 
 私も、20代から30代前半にかけては、「瞬間湯沸器」だの「剃刀」だのと異名を取るというか揶揄されるというか、そういうふうに呼ばれていたことがある。特に、現業のマネージャーを任された当初は気負いもあって、部下の社員やアルバイト、パートの人たちには相当苛烈なことを言っていたと思う。その時の会議資料を読み返してみても、書いた本人が戦慄を覚えるくらいに恐ろしい文言(中でも「命を張る」ということばは数十回に亙って出てきていた)が並べられたのを見るにつけ、今更ながらに大変恥ずかしくなる。
 
 あるとき、他の店舗のベテランマネージャーが、「そんな調子で下の人に接してたら、誰も付いて来えへんようになるで」と私を諌めてきた。確かに、バイトくんたちの退職は後を絶たなかったし、「今日からもう出勤しませんので」と一方的にメールを送り付けてきた学生もいたほどだから反論の余地はないのだが、「不徹底や無責任を咎めて、何が悪いんですか」と抗弁した。するとその方は、「まあ、言うてる私も、あなたの歳の頃は同じように尖ってたもんですわ。『不惑』とはよく言ったもので、40歳を超えたら急に、腹が立たんようになりましてん。あなたもあと10年の間は、そうやってぷりぷり怒ってるのは抑えられへんやろなあ」と達観したように仰った。
 
 私は、その言葉になぜか頭を打たれ、考えを改めることにした。仕事に厳しい姿勢は変えなかったけれども、彼らや彼女たちの話にも耳を傾けるようにしたし、飲み会だのカラオケだのと、無礼講で遊ぶこともした。虚飾を捨て、時には隙も見せて、人間らしく振る舞うようにした。意識的にそう振る舞ったというより、自然な自分を出したという方が正しいかもしれない。そうすることが楽だということも覚えた。彼らや彼女たちからの人望がそれで高まったとは思わないが、異動になったときに「私も連れて行ってください」と言ってくれた子がいたのは心底嬉しかったし、自分の誕生日に、「一緒にお祝いしましょう」と、好物だったセブンイレブンの白くまアイスを買ってきてくれた子には本当に癒された。
 
 最初に任された新規出店が軌道に乗り、また新たな立ち上げを仰せつかったのだが、「二匹目の泥鰌」のことばの通り、2年後、その店舗が統廃合されることになった。心を冷たく閉ざして粛々と“敗戦処理”を進め、バイトくんたちを全員集めて、努めて明るく打ち上げをやった。最後の日、片付けの終わった事務室で一人ぽつねんと座っていたら、冷たく閉ざしていたはずの心が壊れて、涙が出てきた。クローズしてしまう辛さよりも、ここでバイトくんたちとべちゃべちゃ喋っていた時間が二度とやってこないことを思い、胸が潰れそうになったのだ。一人静かに、「鬼の目にも涙」をやっていたのである。
 
 それから8年。昔よりは心も体も丸くなったと思うのだが、それでも激昂してしまうことは今でもしばしばあって、その度に人間関係にひびを入れては失敗している。反省が活かせない相変わらずの未熟者だが、その度に思い出すのは、あのとき諌めてくださった先輩マネージャーのことばである。いよいよ来月、その「40歳」を迎える。その方は既に退職されてしまったが、お会いする機会があれば、「名実ともに四十路となりましたね」と言われる自分でありたいと、切に思う。

 「喋らない若者」が増えているという。『話し方マニュアル』のような本が軒並みベストセラーになるのも、そうした世相を色濃く反映したものなのだそうだ。私などは「黙っていたら死ぬ」人間なので、喋らないで1日を過ごすというのが一体どういうものなのか想像もつかないし、精神衛生上よいことのようにも思えないのであるが、会社内での日常会話はおろか、商談の場で取引先を前にしても無言を貫く猛者までいるというから驚きである。前回、電車の車内放送が喋り過ぎではということを述べたが、どうしてどうして、口下手とか話下手というレベルを超越した人もいるのであって、十人十色とはよく言ったものだと、改めて実感するのである。
 
 言葉というのはコミュニケーションの必須手段であるから、喋らないで1日を終えるのは、人との関わりを完全に絶って過ごすことを意味するはずである。引きこもりの人ならそれでも構わないだろうが、社会に出ている人間がどうやって毎日の生活を営んでいるのだろうかと訝られてならない。そもそも、就職活動では面接があったはずだし、それを乗り越えて入社しているはずだから、「喋りたくない」のではないのだろう。「何を喋ってよいのかわからない」ということなのだろうかと考えるが、メールとかSNSとかでは、日々きっと何事かを発信しているのであろうから、「言葉が出てこない」という失語症のようなものとも違うはずである。
 
 確かに、会社の会議などでは自ら進んで挙手することもなく、指名されてもろくに答えられないのに、レポートや報告書、果てはFacebookだのTwitterだのになると俄然強くなるという人の話はしばしば耳にするから、面と向かっての丁々発止のやりとりが辛いということなのかもしれないし、私とて議論を終えた後に、「ああ言えば論破できたのに」と思うことはしばしばである。だが、人と話をするのは、そんなに大層で大仰なものであろうか。他愛もない会話をするのに、一々文字に起こさねば喋ることもできないというのだろうか。全く以て不思議な話である。
 
 以前にも記したことがあるが、中学2年になるとき、急な転校を経験した。時はバブル景気の真っ只中、都心部にマンションを購入した親たちは、秘密裏に事を進め、終業式の1ヶ月くらい前に、突然それを宣告された。この歳になれば、持ち家を持つことが大人にとってどれだけのステータスなのかは十分に理解できるが、当時の我々子どもたちにそんなことが理解できるはずもなく、友人たちとの急な別れが如何に残酷なものであるかを切々と訴えた。しかし、既に後には引けぬところまで話は進んでいて、自分たちで生計を立てることの叶わない子どもたちは、無条件にそれに従う他はなかった。距離的には高々10キロ程度の移動だったが、心理的には果てしなく遠くの町にやってきた思いだった。親から騙し討ちに遭うが如き急な転校であったため、1年間にわたって心を閉ざしてしまう事態に陥った。
 
 いじめに遭っていた訳でなし、話し掛けてくれる人がいない訳でなし、警察にしょっ引かれるようなヤンキーたちでさえ優しく声を掛けてくれた。なのに、誰にも心が開けない。酷いときは、給食に手をつけず茫然としていて、担任が駆け寄ってくるような始末だった。当時、あくまで当時、私が光GENJI(ローラースケートを履いて歌って踊る、80年代後半を席巻したジャニーズのアイドルグループ)の誰やらに似ていると評判(?)が立ち、他のクラスから見学にお見えになるほどの有名人ぶりだったが、それも他人事のような感じで、ただ物憂そうに窓の外を見つめている、文字通りの「ガラスの十代」であった。
 
 しかし、日々を黙って過ごすというのは実に辛いものである。転機が一体何であったのか最早記憶にないが、3年になって、担任やクラスメイトにぽんと肩を叩かれたような感じだったのだろう、元の自分を取り戻すことができた。2年のときの様子を知っていた3年の担任は、始業式の後、「もっと自分をアピールして」と言ってくれたが、卒業時、母親に「私は4月、彼にいらんことを言ってしまったようです」と苦笑しながらこぼすほどに、“喋りの私”がここに完成したのであった。
 
 この学年での級友とは、四半世紀経った今でもはっきり覚えているほどに楽しい日々を過ごした。中でも「学校祭」はビッグイベントで、文化祭、応援合戦、体育祭を1日ずつ、連続3日にわたって盛り上がり、終われば校則なんてどこ吹く風、打ち上げで大いに弾けた。親が警察官という奴の家を舞台に、男女10数名で酒盛り+AV鑑賞会を催したこともあった。担任の家で焼肉大会を開き、「ビールなしで焼肉なんか食うな」と、担任自ら酌をして回るなんてこともあった。今なら全国版記事レベルの大問題であろうが、我々はこの担任を大いに慕い、親は全幅の信頼を置いて、誰一人として苦情抗議を述べる者はいなかった。
 
 振り返ってみると結果として、転校してきたこの中学では、人生の影響を受けたり、思い出に深く残ったりする人たちとの出会いが多くあった。担任に憧れて「教師になりたい」と思ったのもこのときだったし(なれていないけれど)、人生初の彼女ができたのもこのときだった(高校進学前に破局し、ショックで3日寝込んだけれど)。そして何より、人と喋ることの楽しさを実感できたのも、このときだった。もう長いこと誰にも会っていないし、あのときのメンバーが今、どこでどうしているかは分かれないけれども、もし、同窓会というものが実現して、「今どきの若者は、喋らないねんて」と言ったら、きっと皆は「何と勿体無い!」と口を揃えるに違いないと思うのだ。
 
 そう、黙っているなんて勿体無いのだ。かつて寺山修司は「若者よ、書を捨てよ、町へ出よう」と言ったが、平成の現代ではさしづめ、「若者よ、スマホを捨てよ、口を開こう」とでもなるだろうか。否、スマホを捨てるのは難しいだろうけれど、それを片手にしつつでもよいから、言いたいことを、自分の口を使ってしっかり発言する勇気を持ってもらいたいものである。
 神戸新聞のFacebookページに「てっぱん」というシリーズがある。鉄道ファンの社会部記者が、関西の鉄道にまつわるあれこれを綴るものだが、これがなかなかに面白い。
 
 その中に、「車内放送・余話」という記事があった。東京から神戸に転勤してきた記者の知人から、「関西の電車の車内放送が分かりづらくて戸惑った」と言われたというのである。何でも、阪神特急に乗っていて、御影を発車したときに「次は、魚崎、魚崎です。魚崎の次は芦屋に止まります」とアナウンスが流れるのだが、知人は「次は芦屋に止まります」という部分だけが耳に入り、芦屋で下車するつもりが、つい魚崎で降りてしまったらしい。四半世紀以上関西に暮らしている私からすれば、JRだろうが阪急だろうが京阪だろうが近鉄だろうが南海だろうが、皆同じようなアナウンスであるから、これの一体何が「分かりづらい」のかが分かりづらい。
 
 この記事に対するコメントは正に賛否両論で、その賛否はそのまま東西対決の様相を呈しており、「東」の側からのご意見は、「『いらち』の関西人の気質がこういう分かりにくい車内放送を生んでいる」だとか、「関西人は『喋り』だから、次の次の停車駅まで説明するという余計なことをする」だとか、「『俺たち知ってるから、困らない!』って態度が大嫌い」だとか、本題はどこへやら、関西人に対する私怨(?)にまで及ぶものまであって、大概辟易したものである。ならば関東では一体どんなアナウンスをするのだろうと思い、たまたま先日、東京出張があったので注意して聞いていたのだが、「代々木上原の次は、下北沢に止まります」と、同じ調子で言っているではないか。
 
 ただ確かに、関西の車内放送は少し喋り過ぎなのかもしれないとは思う。例えば、大阪市営地下鉄では、次駅案内や乗換案内に加え、「約1000メートルの散歩道、船場センタービルへお越しの方は、次でお降りください」というバスのような放送も流れるし、駆け込み乗車は止めろだの、お年寄りには席を譲れだの、携帯電話の使用は遠慮せよだの、危険物には触るなだの、PiTaPaをせいぜい利用せよだの、選挙には必ず投票に行けだの、大阪マラソンをよろしくだの、最後の方では、地下鉄には何の関係もない啓蒙までなされる始末である。また、我々は当たり前に思っている、発車後の「次は、京橋」と、到着前の「まもなく、京橋」の2回放送も、関東では一般的ではなくて、どちらか一方しか言わない。以前、阪急電車がこれを真似して、各駅停車の電車で1回放送というのをやったことがあるが、程なく元の2回放送に戻っている。何にせよ、乗客の立場に立つと、どれがベストなのかを考えるべきであろうことは言わずもがなである。
 
 然らば即ち、電車の車内放送に限らず、こういう公共性の高いものは、全国で統一規格を作れば、かかる見苦しい東西対決など起こらないのに……と思うのだが、実際には関西の中でも会社によってフォーマットはまちまちである。例えば、JR大阪駅の環状線ホームでは、快速電車の到着時に流れるアナウンスが、内回りと外回りで異なっていたことがある。内回りでは、「西九条、弁天町、新今宮、天王寺……に止まります」と、止まる駅をアナウンスするのに対して、外回りでは、「天満、桜ノ宮には止まりません」と、止まらない駅をアナウンスするのである。今は、外回りは大阪から先は各駅停車になったのでこういう混乱もなくなったが、知らない者がアナウンスを最後まで聞かずに乗り込んでしまって、えらい目に遭ったという苦情が絶えなかったらしい。
 
 かく申す私も、近鉄電車の鶴橋駅で、同じような経験をしたことがある。布施に行く用があって、JRからの乗り換え階段から近鉄のホームに降り立ったら、ちょうど電車が来ていた。「この電車は布施に……」というのを聞いて反射的に乗ってしまったのだが、布施が近づいても速度は一向に落ちない。「?」と思ったときには布施は通過していて、八尾も国分もスルーし、ついには山中のトンネルを越えて奈良県に入ったがなおスピードは落ちず、結局やっと止まってくれたのは、鶴橋から30分近く経った、大和高田であった(当時は五位堂も通過していた)。そう、この電車は快速急行で、鶴橋を出ると、大阪府内は一切無視なのである。3分で着くところが、半泣きで引き返して1時間以上かかってしまうという悲劇に見舞われたのであるが、きっと鶴橋駅でのアナウンスは、「この電車は布施には止まりませんのでご注意ください」であったのだろう。布施は、急行や準急は止まるから一層紛らわしいのであるが、こうした問題の根本にあるのは、「述語が文末に来る」という、日本語の特殊性にあるのではないかと考える。
 
 英語にしても中国語にしても、述語に当たる「動詞」は、基本的には主語の直後に来て、修飾語はその後にだらだらと付け足す形である。なので、彼の国では「人の話は最後まで聞きなさい」と叱られることはあまりないのではないかと思う。最後まで聞かなくても、必要最低限の情報は理解できるからである。ところが日本語の場合は最後まできちんと聞かないと、肝心な情報が分からない。話が下手な人というのは、主語と述語の間の修飾語がやたら長く、しかもそれが右往左往して筋道が立っていないという場合が多いように思うのだが、「分かりやすさ」と旨とする車内放送では、主語と述語に当たる内容を先に言ってしまうというのも一法である。
 
 新幹線のアナウンスが好例と言えよう。「今日も、新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございます。この電車は、のぞみ号、東京行きです。途中の停車駅は、京都、名古屋、新横浜、品川です」と、「途中の停車駅」を先に、つまり、「今から止まる駅を言いますよ」と先に言ってしまうのだが、英語に直せば「We will be stopping at~.」であり、この語順と一致するのである。これが近鉄電車の宇治山田行き急行だと、「この電車は途中、鶴橋、布施、河内国分、五位堂、大和高田、大和八木、桜井、榛原、室生口大野、三本松、赤目口、名張、桔梗が丘、美旗、伊賀神戸、青山町、伊賀上津、西青山、東青山、榊原温泉口、伊勢中川、松阪、伊勢市に止まります」と言うのであり、これだけ停車駅を並べられれば、最後まで聞き耳を立てようという意欲も失せるのは当然である。「人の話は最後まで聞け」と言うのは易いが、客商売たるもの、そんな殿様商売的なスタンスが罷り通る訳もあるまい。
 
 ビジネスの場のプレゼンでも、「本日お話ししたいポイントは3つございます」などと、話の要点を先に言ってしまうという手法がよく採られるが、再度申し上げよう。「述語が文末に来る」という日本語の特殊性をよくよく踏まえたアナウンスを研究されるとよい。これは蓋し、大変重要な示唆を与えていると、我ながら感心しつつ語っているが、いずれにせよ、相手の立場に立った、分かりやすいアナウンスを、願わくば全国統一で作り上げてほしいものである。高がアナウンス如きで、関東と関西がいがみ合うのもしんどいから。
 大阪の京橋駅周辺では、昼夜を問わず、見知らぬ人に声を掛けて回る人間がそこかしこに蠢いている。ティッシュの配付や何かのアンケートを行う人間は、JRから京阪電車までのあの僅か数10メートルの間に複数立っているし、「献血にご協力をお願いしまーす!」と通行人に向かってマイクで呼び掛け続ける声は、一日中響き渡っている。ナンパも、ある意味戎橋以上ではと思えるしつこさで、この間は、気安く肩に手をかけた男がお姉ちゃんに「汚いねん触んなや!」とけんもほろろに罵られる姿を見た。それでもめげずに次のターゲットに向かって猪突猛進する様は、涙ぐましくさえある。
 
 そんな京橋界隈に最近、時々立っているのは、自衛隊の勧誘である。キャバクラやガールズバーの客引きを昼日中からやっている派手な男や女たちの中で、無骨な男たちが迷彩服姿でビラ撒きをやっているのは、どう見ても異様であるし、声を掛けている相手は男女を問わないが、いずれも、そんな奴に声を掛けてどうするのだろうかと訝ってしまうような、およそ国を守ろうという気概は微塵も感じられない軟弱者ばかりである。昔は「兄ちゃん、ええ体してるなあ!」が自衛隊勧誘の常套句だったと実しやかに言われたものだから隔世の感があるのだが、無論、相手はそんなことに興味の欠片もない人たちなので、一瞥もなく通り過ぎられるだけである。そういう様子を見ていて、思い出す一つのことがある。
 
 高校のとき、同級生に、「ひとりで何もできないもん」という男がいた。昼休みになれば、こちらは弁当持参であっても「食堂行って一緒にご飯食べよ♪」と誘ってくるし、休み時間になると、こちらの尿意の有無に関わらず「一緒にトイレ行こ♪」と声を掛けてくるような感じだ。剰(あまつさ)え便意を催すや、「付いてきて♪」と訴えてきて個室の前で待たせようとするのである。小学生ではあるまいし、学校で大便に及んだからといって虐めの対象になる訳もないのだが、高校生にもなってひとりでうんちにも行けないとは何という不甲斐なさであろうか。ぶりぶりと響く音の前でただ突っ立っているこちらの間抜けさにも思いを致してほしいところであるが、当の本人は我関せず、他のクラスメートから「ご苦労さまです……」と労われるのがせめてもの慰みであった。
 
 そして、進路選びに際して「東京ありき」であった彼は、頼みもしないのに首都圏のさまざまな大学の願書を取り寄せては「一緒に行こ♪」と迫ってくるのだ。彼女もいたイケメンでスポーツマンある彼が、何故ここまで執拗に言い寄ってくるのかは今以て分からないのだが、「東京に行ってしまえば人間が腐る」と思い込んでいた当時の私は、“上京物語”など端から頭になく、言葉を尽くしてその意思がないことを説明した。しかしそれしきのことで矛を収める彼ではない。ある日、何を思ったか、「防衛大学校に行こ♪」と言ってきたのである。一体何が悲しくて、自分の希望の進路を180度曲げ、この軟弱男と一緒に国防への道を歩まねばならないのだ。それに一人で上京もできない男が国を守るなんてできようはずもない。お前は阿呆かと厳しく叱責したのであるが、「うわーん、じゃあせめて、願書取りに行くくらい付いてきてやー」とむずかるので、しょうがない奴やのうとぼやきながら、県庁にある自衛隊事務所へ、しぶしぶと足を運んだ。
 
 私は関係がないので廊下で待つことにしたのだが、中から如何にもという感じの職員が出てきて、「お兄ちゃんも中に入り!」と凄まれる。おずおずと入室すると、奥の応接室に通され、お茶まで出された。そこにはヌードカレンダーが掛けられ、「男の職場」であることを実感する。そして入学案内を差し出され、1ページずつ捲りながら、授業料は免除だとか衣食住は国費で賄われるだとか、極めて丹念に、そして「これ以上の親孝行があろうか」と猛烈な迫力で、その魅力を力説される。私はただただ圧倒されていたのだが、横を向くと、軟弱男は半ば涙目になっているではないか。戦車だの艦艇だの戦闘機だのと生々しい訓練の様子を聞かされ、完全に怖気づいているのである。お前は一体、何を思って防衛大学校を志そうとしたというのだ。それを察したのか、厳つい面構えの職員は、「ここを出たからといって全員が自衛官になる訳ではない。だから気軽な気持ちで受けてくれ給え!」と言葉を添えたのだが、幹部自衛官を養成する場がそんな軽いスタンスでよいかと、椅子から転げ落ちそうになった。
 
 約1時間の軟禁の末、やっと解放されたのだが、安堵の表情は軟弱男の方が数段勝っていた。「我々は所詮モラトリアムだから、あれこれ自分の進路を迷えばいいのだろうけれど、ここまで右へ左へとぶれるのもどうやろか。君には漠然とでも将来のビジョンというものがあるんか?」と問うたら絶句してしまった。それ以来、トイレに付いてきてとも、一緒に大学へ行こうとも、言わなくなった。そして彼は結局、神奈川県の私大に一人、旅立っていった。大学卒業後、地元に帰ったという情報だけは耳にしたが、それ以上の具体的な消息は知らない。自分にとって、最も魅力的に映る空へ羽搏いていっておればいいのだけれど。
 
 近年、自衛隊の人気は高まっているのだそうだ。女性自衛官も増えてきた。東日本大震災など、未曽有の災害の折に、自らの命を賭す覚悟で懸命に任務に当たる姿に感銘を受けた人は多いだろうし、各種式典で行われる儀仗隊の誉礼などは、見ているだけで鳥肌が立つ格好よさである。吃驚するのは、自衛官との合コンとか婚活パーティなんてものが開かれるという話で、100名にも及ぶ女性が集まるという。テレビドラマ『空飛ぶ広報室』の反響も人気に拍車を掛けているに相違なく、「兄ちゃん、ええ体してるなあ!」と声を掛けても大方逃げられていた時代を思えば、確実にイメージアップにつながっていると言えよう。ただ、それは、自衛隊のある一面がクローズアップされているに過ぎないのであろうし、実際には離職率の高さが物語っているように、美談だけでは語れない辛苦もあることだろう。それでも強い使命感を持って任務に当たる人たちによって、「我が国の平和と独立」が守られ、「国の安全」が保たれ、「直接侵略及び間接侵略に対し我が国」が防衛され、「公共の秩序」が維持されているのである。それを忘れて、ミーハーな気持ちで志すのは如何なものか、とは思う。
 
 さて、私は一昨日も京橋駅に降り立った。「ええとこだっせ」と言われるこの街では、相変わらず人々が足早に行き交い、その流れから横に逸れた人たちは、猥雑な匂いのする雑踏へと消えてゆく。その姿は実に刹那的で、我が国の行方なんてどこ吹く風、自分のことで精一杯ですよという感じである。精一杯なのはそこへ佇む私とて同様であるが、国防とまでは言わないにしても、「何事かを守る」とはどういうことなのか、どんな構えや覚悟が必要なのかと、喫煙所で煙草を燻らせながら、ぼんやりと考えるのであった。

 目下の早起きのモチベーションは、朝の連続テレビ小説『あまちゃん』である。弊社は午前10時始業なので、普段なら8時50分に起床、9時20分に家を出て、9時50分くらいに打刻、という流れだが、『あまちゃん』のおかげで起床は1時間繰り上がり、あのオープニングテーマでテンションを上げて意気揚々と出社、始業30分前には着席という模範社員ぶりを発揮している。
 
 世間の評価も高いようで、初回視聴率は関東地区で20.1%。これは2006年度下半期の『芋たこなんきん』(20.3%)以来の視聴率20%超えであり、6月10日には22.1%の最高視聴率を記録している。また、舞台となる架空の町・北三陸の人々が驚いたときに発する「じぇじぇ」という方言は、早くも今年の流行語大賞ノミネートの呼び声が高いし、主人公・アキ(能年玲奈)の母親役の小泉今日子が歌うオリジナルの劇中歌『潮騒のメモリー』は、既に年末の紅白歌合戦が当確と騒がれている。往時のキョンキョンを知る者にとっては大いなる感慨であるのだが、遡ること28年前、『少女に何が起ったか』で、石立鉄男に「薄汚えシンデレラ!」と罵倒されていたあのキョンキョンが、今やヒロインの母を演じる齢になったのかと思うと、それはそれでまた別の感慨に耽ってしまうのである。
 
 一方、NHKが発表した、4月度の『視聴者対応月次報告』によると、本作に寄せられた声として、「ヒロインの父親(尾美としのり)が使用する個人タクシーは韓国車だと思うが、日本の公共放送として、国産メーカーの車を使うべきではないか。受信料を支払って見ている視聴者は納得できない」だとか、「ドラマに登場する気動車をドラマの中で『電車』と言っているが、電車は電気で動くのだから、この表現はおかしくないか」、「駅長(杉本哲太)と副駅長(荒川良々)はいつも駅の仕事をしていない。駅に併設の喫茶店(夜はスナック)にいるシーンが多いが、職場放棄ではないか」といったものが挙げられている。よくもまあ、下らないというか、揚げ足取りというか、重箱の隅を突くというか、そういった苦情が思い浮かぶものよと感心するが、これも作品への反響の大きさと見るべきだろうし、脚本を担う宮藤官九郎の面目躍如といったところであろう。
 
 脚本とともに、作品を支えるのはやはり脇を固める名優陣であろう。祖母役の宮本信子の存在感と穏やかでユーモア溢れるナレーション、祖父役の蟹江敬三やベテラン海女の渡辺えりの怪演をはじめとして、出演者それぞれの個性的演技がこれでもかというほど光っているし、前述の荒川良々の他、皆川猿時、伊勢志摩、安藤玉恵など、本作でその名が遍く一般にも知られるところとなった舞台俳優も多く、なかなかの名作だと思うのだが、中でも良いと思うのは、先輩海女・美寿々を演じる、美保純である。
 
 かつては東京から追っかけが来るほどの人気海女だった美寿々は、男に惚れやすい質で、駆け落ちの経験も持つが、現在は地元に戻り、冷え性に悩まされながら海女の活動を続けている。そんな中、琥珀の掘削職人である勉さん(塩見三省)の元に突然弟子入り志願してきた謎の男、水口(松田龍平)に惚れ、一方的に迫っている。ところが水口の正体は、地元アイドルとして人気を集めるアキと、その友達・ユイ(橋本愛)に近づく、東京の芸能事務所のスカウトマンだった。それが露呈し、水口は北三陸を去る。美寿々はショックを受け、「ちきしょう! ちきしょうぅぅ!!」と号泣する。そして、「真剣に付き合ってたのに! 結婚まで考えてたのにぃ! 式場仮押さえしてたのにぃぃ!! 車もあげたのにぃぃぃ!!!」と絶叫する。ここで皆は口にするのである。「じぇじぇじぇ!!」
 
 次番組『あさイチ』で、司会の有働由美子アナウンサーは、そうした彼女の演技に思わず深く感情移入するコメントを述べた(こうした感想を述べるのは、「朝ドラ受け」と呼ばれる『あさイチ』の冒頭1分のお約束で、これを指して「朝ドラは8時16分まで」と言う視聴者も少なからずいるという)が、それほどまでに真に迫る女の情念を演じたかと思えば、今日(6月13日)の放送では何とレディー・ガガに扮して登場したのだから仰天した視聴者も多かったことだろう。コメディエンヌの資質も持ち合わせた、絶品の芸と言う他あるまい。既に五十路に入っているらしいが、この人なら付き合ってもよいと、そんなことを考えてしまうほどの名演なのだ。(注:熟女好きということでは決してございません)
 
 そんな美保純だが、彼女がにっかつロマンポルノ出身であることは知る人ぞ知る話である。何を感心するかといって、本人がその過去を一切隠そうとしないばかりか、むしろ当時の思い出話や裏話を積極的に、あっけらかんと、そして懐かしく語ることである。これもまた、彼女の魅力ではないかと思うのだ。
 
 ロマンポルノ出身で、今は一線級で活躍する女優には、この他にも白川和子、宮下順子、永島瑛子、東てる美、伊佐山ひろ子、岡本麗などがいるし、蟹江敬三、風間杜夫、大杉漣、内藤剛志などの男優陣も、初期にはロマンポルノに出演していた。神代辰巳、曾根中生、石井隆、金子修介、崔洋一、周防正行、相米慎二、滝田洋二郎、森田芳光等々、後の日本映画界を語るに欠かせない監督たちも多い。一廉の人たちにも下積みの時代があり、それがその後の活躍の礎になっているのだ。
 
 川島なお美の『お笑いマンガ道場』、高見恭子の『ウィークエンダー』など、本人の思いか事務所の意向かは分からないが、初期の出演経歴をひた隠しにする人もいると言う。確かに、人には多かれ少なかれ、忘れてしまいたい汚点や、思い出したくない初心というものだってあるだろう。過去を変えることだってできはしない。しかし人生は必然、そうした過去があって今があることを忘れてはなるまいし、それを消し去るというのは、そこから連綿と続くはずの今をも否定することになりはしないだろうか。村上弘明は、売れるようになってから暫くの間、『仮面ライダー(スカイライダー)』への出演歴について沈黙を通していたことがあるが、息子に「パパって、仮面ライダーだったの?」と訊かれて以来、自らそれについて語るようになり、関連のイベントにも積極的に参加するようになった――という話もあるのだ。人生山あり谷啓、誰にだって「歴史」というものはあるのである。
 
 もとよりこれは、自戒や自省の念を抱きながら述べているのであって、これまでにあった数々の「人生の岐路」を思い返しては、あのとき、もう一方の道を歩んでいたら……と考えることがない訳ではないし、それを呪って自棄っぱちになったこともある。でも、今に続く道を選んだのは他ならぬ自分の責任。それを棚に上げてぶつくさ言うようでは、自分はまだまだあまちゃんやな、と思う。ただ、人生をやり直すなんて面倒臭いことはしたくないので、ならばこの先どうするかを考えることが生き方として賢明なのだろうと、それだけは思うのである。
 
 さて、ドラマの『あまちゃん』の方では、主人公が母に抗い、いよいよアイドルを目指して上京する。再来週の24日からは後半の「東京編」となり、薬師丸ひろ子や古田新太などの新キャストが登場、ナレーションも宮本信子から能年玲奈に代わるそうである。北三陸の人たちの濃いキャラを見ることができないのは淋しいが、劇中での主人公の「人生の選択」について、期待しながら見守ってゆきたい。